こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

心に残る先生の笑顔

2014年12月29日 04時42分33秒 | おれ流文芸
心に残る先生の笑顔

「ちょっと手を見せて」
 面接の水野先生はいきなり言った。
恐る恐る出す手を易者のようにためつすがめつした先生はにやりと笑った。
「器用な手をしとるな。
なんか得意なもんあるやろ。
手先使うてやるもんで」
「漫画を描くのんが好きです」
「へえ、すごいなあ。
それやったら料理なんかもっと簡単や。
コツを僕が教えたる」
 書店に勤めていた私が一念発起して入学を目指したのが、みかしほ調理専門学校。
料理にさほど興味がある方ではなかったが、当時外食産業が花開き始めた時期で、それにちゃっかりと乗っかった格好である。
当時勤めていた書店の仕事に行き詰まっていた。
(このまま本屋の店員でいていいのやろうか?
対面販売が苦手じゃダメだよなあ)と自問自答の日々だった。
別に書店の仕事に不満があるわけではない。
ただ自分に合っているのか、ずーっと疑問に思いながらで、中途半端な仕事の取組みだった
 そんな時に目にしたのが地方新聞の片隅にあった学生募集広告だった。
『これからの花形、外食産業の担い手を育成。初心者に調理技術を分かり易く指導。
調理師免許習得。一流のレストラン、ホテル、割烹店…に就職できます。』と、心をそそられるアピールは私に決意を促した。
すぐに応募書類を用意して申し込んだ。
そして面接に立ち会って貰えたのが、あの先生だった。
水野先生である。
 みかしほ調理専門学校に通い始めた。
クラス担当の水野先生は学園長と同じ姓だったが、親戚でも何でもない。
腕とキャリアを買われて転職し、全般的な生徒指導を担当していた。
歴史ある著名なホテルのレストランでシェフだったらしい。
かなり太目で落語家の柳家金語楼にそっくりの風貌からは、とても想像できなかった。     それにざっくばらんな態度で生徒に接して人気があった。
 クラスは三十人ほどで、中学を卒業したばかりの男子から、主婦、定年退職した男性らと、バラエティに富んだ顔ぶれだった。
年齢差や男女差、生活のゆとりの差はあっても、目指すものはひとつである。
別に違和感もなくいい仲間意識が生まれた。
 実習と調理理論などの教科も、初体験なので面白かった。
初めて手にする包丁も、先生の指導通りに使うと、うまく切れた。
砥石で研ぐ授業も、なんとか乗り越えた。いつの間にか私はクラスのまとめ役の一人になっていた。
順調に進む調理師への道だった。
 ところが、半年経ったころ問題が起こった。仲良くなった学校仲間数人で授業を抜け出してパチンコに興じたのが見つかり大問題となった。
仲間に中学を卒業したばかりの男子を加えていたからだ。
謹慎処分を食らった。
 謹慎期間が明けた私は水野先生に呼ばれた。
誰もいない教室で先生と向かい合った。
あの面接の時と同じ光景だった。
しかし、先生の様子はまるで違っていた。
「いいか。調理師ってのは世間から偏見を受けて見られてる。まるでやくざな仕事そのものに思われているのが普通なんや」
 水野先生の顔は真剣だった。
私は頷いた。
「だからと言って君がいい加減な調理師になっていいはずがない。僕は社会に胸を張って堂々と仕事が出来る調理人を育てたくてこの調理師学校に転身したんだ。
よく覚えておいてほしい。
調理の仕事は人様の大切な命を預かっているんだぞ。お医者さんと同等なんだ。
だからこそ、常識も専門知識も技術も、どれもないがしろにしたらアカンのや。
今回の君らの行動は、僕の思いを裏切った。それを十分分かってほしい。
君にはクラスの模範的な役割を期待しとるから。
自分の夢を実現するために今は余分な事は自重するんや」
 水野先生の言葉は重かった。
顔を上げると、先生の笑顔があった。
ご機嫌取りのものではない。
信頼するものへ向けるものだった。
私は歯を食いしばった。(この先生の思いを、もう裏切れない。
先生が願う調理師の社会的な認知のために、いま自分が出来ることをやる。
もうよそ見はしない)先生の目に答えた。
 私の調理師修業は新たな段階に入った。
水野先生が見つけてくれた観光ホテルのレストランでアルバイトをしながら、卒業後の自分を模索しながら、調理経営や栄養学の苦手な分野もぎりぎりながら合格点を取った。
「ええか。君らの卒業まであと一か月や。
よう頑張ったなあ。
これからは少しぐらい羽目を外しても許したる。
ともに学んだ調理師仲間の思い出づくりに励んだらええ。
ばらばらになっても仲間を忘れんようにな」
 それが水野先生の最後の言葉だった。
翌日学校で知らされた驚きの事実。
水野先生の急逝だった。
くも膜下出血で倒れた先生は、運ばれた病院で息を引き取ったのだ。
 卒業式の日。教え子一人ひとりの心に、水野先生の笑顔はあった。
勿論、私の胸の内にも、(よう頑張ったなあ)と笑う先生がいた。
コメント
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