以前から気にはなっていたのだが、写真におけるセルフポートレートの意味って何だろうと考えた。ただ、自分に向けてシャッターを切っただけといえば、それだけのことなんだけど、もうちょっとそこには意味があるように思えてならない。
つまり、写真を自分自身の投影であると考えたとき、そこにまた自分の姿があると言うことだ。これを、どう考えたらいいのだろう。あたかも2枚の鏡をお互いに向け合ったような状態だ。そこには幾重にも重なった不思議な空間が広がっている。
数学で言えば再帰呼び出しともいえるし、エンジニアリングなら正帰還回路だ。なかなか扱いが難しい対象である。下手をすると発振してしまう。
BESSAにはセルフタイマーがない。もちろんハッセルにもない。だから今までは自分の姿というのを全く撮っていなかった。おいそれと人にとってもらうわけにも行かないし。で、今日シャッターのレリーズにねじ込んで使うセルフタイマーを買ってきた。大分躊躇したけど、思い切って買った。
もちろん、家族みんなで記念撮影もいいんだけど、ちょっとだけセルフポートレートのことも考えた。いつ撮るかはわからないけど、でもいつか撮ってみたい気もする。
セルフポートレートを撮る気分、それって何だろう。単なるナルシズム(?)と言うことでもないと思うのだけれど。
つまり、写真を自分自身の投影であると考えたとき、そこにまた自分の姿があると言うことだ。これを、どう考えたらいいのだろう。あたかも2枚の鏡をお互いに向け合ったような状態だ。そこには幾重にも重なった不思議な空間が広がっている。
数学で言えば再帰呼び出しともいえるし、エンジニアリングなら正帰還回路だ。なかなか扱いが難しい対象である。下手をすると発振してしまう。
BESSAにはセルフタイマーがない。もちろんハッセルにもない。だから今までは自分の姿というのを全く撮っていなかった。おいそれと人にとってもらうわけにも行かないし。で、今日シャッターのレリーズにねじ込んで使うセルフタイマーを買ってきた。大分躊躇したけど、思い切って買った。
もちろん、家族みんなで記念撮影もいいんだけど、ちょっとだけセルフポートレートのことも考えた。いつ撮るかはわからないけど、でもいつか撮ってみたい気もする。
セルフポートレートを撮る気分、それって何だろう。単なるナルシズム(?)と言うことでもないと思うのだけれど。