先月末に岩波文庫から対訳ランボー詩集ーフランス詩人選(1)ーが出たので早速買ってみた。この文庫は文字通り対訳版という、見開きの左ページにフランス語、右ページにン日本語訳が載っているもので、行も左右揃っているから、フランス語と日本語を交互に見ながら読み進むことが出来る。訳者である中地義和は極端な意訳は避け、原詩と訳詞の対応関係が容易にわかるようにしてあるうえに、フランス語定型詩の要素である音節数と脚韻パターンについての簡単な解説も添えられている。本棚を覗いてみたら他にランボーの詩集を買ったのは、やや半世紀近く前の学生時代、同じく岩波文庫から昭和13年に初版が発刊された小林秀雄訳の「地獄の季節」以来だ。
この10代後半から詩作を始め20歳で詩を捨てたという天才詩人についてはここではふれないが、このランボー詩集は制作年代順に収録されていて、その3番目にあるのが「オフィーリア(Ophélie)」。言わずと知れたシェイクスピアの戯曲「ハムレット」に出てくる、ハムレットの恋人にして最後は発狂して水死する悲劇の女性を題材にとったものである。
この詩まで読んできて、ハムレットの舞台となったデンマークのことを久しぶりに思い出した。ロンドンに勤務していた1990年代、仕事でほぼ毎月のようにデンマーク、スウェ―デン、ノルウェイのスカンジナビア3か国に出張していた。それぞれの国には数か所しか訪れる先がなく、一か国だけの出張では効率が悪いので、3か国を一遍に、順番に訪問する、と言うのが当時のいつものパターンだった。まずスウェ―デンに入り、そこからノルウェイに移り、最後にデンマーク。週末にコペンハーゲンから、ロンドンに戻る。こうすれば当時のスカンジナビア航空(SAS)の通しの切符になり安くなるのと、それぞれの都市にあるSAS直営ホテルを利用すれば宿泊料が半額になる、と言う特典もあったためだ。
特にデンマークは出張の最後に訪れるので後の心配をすることもなく気が楽だった。コペンハーゲンおよび近郊のいわゆる観光名所(アンデルセンや人魚姫など)には簡単に行けたからそのうち行き尽くしてしまい、普段は仕事から直行でロンドンにもどっていたのだが、一度、どうしても面談が設定できず半日開いてしまったことがある。そこでコペンハーゲンから真北に向かって片道2時間弱で行ける、ハムレットの舞台となったクロンボー城(エルシノア城)に行くことにした。時期は秋の初めだったが、その日は今にも雨が降りそうな黒い雲が立ち込める寒い日。その時は観光客も少なく、北海から冷たい風が吹いていたように思う。この陰鬱極まりない城なら、不倫や陰謀、狂気、復讐が展開されたと言っても何の違和感もない。戯曲ハムレットの舞台としてこれ以上ふさわしいものはないように思われた。日が違えば、この城を舞台に代えてハムレットの数場面が上演されるとも聞いたが、それがなくても吹きすさぶ風の中に十分に雰囲気を感じることが出来た。
オフィーリアは戯曲では花輪とともに川に転落して水底に引き入れられ、そこで水死するのだが、ランボーの詩では彼女は川に浮かんで千年以上漂流するという神話仕立になっている。中地によればこれは未来永劫、詩人・芸術家の想像世界に生き続けることを先取りしたのではないか、一般に受け取られているオフィーリア像ではなく、詩人としての彼女を見ているようだ、と言っているのは、やはりランボーが天才と言われる所以かもしれない。
Voici plus de mille ans que la triste Ophélie
Passe, fantôme blanc, sur le long fleuve noir.
Voici plus de mille ans que sa douce folie
Murmure sa romance à la brise du soir.
死の直前、オフィーリアが兄のレアテイーズにローズマリーとパンジーを渡す場面がある。いつまでも忘れないで、と言う思いを込めたもので確かに彼女はたとえ千年経っても忘れられることはないだろう。