コロナ禍でのマイクロツーリズム、中山道4番目の宿場「大宮宿」の散策だ。
さいたま新都心駅東口の階段を降りれば、眼前の道路が中山道の街道である。
まずは浦和方面の南に100m歩くと、道路の向かい側に小さい祠があった。
そこには、二つの伝説になっている「お女郎地蔵」と「火の玉不動」の石仏。
中山道を戻る形で北に向かうと、5~6分で「氷川神社一の鳥居」前に出る。
道は二手に分かれるが、「武蔵國一宮」の古い石柱を眺め中山道を直進する。
整った道路を進むと吉敷町の交差点、十字路を過ぎると左手に木造の立派な
瓦葺の門がある、それは江戸にあった加賀前田家の門を移築したものという。
さらに北に歩き、至誠堂ビルの路地を右に入ると「塩地蔵・子育地蔵」の祠。
戻って中山道を進むと「旧大宮宿」になるが、ビルの街並みには面影もない。
天保時代の大宮宿は、本陣1軒に脇本陣9軒で人口1508人と記録される。
街道右の第四銀行脇を入って、小さな「涙橋」の杭石碑を見て街道に戻った。
進むと間もなく大宮駅前通りの交差点、左側の高島屋デパートが旧北澤本陣
の跡地とのことで、屋上には北澤家の屋敷稲荷「北澤稲荷」が祭られていた。
大宮の中心地を北に進み、大栄橋東詰めの先を右に入ると「大宮山東光寺」。
この先は大宮宿を離れるが、さらに歩くと右側に「官幣大社氷川神社」の碑。
そこで右折し「裏参道」を進んで氷川神社を参拝し、朝の散歩道経由で自宅
に戻ると、歩数11132歩で消費熱量352.2㌔カロリーで距離は7.6kmだった。
『自粛でのコロナ太りが 少しは解消されたのかな??』と、ひげ爺の独り言。
さいたま新都心駅東口の階段を降りれば、眼前の道路が中山道の街道である。
まずは浦和方面の南に100m歩くと、道路の向かい側に小さい祠があった。
そこには、二つの伝説になっている「お女郎地蔵」と「火の玉不動」の石仏。
中山道を戻る形で北に向かうと、5~6分で「氷川神社一の鳥居」前に出る。
道は二手に分かれるが、「武蔵國一宮」の古い石柱を眺め中山道を直進する。
整った道路を進むと吉敷町の交差点、十字路を過ぎると左手に木造の立派な
瓦葺の門がある、それは江戸にあった加賀前田家の門を移築したものという。
さらに北に歩き、至誠堂ビルの路地を右に入ると「塩地蔵・子育地蔵」の祠。
戻って中山道を進むと「旧大宮宿」になるが、ビルの街並みには面影もない。
天保時代の大宮宿は、本陣1軒に脇本陣9軒で人口1508人と記録される。
街道右の第四銀行脇を入って、小さな「涙橋」の杭石碑を見て街道に戻った。
進むと間もなく大宮駅前通りの交差点、左側の高島屋デパートが旧北澤本陣
の跡地とのことで、屋上には北澤家の屋敷稲荷「北澤稲荷」が祭られていた。
大宮の中心地を北に進み、大栄橋東詰めの先を右に入ると「大宮山東光寺」。
この先は大宮宿を離れるが、さらに歩くと右側に「官幣大社氷川神社」の碑。
そこで右折し「裏参道」を進んで氷川神社を参拝し、朝の散歩道経由で自宅
に戻ると、歩数11132歩で消費熱量352.2㌔カロリーで距離は7.6kmだった。
『自粛でのコロナ太りが 少しは解消されたのかな??』と、ひげ爺の独り言。