昨日は、佐倉市戦没者追悼式に参列。
太平洋戦争開戦の前年に生まれ3歳でお父様が出征し戦死なさったので、お父様のお顔も知らないとおしゃるご遺族の方のごあいさつの中で、
戦中戦後の厳しい日々の体験を語られました。
空襲の時は、小さい子どもは防空壕の一番奥で息苦しかったこと。
お父様の戦死を知らされた時も終戦を知らせる玉音放送も、まったく意味が分からず実感もなく、戦後も食べる物がなく
お弁当にのってるのは梅干しと沢庵。麦飯も少ししかなかったので、お芋がお弁当の大半を占めていたことなど
私を含めて物が溢れる戦後生まれの我々は、平和を守るために戦中戦後のこのようなお話を何度も伺い、語り継ぐことが大切です。
これまでの戦争で亡くなられた方々の追悼式に参列させて頂く意義を重く感じながら献花させていただきました。