回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

ミューズ

2020年10月31日 14時50分25秒 | 日記

ロンドンの友人からニューヨーク、フリック・コレクションのなかでも人気の肖像画、イギリスの18世紀に活躍したジョージ・ロムニーの描いた「ハミルトン夫人の肖像画(Nature)」にまつわるエピソードが送られてきた。友人の妹がこの美術館の理事をしている関係から紹介のあったもの。この絵を巡るドラマチックな物語をきいていると、どうしても「ミューズ」と言う言葉が頭から離れない。

その話とはイングランド中北部で鍛冶屋の娘エミー・ライオンとして生まれながら数奇な運命の果てにハミルトン卿と結婚。その後はトラファルガー海戦での英雄ネルソン提督との不倫、そして困窮のうちにフランス・カレーで客死するというエマ・ハミルトンの物語である。

ジョージ・ロムニーは画家としてはロイアル・アカデミーには参加していないものの,当時の一流画家と肩を並べる存在だが、47歳の時に17歳のエマの美貌と肉体的存在感に一目で魅了され、生涯に60作以上といわれるおびただしい数の彼女の肖像画を残した。ロムニーにとってエマはまさに「ミューズ」だったのだ。

この「ミューズ」と言う言葉は、なかなか訳しずらいのだが、最近では「私のミューズ」と言うふうによくつかわれることがある。もともとはギリシャ神話に登場するゼウスの娘で音楽・舞踏・学術・文芸などを司る女神が、芸術家の感性を刺激したり創作意欲を掻き立てるようなことを指すのだろうが、最近では芸術家に限らず誰でも、特に惹かれる、気に入った女性に対する賛辞としても使用されているようだ。

「ミューズ」と言う言葉と、「ファム・ファタール」にはどこか似た響きがある。ジョージ・ロムニーにとってはエマはミューズであり、ある意味ではファム・ファタールに近いところがあるが、エマは男を魅了するけれども破滅させたりはしない。むしろ、その美貌ゆえに運命に翻弄された悲劇的な女性と見ることもできる。魅力的な美貌の持ち主は罪作りと言われるがそれでエマを責めるのは酷と言うものだ。今回送られてきた肖像画(Nature)にあるエマの肖像画を見ると僅か17歳でありながら、これから彼女が迎えるであろう波乱万丈の生涯を見抜くような強い視線を感じる。

エマとネルソン提督との不倫関係はネルソンの戦死をもって終止符を打つのだが、その後、イギリス政府はエマに対して厳しい、冷たい態度をとる。ネルソンはイギリスを救った国民的英雄なのだからその不倫などを公的に認めるわけにはいかなかったのだろう。ネルソンのエマに関わる遺言は無視され、彼が望んだ、彼の葬儀でエマが歌うことも実現せず、彼女は葬儀に参列できなかった。

エマとネルソンが1801年から1805年にかけて過ごしたロンドン南部マートンに造営した館マートン・プレースは自分の家のあるウインブルドンからもほど近いところにあった。1805年のネルソンのトラファルガー沖海戦での死後エマはここを追われ、この館も1823年には取り壊されて土地は売却された。今では、近くに碑銘が埋め込まれているに過ぎない。そして、そこにかろうじてエマについての記述がある。

見れば見るほどこの時のエマは蠱惑的である。ジョージ・ロムニーが憑りつかれたのもわからないではない。

Lady Hamilton, Nature

Emma HamiltonとNelsonの過ごしたMerton Place跡地の碑銘

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古いものを大事に使う

2020年10月30日 17時44分30秒 | 日記

朝夕寒くなってきたのでそろそろ暖房が必要かと思っていたところ、一つの部屋の暖房機が故障していることがわかった。不凍液が家の中を回って、それを温風にして部屋を暖めるシステムなのだが、暖房の元になる暖かい不凍液を循環させる栓が開かない。歳とともに力が弱ってきて栓を回す力がなくなったのか、それにしても、そんなに力のいる作業ではないはずなのに何度か試してみてもびくとも動かない。

最近は修理を依頼すると、直せるかどうかを問わず、とにかく出張代と言うことで請求をするという話を聞いていたので、数年前に暖房システムを入れ替えた時に工事してもらったガス会社の子会社に電話をして事情を話すと、まだ5年の保証期間内なのでそれでは、都合の良い日に伺います、費用はいただきません、ということだった。

約束の時間に前回担当した若い技術者が軽四輪に乗ってやってきた。初めに暖房システム全般をチェックした後、問題の栓をチェック、しばらく使っていなかったので、錆び、詰まり、ネジの部分が固まってしまったらしい。慎重に、いろいろな道具を使いながら、少しづつ調整し、最後にはどうにか温風が出るようになった。これで、今年の冬も乗り越えられそうだ。

古い大きな家なので、暖かい不凍液が家中に回るためには時間がかかるらしく、部屋ごとの暖房の使い方をきめ細かに調節しなければならない、と。初めて知ったのだが、暖房システム能力の制約から全室を一斉に全開にして温めることは出来ないようだ。それぞれの部屋では、少し抑え気味にして利用しなければならないらしい。この家が建てられたのはもう半世紀ほど前になるからその時はそれで良かったのか、あるいは、そんなに温めなくても冬を乗り越えられたのか(我慢強かった?)。

しかし、古い温風機の利点は単純な設計であることだ。手動で風量を調節するくらいで、最近のように自動的に温度設定をするとか、人間がいることを察知するセンサーだとか予約と言った機能はついていない。これらは便利ではあるがその分故障することが多い。こういった複雑な機械はどこか一か所でも故障したらすべてが止まってしまう。この点、古い機械はそもそも故障する可能性のある箇所がすくない。修理に来た若い技術者も、このままでもうしばらく使えますよ、と言って新しい機械を売り込もうとはしなかった。

こんな古い機械を大事に使おうとして、イギリスで、古い暖房システムと悪戦苦闘したことを思い出した。ロンドンに赴任して住んだ何軒目かの家は古い一軒家だった。そこは、大きくて庭が広くて気に入って借りたのだが、その家の暖房がかなりの年代物で、たびたび故障する。おかしな音を立てる、暖かい水が出ないなど、それで修理を頼むのだが、修理に来る連中はサービスも愛想もまったく良くない。一応、その道のエキスパートと名乗っていたが、どう見ても素人と変わりない水準。結局費用ばかりかかっていつも不満だらけだった。会社の同僚に聞いてもそれがここでの一般的なものと諦めていた様子だった。古いものを大事に使うというのはそれを支えるサービスがあっての話だ。どこを見ても古い建物ばかりだし、古いものでも大事に使う、と言う先入観があったのだが、それがすこし裏切られたような気がしたものだ。それで、自分で何でも修理するというDIY(Do it yourself)が盛んなのだ、と言うことも聞いた。骨董品などを見てもわかるように、古いものを大事に使うというイギリスの文化は脈々と生き続けているのに、日常生活の不便を我慢しなければならない、と言うのはなんとも皮肉。

翻って、日本ではいつも最新の高性能の家電や機械が手に入る。一方で、古いものはさっさと買い替える、といわれていたが、最近はそうでもないらしい。経済が停滞してきたためか、あるいは、人々がものを大切に長く使おうとし始めているのか、良くは判らない。しかし、今回修理してくれた若い技術者は古いものを見下すことはなく、その利点もキチンと知っていた。多分彼が特別と言うことはないのだろう。自分の思いこみも変えるようにしなければ。日本には古いものを生かそうとするサービスがあるようだ。

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捨てる

2020年10月29日 14時05分06秒 | 日記

本棚が窮屈になってきたので、古い本を捨てようと思った。注文した新しい本や知人から送られてくる本、定期的に購読している本が届くたびに、隙間を見つけてあちこちに押し込んできたが、それもそろそろ限界に近づいてきたから。まずは、本棚のひとつから、もう読むこともないであろう本を選んで捨てようと思った。だが、いざ捨てるとなると、急に未練が湧いてきて、決断が鈍ってしまった。

いずれこの家も主をなくして取り壊される運命にあるし、その際には、何かしら金銭的な価値のあるものを除いて、一遍に廃棄されてしまうのだろう。経済的な価値がなく、個人の思い出につながるようなものは所詮、他人にとっては何の価値もない。自分にだけ意味があるものはセンチメンタルバリュー、情緒的価値、というものだ。こういった価値を共有することはなかなかできない。

一冊づつとりだしてみると、それがここに来たのはそれなりの事情?があったのだし、すぐに捨てなかったのは、いつか読み返すかもしれない、と思ったからだろう。本によっては買った時、読んだ時の思い出すぐに蘇ってくるものもあれば、なぜこんな本を買ったのだろう、と思うようなものもある。有名人にでもなれば、その人の手にした本、と言うことで何かの価値がでるのかもしれないが、所詮市井の人にすぎない自分のような場合にはそれは当てはまらない。

そういうことで、この作業は遅々として進まず。こうしてみると決断力に欠ける、と言われても仕方がない。結局、捨てるのは諦めて、いくつかの箱にでも詰めて家のどこかに置く事にした。時間が経てば気が変わるかもしれない。その時でも遅くはないだろう。問題の先送り、と言われればそれまでだが、やはり後で後悔したくないという気持ちが勝った。

たかが本を捨てる、と言うのでも簡単なことでは無く、勇気のいることだとしみじみ思った。何のこだわりもなく(そう見えるだけかもしれないが)、捨てることの出来る人を尊敬してしまう。おもえば、捨てる、と言う場面にはあまり遭遇したことがない。人並みに、若い頃は、振った、振られたという話が耳に入ってきた。酷い奴だ、と思ったり、慰めてやったりもした。しかし、どうも自分にははっきりした経験はない。ただ、鈍感だっただけなのかもしれないが、幸運なことに仕事の上でも上司や同僚に見捨てられた、と言った記憶はない。ひょっとすると捨てられる前に自分から身を引いていたり、あるいは仕事なら十分な予防線を張って置いたりして、捨てられるということには至らなかったのかもしれない。しかし、そうだとするとそれはそれで少し寂しくはないか?

もう一度冷静になって考えてみると書棚が窮屈になったからと言って本を捨てる、と言う発想自体が良くないのかもしれない。毎日のようにおびただしい数の書物が世に現れるがそのほとんどすべて(と言ってもいい)が最初の一瞬を除いて誰の目にも止まることなく図書館の本棚の中で長い眠りにつく、というのが現実だ。

ワシントン・アービングの「スケッチブック」の中の「文学の変転 ウエストミンスター寺院での対話」の中に、そういった本の嘆きが描かれている。どういう縁か、ここの本棚までたどり着いてのだからもう少し大事にしてあげなければ。

私はよく知っている、天上を謳うあらゆる詩人の歌は、大いなる辛苦を伴うにもかかわらず、その歌を求める人のいないことを。そして、世の中の単なる賛辞ほど軽いものはないことを。(ウイリアム・ドラモンド)

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名刺

2020年10月28日 16時23分15秒 | 日記

たいていの人はそうではないかと思うが、自分が初めて名刺を持ったのは就職した時のこと。配属が決まってその部署に行ってみるとまず課長に紹介され、すぐに課長が課員全員に紹介してくれた。そして課長の秘書が自分の座る机のところに案内してくれた。机のカギをもらって引き出しを開けると基本的な文房具の他に緑色のセルロイドのケースに入った名刺がひと箱入れてあった。学校出たての新人だからそんなに名刺を使うことはないのだろうが、100枚が最小単位だったから、かなり厚めの名刺箱だったと思う。20枚ほどを名刺入れに入れて後は机の中に保管しておいた。課長からは、名刺は安易に配ってはいけない、何かで悪用されるかもしれないから誰に渡したかはきちんと覚えておくように、と念を押されたのが記憶に残っている。

最初に名刺を渡したのは家に戻って配属先と仕事の中身を簡単に説明した時の父にだった。そうか、と言ったくらいで特に何も言わずに受け取ってすぐに部屋に戻っていったように思う。その時既に母は他界していたから、もし母が生きていたらどんな反応を示したか、母は何事にも信心深い人だったから、少し感激した後(いつもの母の行動から判断すると)無事を祈願してまず、家にある神棚と仏壇にしばらく置いておいたのではないかと思う。一方で父は少なくとも子供の前ではあまり感情を表に出さなかった。

その部署には1年弱在籍したのだが内部での事務が殆どで(ほかのところでは、同じ組織の中でも名刺を交換したらしいが自分の所属したところは内輪での名刺交換の習慣はなかった)、使ったのは、関係先への挨拶や学生時代の友人などとお互いの名詞の交換、父の知り合いに挨拶に行った際に渡したくらいで、結局、少し余ったように思う。そして次の部署に異動になったらすぐにまた別の名刺が用意されていた。このやりかたはその後もずっと続いていた。いつの間にか、自分が部署の責任者になって、異動してくる人の準備を秘書に確認する中に、名刺が手配されているか、が初めのほうに入っていたから、この習慣と言うか重要性は自分の中にも刷り込まれていたのだろう。

いくつもの仕事が重なって余裕のないような時、何度か名刺にまつわる夢を見た。それは、重要な面談の際に名刺を忘れてしまった、あるいはどこかの書類に紛れて名刺が見つからない、といった、脂汗の浮くような状況に追い込まれるものだ。いくら名刺入れを探しても自分の名刺が出てこない、とか、前の部署の名刺を持ってきてしまったとか、いずれにしてもパニックになるには十分な場面。

そこで飛び起きてしまうのだがそのあとは目が冴えて眠れなかった、ということもあった。実際はそういうことはなかったのだが、どこか潜在意識の中にいつも失敗の恐怖感のようなものがあったのだろう。だから名刺にはいつも最大の注意をはらっていた。一度だけ、南アフリカ、ヨハネスブルグに出張中、想定外に大勢の人との名刺交換があり、ついに名刺が底をつきそうになったことがあった。その時はホテルのビズネスセンターなるところに駆け込んで大急ぎで名刺をつくってもらった。1時間ほどで出来上がった名刺は、いつもの名刺とは比べ物にならないくらい貧弱な印刷だったがそれでも名前と組織名がきちんと印刷されていたので良しとしなければならない。多分この名刺を受け取ったひとは、ずいぶん質素な名刺、と思ったに違いない。

どちらかと言うと異動の多い方だったから、自分自身の名刺もかなり数になってそのうち、過ぎた部署のことは振り返らない、などと気取ったこともあって、いつの間にか自分の名刺もすべては揃っていなくなった。特に海外転勤時には思い切って荷物の整理をしなければならなかったので、それもきちんと保管していなかった言い訳にした。

最初の名刺は父に渡したがその後は必ずしも全て父に渡したわけではない。それが、父が他界して生前使用していた机を整理しようと引き出しを開けてみたら、父の名刺の束とは別にその最初の自分の名刺をいちばん上にして、渡した名刺が全部しわひとつなく、黄ばみもせずに綺麗に保管されていた。多分誰にも触れさせずに机の引き出しにしまっていたのだろう。受け取った名刺を見ながら、部屋に戻っていった父の後姿が思い出される。

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視線

2020年10月27日 14時54分52秒 | 日記

コロナ禍のために、中止、延期となっているもののひとつに各種の国家資格試験がある。特定の職業に就職しようとする場合にはこういった資格試験に合格しなければならないが、今は試験会場の確保や感染防止策の徹底のために試験そのものが行われておらず、就職を考えている人は不安を覚えている、と言うニュースが流れていた。

この状況を打開するために国家試験を主催している各種団体は試験の方法を変え、会場・時期の分散、個別ブースに入っての受験やオンライン試験を導入したりして実施することを検討している。オンラインの場合の課題の一つは、いわゆるカンニング(不正)をどうやって防ぐか、ということらしい。そのために、受験生にはまず顔をコンピュータに認証させ、試験中には顔を録画し、その視線の動きを常時記録してもし不自然な視線の動き(例えばスマホを見る、あるいは他人の答案をのぞき込む)があれば、AIがそれを分析して、不正の確率を計算する、というものだ。AI が一定以上の不正の可能性の数値を出すと不正が疑われそれに対応する(どういう風にするかはまだ不明)。

視線の動きによって、今まで出来なかったことをするというのは大いにありうることだ。既に、例えば難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の方が、視線でパソコンの文字を選んで入力する意思伝達装置によってメッセージを伝える、というのが実用化されているから、視線を利用したものはますますその応用範囲が拡大されるだろう。

色々な感覚のなかで、視線を感じる、と言うのはかなり微妙なものだ。しかし、誰にでも「視線を感じる」と言う経験はある。自分はどちらかと言うと神経質な方ではない(と自分では思っている)から、普段は余り視線を感じるということはなかったが、それでも、実際、某共産国に出張した時には、空港やホテルそれに面会先などでどこからからの視線を常に感じたことがある。同僚に言わせると、そういった国ではその道の専門の者が外国人の挙動をかなりの確率で監視しているらしい。したがってそう思うのには十分な理由があったわけだ。誰だかわからない、視線を常に感じ続けるのは本当に不気味である。

以前知り合いの女性から、ある宴席で彼女は向かいに座った商談相手の男性の視線をずっと胸に感じていたたまれなくなり席をはずして、上にもう一枚着込んだことがあるという話を聞いた。その日は少し気合を入れた服装だったのだがそれが裏目に出たのか。一枚着込んできたら相手から、寒いですか?と訊かれたというが、本当のところは口にできないので、少し換気の風が当たっていたので、と答えたという。こういう話をされた時は、たまたま向かい合って座っていたのでたとえ意図的でないにしても視線を下の方に下ろすわけにはいかなかった。また、一緒に歩いている男女のうち、男性の視線が通りすがりの女性に向けられたりしたら、それはすぐに連れの女性にはわかるのだという。恋する女性は男の視線の先まで見通す力がある?

視線は向けるほうも向けられた方も、向けたと分かることも、なかなか厄介なものだ。受けたい視線がある一方で受けたくない視線がある。それが時と場合、相手によって違ってくるのだからむつかしい。とくに、その思いが互いにすれ違ってしまうときには。柔らかい視線、暖かい視線、冷たい視線、厳しい視線、糸を引くような視線と視線には数限りない。こういった話を始めたらきりがないか。

散歩の途中にすれ違う大型犬の視線。また、どこかでいきなりクマに遭遇した場合。いずれも視線を合わさずに後ずさりするのが正解らしい。間違っても背中を向けて走って逃げようとしてはいけない。その点、いくら視線を向けても文句一つ言わない、ナナカマド。まだ幼い頃、大きな暗い森を横切ることがあって、その時には周囲から何かの視線のようなものを一身に感じて、夢中で走って森を突っ切ったことがある。それは木の視線だったのか、あるいは・・・クマでなくてよかった。

 

 

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