ロンドンの友人からニューヨーク、フリック・コレクションのなかでも人気の肖像画、イギリスの18世紀に活躍したジョージ・ロムニーの描いた「ハミルトン夫人の肖像画(Nature)」にまつわるエピソードが送られてきた。友人の妹がこの美術館の理事をしている関係から紹介のあったもの。この絵を巡るドラマチックな物語をきいていると、どうしても「ミューズ」と言う言葉が頭から離れない。
その話とはイングランド中北部で鍛冶屋の娘エミー・ライオンとして生まれながら数奇な運命の果てにハミルトン卿と結婚。その後はトラファルガー海戦での英雄ネルソン提督との不倫、そして困窮のうちにフランス・カレーで客死するというエマ・ハミルトンの物語である。
ジョージ・ロムニーは画家としてはロイアル・アカデミーには参加していないものの,当時の一流画家と肩を並べる存在だが、47歳の時に17歳のエマの美貌と肉体的存在感に一目で魅了され、生涯に60作以上といわれるおびただしい数の彼女の肖像画を残した。ロムニーにとってエマはまさに「ミューズ」だったのだ。
この「ミューズ」と言う言葉は、なかなか訳しずらいのだが、最近では「私のミューズ」と言うふうによくつかわれることがある。もともとはギリシャ神話に登場するゼウスの娘で音楽・舞踏・学術・文芸などを司る女神が、芸術家の感性を刺激したり創作意欲を掻き立てるようなことを指すのだろうが、最近では芸術家に限らず誰でも、特に惹かれる、気に入った女性に対する賛辞としても使用されているようだ。
「ミューズ」と言う言葉と、「ファム・ファタール」にはどこか似た響きがある。ジョージ・ロムニーにとってはエマはミューズであり、ある意味ではファム・ファタールに近いところがあるが、エマは男を魅了するけれども破滅させたりはしない。むしろ、その美貌ゆえに運命に翻弄された悲劇的な女性と見ることもできる。魅力的な美貌の持ち主は罪作りと言われるがそれでエマを責めるのは酷と言うものだ。今回送られてきた肖像画(Nature)にあるエマの肖像画を見ると僅か17歳でありながら、これから彼女が迎えるであろう波乱万丈の生涯を見抜くような強い視線を感じる。
エマとネルソン提督との不倫関係はネルソンの戦死をもって終止符を打つのだが、その後、イギリス政府はエマに対して厳しい、冷たい態度をとる。ネルソンはイギリスを救った国民的英雄なのだからその不倫などを公的に認めるわけにはいかなかったのだろう。ネルソンのエマに関わる遺言は無視され、彼が望んだ、彼の葬儀でエマが歌うことも実現せず、彼女は葬儀に参列できなかった。
エマとネルソンが1801年から1805年にかけて過ごしたロンドン南部マートンに造営した館マートン・プレースは自分の家のあるウインブルドンからもほど近いところにあった。1805年のネルソンのトラファルガー沖海戦での死後エマはここを追われ、この館も1823年には取り壊されて土地は売却された。今では、近くに碑銘が埋め込まれているに過ぎない。そして、そこにかろうじてエマについての記述がある。
見れば見るほどこの時のエマは蠱惑的である。ジョージ・ロムニーが憑りつかれたのもわからないではない。
Lady Hamilton, Nature
Emma HamiltonとNelsonの過ごしたMerton Place跡地の碑銘