少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

最良の方法を見つける方法

2006-09-20 22:30:42 | 哲学
以前にも同じようなことを書いた気もするが、まあいいだろう。もう一度最良の方法を見つける方法について考えてみることにしよう。峠を越えるときに、いつ自分が峠に立ったかを知るためには、峠を越えて下ってみる必要がある。頂を越えて初めて、その直前に峠に立っていたことが分かるのである。

物事も同じだと思う。つまり、行き過ぎて初めて最適の方法が認識される。失敗しない限り成功を知ることはできない。でも、これではいつも行き過ぎて失敗するということになってしまう。「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」である。これでは困るのである。それでは、どうすればいいのだろう。

最近私は一つの方法に気が付いた。自分が失敗して、他の人に成功してもらえばいいのではないかと。なんだか難しそうな話である。確かにちょっと説明しにくい。つまり、何事においても自分ひとりでするということはまずない。多くの人がかかわってプロジェクトは進んで行く。そういう時、自分の考えを他の人にぶつけてみる。差し支えない範囲の話であれば、それは認められていく。

「会議をしたら議事録をつけましょう。」

そういって反対する人はそうはいまい。これは多分、正しいけど最良の方法ではない。他にもやるべきことはたくさんあるに違いない。もうちょっと過激なアイデアをぶつけてみる。そのうち、ちょっとそれはどうかなあという人が出てくるかもしれない。でも、だからといってそう簡単に引き下がってはいけない。粘る。何とか説得する。もしかすると他の人も納得してくれるかもしれない。とすれば、これもベストのアイデアではないということだ。まだいける。

このプロセス繰り返していくと、どこかで他人が譲れない考えを主張することになる。いくらがんばっても、それはダメというところが見えてくる。そうしたら、あきらめるのだ。

「エッ、あきらめちゃうの。」

と思うかもしれない。そう諦めるのである。つまり、自らの意見を通すことに失敗するのである。そして、他の人に勝ちを譲るのだ。自らがギリギリのところで負けることによって、そのプロジェクトが進むべき最良の方法を導き出す、これが私の考えた最良の方法を見つける方法だ。ぱっとみると、いつも最後は人に押し切られて自分の意見を通すことのできない「ふがいないやつ」に見えるかもしれない。まさにその通り。でも、実際には私はプロジェクトを思うどうりに進めているのである。それも最善の方法で。

あなたの周りにもいませんか。いつもニコニコしながら道を譲っているように見えて、いつの間にかプロジェクトを進めてしまう人。なんか仕切っているようにはちっとも見えないのに、なぜか物事をまとめていく人。そういう人はキット、この方法を理解しているに違いない、と思うんだけど。どうでしょう。