こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

憂鬱な逃亡・その1

2014年12月24日 00時06分59秒 | おれ流文芸
憂鬱な逃亡

 朝起きた時から、どうも気分はしゃんとしなかった。だいたい月曜日の朝は、いつもこんな具合に始まり、なかなか軌道に乗らない日が多い。朝は元々苦手だが、中でも日曜明けは特別に酷かった。それでも洗面に立って、トイレを済ませると、何とか出勤する気になった。朝食は昔から取らない習慣で、時間があれば駅前の喫茶店に入って珈琲を注文する。それに付いて来るモーニングすらあぐねてしまう程、朝は胃がなかなか目覚めないでいる。家から二十分かけて自転車、S駅から姫路駅まで四十分。駅前の喫茶店で十分ばかり過ごし、それから十五分歩いて職場に入る。ディーゼル機関車の引っ張る列車が遅れない限り、毎日判で押したような行動だった。
 S駅でギュウギュウ詰めの列車に押し込まれて、祐介の気分は一層滅入った。田舎育ちのせいでか、どうも人混みは苦手だった。姫路駅に降り立つと、祐介はたまらず駅頭のベンチに座り込んで頭を抱えた。頭が痛んで、気分は最悪だった。吐き気すら覚えた。やっと落ち着くと、祐介はぼんやりと人の流れを見た。通勤の人の波が狭い改札口に殺到している。改札の制服は手慣れたもので、器用に捌いていた。仕事とはいえ見事だった。祐介は目を閉じて、イヤイヤでもするように頭を振った。スーッと奈落の底へ落ち込む感じで目眩を憶えた。尻をベンチの上で、前の方にずらせた。グッタリと、まるで酔っ払いである。腕時計を確かめると、九時十五分前だった。もう動き出さなければ間違いなく遅刻してしまう。祐介はフラッと立ち上がった。まだ人並みの義務感は残っていそうだった。夢遊病者みたいな足取りで、祐介は東出口に回った。改札を出ると、見知った顔に出喰わしはしないかと、キョロキョロと辺りを見回した。駅員以外に人影は見当たらなかった。祐介はなぜかホッとしたものを感じたが、今度は足が前に踏み出せなくなった。早く出勤しなければとの焦りは募るのだが、それがうまく全身の筋肉に伝達しなかった。身体が妙に気怠かった。祐介はプレッシャーに逆らうのを止めて、近くの電話ボックスに入った。かれこれ三年も勤める職場だが、その電話番号はいまだに記憶できない。それで別に支障もなく勤まっているのが不思議だった。これまでに外から職場に電話を入れたのは二度しか憶えがなかった。その二度の電話も、この二、三ヶ月の間で最初のは、やはり今朝と同じ月曜日、憂鬱な気分で迎えた朝だった。 
 あの朝も駅に着いた早々、気怠さに襲われてベンチでひと休みしたが、遅刻は間違いなしとなって、慌てて電話ボックスに走り、せっつかれたように手帳の一ページ目に書かれた数字を辿ってプッシュボタンを押した。
「あの、ちょっと熱が高うて、済んませんけど、少し遅れてから、仕事出よ思て」
 大分逡巡した末に、職場の電話口に出た事務員に嘘を告げた。祐介は見えない相手に殊更ペコペコと頭を下げた。その日は一時間ばかり遅れて仕事に出た。いつもの駅前の喫茶店で無為に時間を過ごした挙げ句、職場に駆け足で向かった。二度目は、三週間前の、やはり月曜日だった。起き抜けから気分がすぐれずに、姫路駅まで何とか辿り着いたものの、どうしても職場へ出る気にならないまま、やはり前回に倣って電話ボックスに入った。
 今度は前の時よりは、かなりスムーズに職場へ電話が入れられた。相手は同じ事務員だったが、彼もこなれた調子で受けた。
「ちょっと足…捻挫しちゃって、病院に回ってから、仕事に出ます。
 捻挫なんて口から出任せだったが、何の罪悪感も感じず、えらくスラスラと口から出た。それで午前中は姫路城の城内公園のベンチでボヤーッと過ごし、結局、仕事に出たのはその日の昼過ぎになった。同僚が捻挫を心配して、声をかけてくれるのに、えらく焦って弁目にこれ務めたものだった。
三度目の正直ってやつなのかも知れなかった。祐介は手帳をめくる手が小刻みに震えているのに気がついた。何か大それたことをしでかす前に、こんな風に心の乱れが手足の末梢部位に反映したりするものだ。祐介は気後れする自分を鼓舞しながら電話をかけた。
「はい、清流倶楽部ですが」
職場はすぐにつながって、例の事務員の、苦々しい程事務的で明るい声が応じた。まだ二十歳になったばかりの事務員は、まさしく青春を謳歌していた。五時になると、同僚がいかに残業で追いまくられていようとも、些かの躊躇もせずに脱兎の如く職場を出る。以前、盛り場で見かけた彼は、身なりのいい美人と手を繋ぎあって歩いていた。他にもかなり発展している彼女がいるらしかった。
「あの、矢島です。今日休ませて貰いたいんですが。はあ、田舎の方で不幸がありまして。いえ、伯父なんですが」   (続く)
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