田圃の稲も健やかに育つ時、霊場めぐりは今回から最後の千葉県に入った。
利用する高速道路が回り道になるため、朝早い6時過ぎの旅立ちになった。
ついでに回り道して、犬吠埼灯台や鹿島神宮や潮来のアヤメを見て回った。
前川あやめ園の花はまだ四部咲き程度で、一週間後には満開になるだろう。
「アヤメとカキツバタ、花元の綾ノ目(あやめ)がアヤメだ」と、ひげ爺の独り言。
潮来あやめ園、実はアヤメは数少なく花も終わり ハナショウブが多いようだ。
坂東観音霊場二十九番: 海上山 千葉寺 本尊 十一面観世音菩薩
京成千葉寺駅に近い街中にあり、山号やご詠歌から海に縁あることが判る。
和銅2年行基が十一面観音を安置し、聖武天皇の勅願を得て大寺となった。
平安時代に火災で焼失し、中世に下総の豪族千葉氏によって復興がなった。
その後何度かの火災と戦災に遭い、現在の本堂は昭和の再建となっている。
道路に面した壮大な山門をくぐると、整備された境内には銀杏の巨木がある。
坂東観音霊場二十七番: 飯沼山 圓福寺 本尊 十一面観世音菩薩
銚子の利根川河口近くに色鮮やかな五重塔が目に入る。壮大な楼門をくぐる
と正面が観音堂で、漁師の網に掛かったと伝えられる本尊を安置している。
縁起によると神亀5年、漁師が引き上がった観音像を仮堂に奉ったという。
その後弘法大師が訪れ、大師の徳を慕った諸豪族の寄進で大伽藍をなした。
昭和の空襲と戦後の復興のため、境内は二分され本坊は200㍍南にある。
坂東観音霊場二十八番: 滑河山 龍正院 本尊 十一面観世音菩薩
成田市北辺の利根川に沿う滑河、そこに滑河観音と呼ばれる龍正院がある。
寺伝では承和の時、冷害に見舞われた領主が観音菩薩に祈願したと言う。
その時老僧が河から十一面観音像をすくい上げて「河渕より涌く乳水をなめ
よ」と教えたことから、「なめかわ」と称して堂宇を建立したと伝えられる。
茅葺きの仁王門に、火災延焼を止めた事にちなんだ注連縄が下がっている。
利用する高速道路が回り道になるため、朝早い6時過ぎの旅立ちになった。
ついでに回り道して、犬吠埼灯台や鹿島神宮や潮来のアヤメを見て回った。
前川あやめ園の花はまだ四部咲き程度で、一週間後には満開になるだろう。
「アヤメとカキツバタ、花元の綾ノ目(あやめ)がアヤメだ」と、ひげ爺の独り言。
潮来あやめ園、実はアヤメは数少なく花も終わり ハナショウブが多いようだ。
坂東観音霊場二十九番: 海上山 千葉寺 本尊 十一面観世音菩薩
京成千葉寺駅に近い街中にあり、山号やご詠歌から海に縁あることが判る。
和銅2年行基が十一面観音を安置し、聖武天皇の勅願を得て大寺となった。
平安時代に火災で焼失し、中世に下総の豪族千葉氏によって復興がなった。
その後何度かの火災と戦災に遭い、現在の本堂は昭和の再建となっている。
道路に面した壮大な山門をくぐると、整備された境内には銀杏の巨木がある。
坂東観音霊場二十七番: 飯沼山 圓福寺 本尊 十一面観世音菩薩
銚子の利根川河口近くに色鮮やかな五重塔が目に入る。壮大な楼門をくぐる
と正面が観音堂で、漁師の網に掛かったと伝えられる本尊を安置している。
縁起によると神亀5年、漁師が引き上がった観音像を仮堂に奉ったという。
その後弘法大師が訪れ、大師の徳を慕った諸豪族の寄進で大伽藍をなした。
昭和の空襲と戦後の復興のため、境内は二分され本坊は200㍍南にある。
坂東観音霊場二十八番: 滑河山 龍正院 本尊 十一面観世音菩薩
成田市北辺の利根川に沿う滑河、そこに滑河観音と呼ばれる龍正院がある。
寺伝では承和の時、冷害に見舞われた領主が観音菩薩に祈願したと言う。
その時老僧が河から十一面観音像をすくい上げて「河渕より涌く乳水をなめ
よ」と教えたことから、「なめかわ」と称して堂宇を建立したと伝えられる。
茅葺きの仁王門に、火災延焼を止めた事にちなんだ注連縄が下がっている。