淳二の帰郷祝いの形で、家族揃って鋤焼きの卓を囲んでいた。何かと言えば鋤焼きを囲むのが、昔からの習慣だった。
酒とビールも出て、淳二と淳朗の兄弟だけが呑んだ。父は最近胃潰瘍と診断され、酒を含む刺激物を断っている。
根っから酒好きで晩酌を欠かした事のない父の姿しか知らない淳二は、いかにも不思議そうな顔をした。しかし、父は取り合わず、黙々と鋤焼きに箸を運んだ。
「ああ、遊ぶには持って来いの所だけどな」
そう、遊ぶにはあんないい街はない。だが、田舎人が、特に関西人が暮らすには不向きだ。淳二は遠い所を見詰めた。
「ほなら、お前にはピッタリやった訳や」
皮肉でもない口調で淳朗は言った。少し呂律が狂いかけている。
「だけど、遊ぶには金が要るんだからな」
「仕送りじゃ足りんかったんか?」
「あれはアパート代と飯代でパーさ」
「東京は物が高いさかいな」
「ああ」
淳二が入った会社は一年もたたないうちに倒産した。それもただの倒産ではない。計画倒産と言うやつである。粉飾経理の揚句、突然に経営陣の姿が消えた。
淳二がいつも通りに出社した時、既に会社は債権者で一杯になっていた。淳二を目敏く見付けた債権者の一人が詰め寄って来た所を、這う這うの体で逃げ出した淳二である。
結局、給料も貰えなかった淳二に、広い東京で縋る相手は誰一人いなかった。
「ええ女の子でも見付けたんかい?」
「駄目や。全く相手にされんかったわ」
口惜しいが、三年間の東京生活では全然女性と付き合う機会に恵まれなかった。一度は好みの女の子に声を掛けてみたが、結局軽くあしらわれてしまった。以来、怖くなった。
「窪田浩美って覚えとるか?」
「え?」
「お前の同級生やがな、覚えてないんか」
「い、いや知ってる。あの子がなんや?」
窪田浩美は頭が良くて、いつも級長をやっていた。実は淳二が心ときめかせた相手である。その浩美を忘れる筈がなかった。確か、東京の名門S女子大に合格している。
「可哀想に、あの子死んだんや」
信じられない言葉だった。
「それも東京のラブホテルでらしいんや」
淳朗の眼が、瞬間淫らに光った。
「ほんまに何しに東京へ行ったんやら」
いきなり母がボソッと言った。
淳二はドキッとした。母の言葉が、まるで自分にむけられているように思えた。
「田舎もんが東京なんど行っても、ロクな目に遭わんわい」
母の言葉に誘発されたみたいに、父がまるで怒っているように言った。
仕舞い風呂にゆったりと身を沈めると、やっと自分の家に帰った気がした。東京で通った銭湯の騒々しさに、全く落ち着けなかった苦い光景がフッと浮かんで消えた。
足と手を思い切り伸ばした。体がフワーッと湯に浮いた。実に爽快な気分である。
焚き口に人の気配がした。
「どうや、湯加減は?ぬるうないか?」
父の声だった。心なしか年を随分食った感じがする。もう六十を越している。
「うん、大丈夫や。熱いぐらいかな」
「お前は熱い湯が嫌いやったのう」
「まあね」
父の言葉が跡切れた。それでも立ち去る気配はなかった。焚き口に座り込んだのか。
「…どないするんや?こっちで」
一分ほど沈黙が続いて、やっと話し出した父。 (つづく)
酒とビールも出て、淳二と淳朗の兄弟だけが呑んだ。父は最近胃潰瘍と診断され、酒を含む刺激物を断っている。
根っから酒好きで晩酌を欠かした事のない父の姿しか知らない淳二は、いかにも不思議そうな顔をした。しかし、父は取り合わず、黙々と鋤焼きに箸を運んだ。
「ああ、遊ぶには持って来いの所だけどな」
そう、遊ぶにはあんないい街はない。だが、田舎人が、特に関西人が暮らすには不向きだ。淳二は遠い所を見詰めた。
「ほなら、お前にはピッタリやった訳や」
皮肉でもない口調で淳朗は言った。少し呂律が狂いかけている。
「だけど、遊ぶには金が要るんだからな」
「仕送りじゃ足りんかったんか?」
「あれはアパート代と飯代でパーさ」
「東京は物が高いさかいな」
「ああ」
淳二が入った会社は一年もたたないうちに倒産した。それもただの倒産ではない。計画倒産と言うやつである。粉飾経理の揚句、突然に経営陣の姿が消えた。
淳二がいつも通りに出社した時、既に会社は債権者で一杯になっていた。淳二を目敏く見付けた債権者の一人が詰め寄って来た所を、這う這うの体で逃げ出した淳二である。
結局、給料も貰えなかった淳二に、広い東京で縋る相手は誰一人いなかった。
「ええ女の子でも見付けたんかい?」
「駄目や。全く相手にされんかったわ」
口惜しいが、三年間の東京生活では全然女性と付き合う機会に恵まれなかった。一度は好みの女の子に声を掛けてみたが、結局軽くあしらわれてしまった。以来、怖くなった。
「窪田浩美って覚えとるか?」
「え?」
「お前の同級生やがな、覚えてないんか」
「い、いや知ってる。あの子がなんや?」
窪田浩美は頭が良くて、いつも級長をやっていた。実は淳二が心ときめかせた相手である。その浩美を忘れる筈がなかった。確か、東京の名門S女子大に合格している。
「可哀想に、あの子死んだんや」
信じられない言葉だった。
「それも東京のラブホテルでらしいんや」
淳朗の眼が、瞬間淫らに光った。
「ほんまに何しに東京へ行ったんやら」
いきなり母がボソッと言った。
淳二はドキッとした。母の言葉が、まるで自分にむけられているように思えた。
「田舎もんが東京なんど行っても、ロクな目に遭わんわい」
母の言葉に誘発されたみたいに、父がまるで怒っているように言った。
仕舞い風呂にゆったりと身を沈めると、やっと自分の家に帰った気がした。東京で通った銭湯の騒々しさに、全く落ち着けなかった苦い光景がフッと浮かんで消えた。
足と手を思い切り伸ばした。体がフワーッと湯に浮いた。実に爽快な気分である。
焚き口に人の気配がした。
「どうや、湯加減は?ぬるうないか?」
父の声だった。心なしか年を随分食った感じがする。もう六十を越している。
「うん、大丈夫や。熱いぐらいかな」
「お前は熱い湯が嫌いやったのう」
「まあね」
父の言葉が跡切れた。それでも立ち去る気配はなかった。焚き口に座り込んだのか。
「…どないするんや?こっちで」
一分ほど沈黙が続いて、やっと話し出した父。 (つづく)