少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

攻撃的共生について

2011-06-06 23:22:30 | 哲学
なんだか物騒な題名に驚かれたかもしれない。私自身、バイオテクノロジーのある本1を読むまでこの言葉を全く知らなかった。でも、「攻撃的共生」というのは知らなくても、「共生」という言葉なら聞いたことがあるだろう。よく知られている自然界の共生は、イソギンチャクと魚のクマノミだ。共生とは2種類の生物が、お互いに助け合って生きている状況を指す。ただ、ここに挙げた例を含めて両方が平等に共生の関係から利益を享受しているとは限らないらしいが、そのことにはここでは深く立ち入らない。

さて、それでは攻撃的共生とは何だろうか。その本によれば、例えばAIDSのようなウイルスと人間の関係が、それにあたるらしい。普通に考えればAIDSウイルスなどというものは、人間に感染して致死的なダメージを一方的に与える悪い奴と誰も思うだろう。それなのになぜこれが共生と言えるような関係なのか不思議に思うのも当然だ。

確かに、そうしたウイルスは人に感染すると猛烈なダメージを与え、多数の死をもたらす。これを感染淘汰と呼ぶ。しかし、多数の人にウイルスが感染してくうちに、AIDSに感染しても死なない人が出てくるかもしれない。そのAIDS耐性をもった人は、耐性を持たない人に比べて生存する可能性が高まり、結果的にその新しい種が繁栄して進化が進むことになる。そうしたプロセスの途中でウイルスは人のDNAの中に取り込まれて宿主である人間と共生関係を築くことがある。これを攻撃的共生というのだという。ウイルスがどんな利益を人に与えるかというと、同じDNAを持たない生物に感染して、徹底的に競争相手を殺してしまうことによって宿主に貢献するという訳だ。この共生の攻撃的な部分はここからきているらしい。

人間のDNAの配列が解析されて、その中身をよく調べてみると、明らかにウイルスのものと思われる配列がいくつも見つかっているのだそうだ。つまり、人類の進化の中で、一度や二度どころか何度も攻撃的共生関係が起こったのらしいのである。残念ながらAIDSと人間の関係は、まだ攻撃的共生というレベルではなく、上に述べた感染淘汰の段階にあるようだ。

いわゆるダーウィンの進化論では、突然変異によって生まれた新しい種が自然選択によって繁栄していくことによって進化していくということになっている。しかし、ここで説明した攻撃的共生は、人間とウイルスの関係性そのものが、自然選択を受けて繁栄し、新たな種を生み出していくというものだ。もちろん、攻撃的共生においても突然変異は重要な役割を果たしているわけで、両者は完全に独立なメカニズムではないが、古典的なダーウィニズムにはなかった考え方であることは間違いないだろう。

ビジネスにおいても、生み出された新製品や新サービスが、市場という環境の中で消費者の嗜好という淘汰圧力を受けるという話はよく聞く。でも会社と会社、会社と消費者、製品と製品などの関係を工夫することによって、それが社会の中で進化を遂げていくこともあるのではないかと思う。製品そのものの価値を社会の縦糸とすれば、お互いの様々な関係は横糸と言えるのかもしれない。その両方をきちんと紡がないことには強い布は織れないのだろう。

1フランク・ライアン:破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた、早川書房