こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

名古屋の夜はふけて

2014年12月16日 00時19分41秒 | おれ流文芸
 13日(土)に岐阜県へ。第12回下田歌子賞の表彰式に招待されて恵那市岩村町に入った。初めての土地にキョロキョロと。魅力いっぱいの町だった。人生で初めて味わう『最優秀賞』のウハウハ気分だったせいもあったかも知れないが、それにしても素敵な風土が私をトリコにした。
 うっすらと雪に染まる情景も、日ごろのせかせかした生活を忘れさせてくれた。それにしても、昨日の何とも空しい親子体面はなんだったのだろうか?
 せっかくの機会と、一日早く名古屋に。少し離れた南岡崎駅前の居酒屋店長として働く長男の顔を見たくて足を伸ばしたのだ。家を離れて数年、家にも帰れない息子の事は毎日心配していた。それでも、恥ずかしながら息子の顔が、笑顔の記憶が薄れていく自覚に焦燥感を憶えていたのも事実だ。
 妻や姉妹にメール連絡はあっても、父親は無視。男親とはこんなものだろうかと諦めてはいたが、やはり親子は親子。実に複雑である。
 居酒屋のレジで訊ねた。
「お店のスタッフに○○がおりますか?親父なんですが……」「あ?店長さんの…」
 何とも面はゆい。そこにアイツがやって来た。華やかな法被姿の息子だった。
「あれ?どないしたん?」
「ああ。ちょうどこっちにくる機会が出来たから、ついでに寄ったんや」
「よう一人で、来れたなあ」
「若い時は、わしも東京に何回も一人で出向いたもんやで」
親父の真の姿を息子はまず知ることはないだろう。私は心の中で苦く笑った。
「一人やけど、席あるか?」
 私も飲食業を長年やっていた。一人客の扱いが難しいのはよく分かっている。まして、今は忘年会シーズンと来れば、一人客は歓迎されない。その通りだった。
「あかん。いま一杯やわ」
 賑わう客席を振り返った息子はあっけらかんといった調子で言った。
「そうかそうか。そうやろな。わかった、もう行くわ。無理せんと頑張れや」
 ちょっと気張った風を見せて背中を向けた。居酒屋の外に出るとピューッと『信州の空っ風?』が首筋を襲った。ブルルと身震いすると、足を踏み出した。
「また帰るわ」
 いきなり居酒屋の引き戸が開いて息子が笑って言った。記憶から遠ざかろうとしていた愛する息子の笑顔が、そこにあった。
「おう。帰って来い。待っとるぜ」
「気―つけてな」
 息子の声を背中で聞きながら、私は闇が広がる東岡崎の夜の中を歩んだ。胸が切なさで占められていた。宿泊先にあぶれての名古屋駅前を始発便の早朝5時過ぎまでの深夜6時間余りを歩きまわった。あしが痛くなる程だった。携帯の歩数計は3500歩を示していた。歩かないと厳しい寒さを我慢できなかったろう。最初に考えていたマックでの時間稼ぎは、24時間営業が最近の不景気のせいで3時閉店。1時からテークアウトだけの切り替えに変わっていた。入るだけ無駄だった。だから、ひたすら歩いて夜を過ごした。
 表彰式記念イベント会場で受けた親身な対応に、いつしか昨夜の空しさと疲弊感がみるみる癒されるのを感じた。
 『最優秀賞』の立場は、思った以上に心地よかった。東京ほかの遠方から足を運んで来た入選者らは、家族や友人を伴っているのが多かった。内心羨ましかった。子供が4人いる家族だが、結局いつも私は一人で行動するしかないようだ。今回は主役とあって、その孤独さも感じる暇は貰えなかったのが好きだった。
 帰り道。恵那から名古屋駅に。駅前のバスターミナルから出る新バスは最終便24時30分。5時間余りを持て余すことになる。フッと東岡崎に行ってみたい誘惑に駆られた。が、すぐあきらめた。もういい……。
 また歩きはじめた。名古屋駅の雑踏を何度も行き来し、忘年会帰りの若い人たちの風俗を見て楽しんだ。考えてみれば、私にもあんな時があった。もう40年近く前になる。年齢は無情に加算されて現在に至っている。
 バスターミナルは若者たちで溢れていた。案内スタッフのやはり若い男女が凍えるような寒さに身をこごめながらも、テキパキと人ごみをさばいている。大したものだ。頭が下がる思いだった。
 神戸大阪方面行きの深夜バスは満席だった。バスの二階席の後部に男性客が集められた配置だった。他が若い女性ばかりなのに、頗る驚いた 時代は私が予想する以上に変わっているのだろう。疲れがどっと出て来る。
 深夜バスがスタートすると同時に、私の意識は遠のいた。もう眠りは誰にも邪魔されないのは確かである。
 ただ、今日は人生の終わりを控えた私には、冥利に尽きる一日だった。それで充分なのではなかろうか。たぶん……!

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