バリ島にはバロンダンスという独特の踊りがある。何でもバリでは良い魂と悪い魂が必ず同時に存在するという考え方があるといい、この踊りにもそうした考え方が反映されている。200人は入れそうな観光用の劇場でバロンダンスを見た。現地の言葉で繰り広げられていく物語は正直ってよくわからなかったが、そのダンスに出てくる「バロン」というのが良い魂の象徴であり、「ランダ」というのが悪い魂の象徴なのだという。ガメランというバリの楽器の音楽が後ろで延々と流れる中、物語が進んでいった。お話はシリアスな内容なのだが、登場人物は何となくお茶目な感じのキャラクターだった。それは南国のカラフルな衣装とも関係があるのかもしれない。
話の内容は解説を読むしかないのだが、そのストーリーはどこをとっても矛盾をはらんでいる。ある場面では、敵を攻撃しようと思っていても、実はそれが自分に向けられるように呪いをかけられていたりする。話の中身はシリアスなのに、出てくるキャラクターは三枚目だったりするのもそうだ。そして最後にいたってバロンとランダは果てしのない戦いを繰り広げ、それは延々と続いていくのだという。善と悪の限りない戦いである。
こういう思想がバリ特有のものなのか、それとも地元の宗教であるヒンズー教の考え方なのかはよくわからない。でも、こういう世界観って確かにあるなあという気がした。物事というのはすべからく善と悪が絡まりあっている。それは、それを見る角度によって善にも見えるし悪にも見えるかもしれない。絶えずそのありようは変化していて、とどまることなく延々と続いていく。
そんな見方をするようになると、世の中で起こっていることに対して「しかたがない」という気持ちがわいてくるのではないかと思った。最近この言葉で大臣の椅子を追われた国会議員がいた。そのことの是非をここで議論するつもりはない。しかし、過去の出来事が良いことなのか悪いことなのかを乗り越えて「しかたがない」と思うことは、大切なことではないかと私は思う。「しかたがない」は「どうでもいい」ということではない。物事には善と悪が混じり合っていることを認めた上で現状を受け入れる、そういう気持ちを指すのだと思う。
インドネシアの感謝の挨拶は、胸の前に手を合わせて「テレマカシー」という。すると相手は「サマサマ」といって返してくる。この「サマサマ」というのが、何となくおかげ様みたいな語感で楽しい。この挨拶をすると地元の人は必ず微笑んでくれる。水道の水を飲むとおなかを壊したり、空港でボッタクリのポーターがいたりするが、インドネシアというのは何か親しみのもてる国だった。機会があればまた行ってみたいと思う。
話の内容は解説を読むしかないのだが、そのストーリーはどこをとっても矛盾をはらんでいる。ある場面では、敵を攻撃しようと思っていても、実はそれが自分に向けられるように呪いをかけられていたりする。話の中身はシリアスなのに、出てくるキャラクターは三枚目だったりするのもそうだ。そして最後にいたってバロンとランダは果てしのない戦いを繰り広げ、それは延々と続いていくのだという。善と悪の限りない戦いである。
こういう思想がバリ特有のものなのか、それとも地元の宗教であるヒンズー教の考え方なのかはよくわからない。でも、こういう世界観って確かにあるなあという気がした。物事というのはすべからく善と悪が絡まりあっている。それは、それを見る角度によって善にも見えるし悪にも見えるかもしれない。絶えずそのありようは変化していて、とどまることなく延々と続いていく。
そんな見方をするようになると、世の中で起こっていることに対して「しかたがない」という気持ちがわいてくるのではないかと思った。最近この言葉で大臣の椅子を追われた国会議員がいた。そのことの是非をここで議論するつもりはない。しかし、過去の出来事が良いことなのか悪いことなのかを乗り越えて「しかたがない」と思うことは、大切なことではないかと私は思う。「しかたがない」は「どうでもいい」ということではない。物事には善と悪が混じり合っていることを認めた上で現状を受け入れる、そういう気持ちを指すのだと思う。
インドネシアの感謝の挨拶は、胸の前に手を合わせて「テレマカシー」という。すると相手は「サマサマ」といって返してくる。この「サマサマ」というのが、何となくおかげ様みたいな語感で楽しい。この挨拶をすると地元の人は必ず微笑んでくれる。水道の水を飲むとおなかを壊したり、空港でボッタクリのポーターがいたりするが、インドネシアというのは何か親しみのもてる国だった。機会があればまた行ってみたいと思う。