こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

兄の信頼と思いやりを知った日

2014年12月28日 00時20分49秒 | おれ流文芸
兄の信頼と思いやりを知った日

十年間続いた喫茶店の経営も、あっけなく終わりを迎えた。生後一年に満たない赤ん坊を含む三人の子供を抱え、蓄えなどないまま、収入源を失うはめになった。崖っぷちに立たされた私を支えてくれたのは妻だけだった。

失意の中での居候生活

「大丈夫よ。しばらく休養する気でいればいいわ。何とかなるって。私が頑張る番だから」
 妻は出産を機に辞めていた保母職に復帰した。臨時職であるため収入は少なかった。それがいまや一家の生計を担っていた。家計は厳しく、私は恥を忍んで、田舎の父に救いを求めた。
「お前の家やないか。気兼ねいらんぞ。はよ、みんなで帰ってきたらええ」と父。
「二人きりの兄弟やで。水臭いこといわんと、さっさと帰らんかい。にぎやかで楽しいなるやないか」と、兄も笑顔で迎えてくれた。
 田舎に落ち着いた私たちは、環境の変化こそ徐々になれてきたが、生活の苦しさは変わらなかった。私も働かなければと思うのだが、赤ん坊の面倒を頼める相手がいない。小学生の長男と長女の送り迎えや世話もあった。私は新しい仕事に踏み出すきっかけを失っていった。
 最初こそ、やらなければという義務感が優先したが、時間が経つにつれ、大の男が仕事につけないでいる状況へのジレンマが、徐々に私を苦しめていった。仕事から帰ってきた疲れ気味の妻をやさしく迎えるゆとりすら失っていた。兄は、そんな私たちのことをいつも気に掛けてくれた。
「焦ったかて、どないもならへん時はあるもんや。一年や二年、回り道したと思うたらええやないか。わしら、たった二人きりの兄弟やで。頼らんかい。兄貴に任しとけや」
 年子で育った兄弟。小さい頃から、何かにつけ私をかばってくれた兄。お互いに家庭を持った今も、そんな兄は健在だった。
 失意と傷心を引きずった田舎での居候生活も半年近く続いた。状況に全く好転の兆しは見られなかったが、兄も、兄の家族も、温かく接してくれた。私は、みんなが優しくしてくれるほど、ますます肩身が狭くなった。
 心理的に追い込まれた私と妻の間に、小さな諍いが目に見えて多くなった。本来なら、家族のために懸命に働いてくれる妻をやさしく慰労し感謝の気持ちを表すものなのに……。私は相手を思いやれないほどに精神的に追い込まれ身勝手になっていた。

兄が残してくれたもの

「おっちゃん!」
 ある日のこと、血相を変えた姪が飛び込んできた。異常な雰囲気に、私の胸は並みだった。
「どないしたんや?」
「……死んだ……!」
「?」
「お父さん……死んだ!」
「ウッ!兄貴が……死んだ……?」
 父と兄、二人でやっていたブリキ屋。職人の兄は、高さ四メートルの足場から落下して亡くなった。父の目の前で即死だった。
 朝、出掛けに顔を合わせた。
「おはよう。仕事行ってくるわ」
 と、いつもと同じ笑顔を見せた兄は、数時間後に新でしまった。
 兄の遺体と対面。通夜。葬儀。あっという間に時間は過ぎていった。
 一周忌の翌日、呼び寄せた私に話しかける父の顔は神妙だった。
「お前の家を建てるぞ」
「え?」
「元気やった頃から、兄ちゃんな、ずっとわしに言うとったぜ。お前に落ち着き場所を作ったらなあかん。長男やから、俺には最初から家があった。そやさかい、えらそうなことも言えたし、仕事かてちゃんとできとる。弟にも同じ条件、与えたらな、俺は大きい顔して説教もできひん。なあ、あいつの家、建てたろや。なあ、親父。そない言うてなあ」
 思いもよらない話だった。私の事をそこまで思いやってくれていた兄。あの底抜けに明るかった兄の笑顔が私の脳裏を占めた。
「あいつ、俺と同じ土俵に立っとったら、絶対負けよらん奴や。頭はわしよりええし、負けん気も俺以上や。家を持ったら、家族を守るために、ええ仕事やってのけるで。……自分のことみたいに言うとったわ」
父の口を借りて伝えられる、兄が弟に託した励ましと、期待と信頼。言葉も出せずに目を潤ませる私に、父は大きく頷いた。
 翌週から、私の家作りは始まった。赤ん坊を傍らに置いて、草刈りから盛り土、聖地と、父との二人三脚の作業が続いた。その過程で、私のために手配してくれたに違いない兄の足跡をあちこちに発見した。職人として年季を積んでいた兄の段取りは確かだった。
三年余りかかった家作り。その間に、私の置かれた環境も大きく変わった。こどもたちも、さほど手のかからないほどに成長していた。私自身は、家作りに直接たずさわることで、仕事についていた頃の自信と意欲を取り戻していた。
家の完成を前に、私の再出発は実現した。仕事も自分で見つけた。ガムシャラに働いた。回り道をした時間を取り戻すように……。
もちろん何度も行き詰まったが、そのたびに兄の顔が浮かんだ。
(……絶対負けへん奴や。……ええ仕事やってのけるで)
 兄の叱咤と激励がいつも身近にあった。やるしかなかった。兄の分も!
 兄の急逝から、十八年。還暦を前にした私が懸命に生きてきた人生を、堂々と兄に報告する私だった。
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