アントワーヌ・ローランの「青いパステル画の男」〈Ailleurs si j'y suis )を読んだ。骨董・古美術品と、パリの歴史と街並み(大革命とオスマンの大改造)と、錯綜する恋とが織りなすサスペンス小説のような、ローランのデビュー作。
骨董品や古美術品などには手を出すべきではない、とは6年ほど前に他界した父の言葉。身の丈に合わない骨董品の収集にはどこかに堕落の匂いを感じていたのか、また、骨董品に夢中になって経済的に破綻した知人でもいたのか、いずれにしても骨董品、という言葉には時に偽物が跋扈するといういかがわしさが父の性格に合わなかったのだと思う。
そういう父を身近に見ていたせいもあっていつの間にか自分も同じような考えに染まっていった。そんな自分にいわば転機のようなものが訪れたのはロンドンに勤務していた時に英国人の友人からオークションハウスでのオークションの見学に誘われたこと。決して無駄遣いなどしないその友人が、オークション会場の魅力を熱く語っていたのには驚いた。あらかじめ手に入れたカタログを見ると実に多種多様なものが競売にかけられる。ちなみにその彼は日本の根付を収集しておりその分野では多少名前が知られていたようだ。
しかし、自分にはまだ骨董品などとは縁がない。当時週末毎にロンドン郊外で開かれる、素人が趣味のものを持ち寄って売買するアンティークフェアーというのがあった。そこでは数ポンドからせいぜい百ポンド程度のものが出品されていてごく普通の趣味人が思い思いに古いものを持ち寄り売り買いを楽しんでいる、というよりも会話を楽しんでいるところ。ここでは大金が飛び交うこともない。せいぜい小遣い稼ぎ、といったところか。
初めてこの会場に入った時はそこに立ち込める埃と金属のさびたような独特の匂いに頭痛がしたものだ。そして、陳列されていた古い食器や燭台、小さな家具などを手に取っていると手が荒れてくる。そこに行くときにはまるでお祭りの夜店での買い物のようにどんなに興味をひくものがあっても一つの予算は100ポンドまでと決めておいた。時には車を走らせていくつかのアンティークフェアーを梯子したこともある。従って骨董品などというのはとてもおこがましく、せいぜい「古いもの集めている」といったところだろうか。それが今でも家のそこかしこに散らばっている。
骨董趣味や古美術品に手を出したわけではないが、最後まで父には古いものに興味を持っているとは言いづらいところがあった。しかし、多分父はこの自分の趣味を知っていたのではないかと思う。
「古いものには魂がある。」