回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

ランボー

2020年08月31日 15時56分09秒 | 日記

先月末に岩波文庫から対訳ランボー詩集ーフランス詩人選(1)ーが出たので早速買ってみた。この文庫は文字通り対訳版という、見開きの左ページにフランス語、右ページにン日本語訳が載っているもので、行も左右揃っているから、フランス語と日本語を交互に見ながら読み進むことが出来る。訳者である中地義和は極端な意訳は避け、原詩と訳詞の対応関係が容易にわかるようにしてあるうえに、フランス語定型詩の要素である音節数と脚韻パターンについての簡単な解説も添えられている。本棚を覗いてみたら他にランボーの詩集を買ったのは、やや半世紀近く前の学生時代、同じく岩波文庫から昭和13年に初版が発刊された小林秀雄訳の「地獄の季節」以来だ。

この10代後半から詩作を始め20歳で詩を捨てたという天才詩人についてはここではふれないが、このランボー詩集は制作年代順に収録されていて、その3番目にあるのが「オフィーリア(Ophélie)」。言わずと知れたシェイクスピアの戯曲「ハムレット」に出てくる、ハムレットの恋人にして最後は発狂して水死する悲劇の女性を題材にとったものである。

この詩まで読んできて、ハムレットの舞台となったデンマークのことを久しぶりに思い出した。ロンドンに勤務していた1990年代、仕事でほぼ毎月のようにデンマーク、スウェ―デン、ノルウェイのスカンジナビア3か国に出張していた。それぞれの国には数か所しか訪れる先がなく、一か国だけの出張では効率が悪いので、3か国を一遍に、順番に訪問する、と言うのが当時のいつものパターンだった。まずスウェ―デンに入り、そこからノルウェイに移り、最後にデンマーク。週末にコペンハーゲンから、ロンドンに戻る。こうすれば当時のスカンジナビア航空(SAS)の通しの切符になり安くなるのと、それぞれの都市にあるSAS直営ホテルを利用すれば宿泊料が半額になる、と言う特典もあったためだ。

特にデンマークは出張の最後に訪れるので後の心配をすることもなく気が楽だった。コペンハーゲンおよび近郊のいわゆる観光名所(アンデルセンや人魚姫など)には簡単に行けたからそのうち行き尽くしてしまい、普段は仕事から直行でロンドンにもどっていたのだが、一度、どうしても面談が設定できず半日開いてしまったことがある。そこでコペンハーゲンから真北に向かって片道2時間弱で行ける、ハムレットの舞台となったクロンボー城(エルシノア城)に行くことにした。時期は秋の初めだったが、その日は今にも雨が降りそうな黒い雲が立ち込める寒い日。その時は観光客も少なく、北海から冷たい風が吹いていたように思う。この陰鬱極まりない城なら、不倫や陰謀、狂気、復讐が展開されたと言っても何の違和感もない。戯曲ハムレットの舞台としてこれ以上ふさわしいものはないように思われた。日が違えば、この城を舞台に代えてハムレットの数場面が上演されるとも聞いたが、それがなくても吹きすさぶ風の中に十分に雰囲気を感じることが出来た。

オフィーリアは戯曲では花輪とともに川に転落して水底に引き入れられ、そこで水死するのだが、ランボーの詩では彼女は川に浮かんで千年以上漂流するという神話仕立になっている。中地によればこれは未来永劫、詩人・芸術家の想像世界に生き続けることを先取りしたのではないか、一般に受け取られているオフィーリア像ではなく、詩人としての彼女を見ているようだ、と言っているのは、やはりランボーが天才と言われる所以かもしれない。

Voici plus de mille ans que la triste Ophélie

Passe, fantôme blanc, sur le long fleuve noir.

Voici plus de mille ans que sa douce folie

Murmure sa romance à la brise du soir.

死の直前、オフィーリアが兄のレアテイーズにローズマリーとパンジーを渡す場面がある。いつまでも忘れないで、と言う思いを込めたもので確かに彼女はたとえ千年経っても忘れられることはないだろう。

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ビデオ結婚式

2020年08月30日 15時10分04秒 | 日記

ロンドンの友人からまた、ビデオ会議の誘いが来た。今度は、たまたま一時帰国してそのまま渡航禁止のためにロンドンに戻れなかった友人の一人がようやく戻ることが出来、さらに2週間の隔離(当人は感染していない)が明けることになったので、近況報告も兼ねて3人でのビデオ会議をしようと言うもの。今のような旅行が自由にできない時に入国したり、その後の入国管理当局の対応を直接経験した当事者から聞くのは参考になると思う。

そんなことをしているところ、たまたま、昨夜は甥の結婚式に会議システムZOOMを利用して参加した。当初予定していた披露宴が、コロナウイルス感染拡大により移動ができなかったり、感染を恐れて参加を見送る人が出てきたため、急遽この形式に変更されたもの。実際の参加者は両家の両親兄弟姉妹、およびごく限られた友人で、親類や多くの友人はリモートでの参加となった。一生に一度の結婚式・披露宴が寂しいものになるのでは、と危惧をしていたが、司会者の機転とこの会議システムのせいで大いに盛り上がった。もちろん披露宴での(多分美味しいであろう)料理を味わうことはできなかったが・・・

予めIDが送られてきたので,神社での結婚式から近くのフレンチレストランでの披露宴までを、ライブで観ることが出来た。単に観るというだけでなく、チャットの機能を利用して自分の言いたいことをメッセージとして送り表示させることもできる。リモート参加者40名ほどがそれぞれにお祝いのメールを送る様子はなかなか賑やかなものだった。また、リモート参加者をいくつかのグループに分けての新郎新婦と会話できるミーティングルームも設置されていた。

披露宴の冒頭ではリモート参加者にあらかじめレストランから宅急便で配られていたシャンペンをそれぞれが手にして乾杯することになり、その様子が分割画面に映し出されてそれなりに乾杯の臨場感も出ていた。画面(スクリーン)と言う制限があったのでその場にいるようにだれかに近づいて行って話しかけるということはできないが、一定の時間では、直接に話しかけることが出来、またその場で返事も聞けるということで、特に遠隔地や移動がむつかしいところにいる時にも参加が出来るというメリットは大きい。今回は披露宴につきもののお祝いのスピーチや二人の紹介などが割愛されていた。これは斬新な感じであったがリモートと言う性格上このようにスピード感のある進行が良かったようにも思う。実際にその場におらずに長いスピーチを聞くというのはリモート参加者にとっては多分に退屈なものとなっただろうから。

ビデオ会議システムの利用に慣れてくるにしたがって、ますます違和感は減っていくのではないか。これからはその場に参加できる人は参加すればいいし、難しい人はリモートで、と言う両建てになってゆくのだろう。一番気になっていたのだが、今日あいさつに来た甥および新婦が今回の結婚式に満足している、と言うことを聞いてやっと安心した。

ただ、ビデオ会議システムでも、ZOOMが実質上中国政府により支配されていることを考えると、これからはZOOMの利用は再考する必要がある。

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アングル

2020年08月29日 13時32分56秒 | 日記

240年前の1780年8月29日は、フランス新古典主義の巨匠、ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル( Jean-Auguste-Dominique Ingres)の誕生日。彼の精緻を極める作品は新古典主義の画家の中でも最も有名なもの。彼の膨大な作品の中で、まずはもっとも知られているのが水壺を抱えた裸婦の「泉」、次いで様々な、激しい議論を巻き起こした「グランド・オダリスク」があるだろう。いずれの絵も、人間の身体的な正確性の描写と言う点では問題があるが、そういった皮相的な批判をはねのけて常に高い評価を受けている。

フランス近代画壇の最重要人物の作品だけあって、その多くがルーブル美術館をはじめとしたフランスの美術館の所蔵となっている。数少ないフランス国外で所蔵されているアングルの作品の一つが、これまでも紹介してきたニューヨークのフリック・コレクションに所蔵されている肖像画「ドーソンヴィル伯爵夫人」。既に巨匠としての名声を確立したアングルが65歳の時に完成させたこの肖像画は、3年かけて制作され、それは描かれたドーソンヴィル伯爵夫人が24歳から27歳の間に当たる。彼ほどの巨匠になると簡単には肖像画の制作を受け入れないものだが、高位の貴婦人からのたっての依頼と言うことで断れなかったのだろうか。あるいはさすがのアングルもドーソンヴィル伯爵夫人の美貌にひかれたのか。たしかにこの肖像画に描かれている伯爵夫人の美貌を見るとこの説にも説得力がある。

いずれにしても、この作品はドーソンヴィル伯爵夫人の美しさを余すところなく伝えているということではフリック・コレクションの「顔」のひとつと言われるのも不思議ではない。アングルに批判的な批評家が右腕の位置が不自然で人間の骨格からはあり得ない、などと難癖をつけたとしても。

ドーソンヴィル伯爵夫人は文才にも長けた才色兼備の、家柄もこれ以上ないほどの貴族だったが、彼女が47歳の時の(伝えられた)姿は、「太って、髪の毛も少なくなって」、若い時期の美貌はすっかり失われていたようだ。彼女は64歳で世を去るのだが、彼女のかつての美しさを貶めないよう当時は一般的だった埋葬ではなく、火葬を希望したと言われる。

「ドーソンヴィル伯爵夫人」は、アングルの作品の中で一番気に入っている作品。この絵を見ていると歳月と言うものは時に残酷なものだと思わずにはいられない。肖像画がその人の最も輝いているときを写し取っているとすると、老いてからの自分を受け入れるのは難しい。富と名声に恵まれていれば尚更のこと。

ドーソンヴィル伯爵夫人

グランド・オダリスク

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Automatic

2020年08月28日 13時51分13秒 | 日記

友人との夕食会を計画したのだが、そのうちのひとりとのメールのやりとりに不備があり、結局延期となった。こちらから送ったメールが、先方の携帯電話がロックされていたために着信していることにさえ気が付かなかったため。はじめのメールに返事がなく、念のため、前日にメールを送ったがそれにも返事がない。悪い予感がしたので当日午前になって思い切って電話をしてみたら、メールをみていないということだった。そして今日は別の予定が入っているので、夕食会への参加は無理だと。彼を抜きでやるのはあまり意味がないので、日程の仕切り直しとなった。結局、ちょうど1週間後に皆の都合がつくことが判り同じ場所で、ということで決着した。

Eメールは電話と違っていきなり相手に飛び込むいうこともなく、到着していれば相手の都合の良いときに読んでもらえるというメリットがある一方で、いつそれを読んだかはわからない。もちろん、機械が不調の場合には配信不能の表示がでるが、そうでなければ、そのまま受け取ったと仮定せざるを得ない。

今回のようなことがあると、やはり、最後には肉声を聞くということが安全だと思ってしまう。今回のようなケースは電話しかない時には起きえなかったはずだ。しかし現実には相手の都合も斟酌しないでかかってしまう電話は、だんだんと無礼なコミュニケーション方式と見なされてきたようだ。すくなくともかけた方の強引さは拭い去れない。そうなると、そんな風には思われたくないという考えが頭をもたげることになり、だんだんと電話をすることに躊躇を覚えるようになる。

一方でメールと言うのはいつでも開封できるばかりでなく、何度でも読み直すことが出来る。何度か読み直しているうちに相手の真意が見えてくることもある。一方で話し言葉による電話はその時限りで、言った内容は記憶に頼るしかない(録音しておけば別だが)。記憶違いと言うことが起きる可能性がそこにはある。これからはお互いに録音しておくようになるのだろうか。しかしそうすると一瞬の間違いも許されなくなる。いかに後で訂正しようと一旦口から出た言葉は取り返しがつかない。しかし、物事を逃げ場のないような厳格なものにする必要があるのだろうか。所詮人間は完ぺきではないし、むしろしょっちゅう間違いを犯すものだからである。

一言既に出ずれば駟馬も追うに能わず

そして、Eメールの誤送信も大きな問題だ。一度知り合いの女性から、突然、旅行記のようなものが送られてきたことがある。恋人と温泉旅行に行った一部始終を詳細に綴った紀行文だった。旅館の雰囲気から、食事、温泉の様子それに恋人や仲居とのやり取りまで、こちらが読むに耐えないようなことまで書いてあった。この紀行文は彼女が(何でも話せるという!)親友に如何に恋が順調なのかを書き送ろうとして誤って自分のほうに送られてしまったものだ。多分五十音順で近くだったからだろう。その数時間後、間違って送ったことへのお詫びのメールが来た。人間には様々な顔がある。相手によって違った顔を見せるのは別段不思議はない。このケースは、そのことを改めて目の前で拡げてくれたようなものだった。

Eメールも万能ではない。また、怖いものでもある。20年ほど前、当時デビューしたての宇多田ヒカルは「Automatic」のなかで、Eメールを受けて、スクリーンの文字を指でなぞると暖かさが伝わってくる、というのがあった。そのころはタッチスクリーンがなかったのでこういうことが言えたが今は下手にタッチなどすると拡大したり消去されたりするし、そもそも画面がかつてと違って熱を持つこともない。しかし、こういうときめきのあった時代が今では懐かしく思い出される。

It’s automatic アクセスしてみると 映る computer screen の中 チカチカしてる文字 (I don’t know why) 手をあててみると I feel so warm 

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小さな芋

2020年08月27日 14時47分14秒 | 日記

親戚の何人かで集まって家庭菜園をやっている。自分が親から譲り受けた800坪ほどの土地にめいめいが種や苗を持ち寄って協力して耕し、収穫物は全員で適当に分配している。これをもう10年来やっているがこのころは高齢化のため参加者は一時よりは少なくなってきた。しかし、全員が親類で子供のころからの知り合いであり、農作業の辛さと言うようなことはなく、半ばピクニック気分、半ば健康運動と、いつも和気藹々といった感じだ。収穫物は到底自分たちだけでは食べきれないので、それぞれ友人や知人に季節の挨拶のように送ったりしてひそかな自己満足にも浸っている。

今年もそろそろ収穫が本格化してきて、先日はジャガイモの収穫をおこなった。春先5月に植えた種芋が花をつけて、乾いて枯れてきたところ、土寄せして少し盛り上がっている畝を何日かかけて手で掘ってゆく(農家は機械を使うのだろうがそこまでの規模ではないので)。言ってみれば幼稚園の芋ほり遠足のようなものだ。今年は比較的大きなのが多く、出来としてはまずまずだろう、

そして成長不足のような小さな芋もある。

去年亡くなった叔母(自分の叔父の連れ合いであり、血縁はない)を病院に見舞いに伺った時、この小さな芋の話になった。と言うのは、親指の先ほどの大きさの芋は通常は捨ててしまうのだが、この叔母はいつもそれを大事に持って帰っていたからだ。そのため、我々の間では、もし小さなお芋があっても捨てないようにと申し合わせていたものだった。

病床ですっかりやせて小さくなった叔母と話をしているときに、彼女が今年の作柄について質問してきた。まあまあですよ、といったら、どんなに小さくてもお芋を無駄にしてはだめですよ、と諭すように言った。食べ物がないということがどんなにつらいことか皆知らないでしょうけど自分は良く知っているから、と。

それまではそれほどその人のことを知らなかったのだが、親戚で彼女のことに詳しい人に話を聞いてみると、彼女は5人兄弟の長女として生まれ、まだ子供のころに両親が相次いで他界し、親戚の家に子供全員が引き取られたという。終戦前後の事でありそういうケースは間々あったのかもしれないが、親を亡くし、子供を揃って引き取った先にも既に子供いて、一気に大家族になる。そして食料の乏しい時期。5人兄弟の長女として下の兄弟の面倒も見ながらの環境の激変には筆舌につくしがたい苦労があったろう。そして、そういった厳しい環境でも子供たちを引き取った養親は如何に善良なひとたちであったか、それでも食べ物に苦労したことは言うまでもない。

叔父と結婚してからは、叔父が比較的豊かな生活をしていたので叔母も上品な山の手の奥様と言うふうに見えていたのだが、そこに至るまでにはそんな苦労があったのだ。それは意外でもあったが、最後の最後になってそういった人生を知ることが出来たのは良かったのだと思う。

その時は、既に病気が進行していて意識も少し朦朧となっていた。自分からは、良くなるから頑張ってください、また来ますから、と言って病室を出た、それが最後の会話になった。2週間ほど経った後、頼まれて、叔父を病院から自宅へ送り届けるため車で病院を訪れた。叔母はもう意識がなくて話をすることはできなかった。その夜、数日間泊まりこんだ後で叔父は帰宅する予定だったが、叔母の容態が不安定なこともありかれは急遽もう一晩病院に泊まりたいと言い出した。わざわざ迎えに来てもらったのに申し訳ないと恐縮する叔父に、全く気にしないでください、自分も今は時間に余裕があるのですからまた何時なりとも声をかけてください、と言って引き取った。

その深夜容態が急変して叔母は亡くなった。あのとき、叔父を病院に置いて帰って本当に良かった。もし、叔父がこちらの事を気にして帰宅していたら多分臨終には立ち会えなかっただろう、と思うとほっとするとともに、叔母が叔父に何かの合図でもしたのでは、と思った。

この叔父には子供がいない。ひょっとすると叔母の子供時代の経験がそうさせたのかもしれないと思った。親戚の家に引き取られた幼い兄弟5人が部屋の片隅に小さくなって固まっている姿を想像すると長女として健気に振舞ったであろう叔母が可哀そうでならなかった。彫りの深い顔立ちの美人で叔父よりも背が高いくらいのすっきりした叔母は、幼少の時にそんな苦労をしていたことなどは微塵も感じさせなかった。つくづくその矜持には頭が下がる思いがした。子供がいないためではないだろうがいつも仲睦まじく、また、時には甥である自分をまるで本当の子供のように接してくれたことが思い出される。

小さな芋でも大事にするという当然のことを忘れて飽食の時代に生きている自分。今回のコロナ騒ぎで農業の働き手が不足し、ひょっとすると食料生産にも問題が起きるかもしれないと思うとき、叔母のあの言葉が重く蘇ってくる。

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