雨の中を歩いて、近くの町まで買い物に出かけた。傘は交通の迷惑になると考え、ビニールの合羽を羽織って歩いた。歩道が車線と並行して走る幹線道は、ラクラク歩けるが、歩道のない道路は大変だ。スピードを緩める車はまず見当たらない。特に大型トラックはむやみやたらに飛ばして走り去る。トラックが生じる風に巻き込まれてふらつく。水はねをまともにかぶる。たぶん、運転手には歩行者の存在など気にもならないのだろう。
三叉路では、横断する私の前に左折者が割り込んで走り去った。女性ドライバーの軽乗用車である。安全のために止まるという概念は微塵もないらしい。「そこどけそこどけ、おクルマが通る」なのだ。歩行者はクルマを優先的に通すのが、彼ら彼女らの考え方なのだろう。
事故は一瞬にして起こる。起これば、もう取り返しはつかない。一度経験した交通事故で得た教訓である。
免許の取得に法規や構造の学科はあるが、思いやりを問うものはない。いくら不適切でも法律に違反しないものは罰を受けない。いまの社会にはびこる風潮である。思いやりやモラルを軽視する世の中ほど危なかしいものはない。それが交通安全では命にかかわる事態となりうる危険性を帯びてしまう。思いやりが運転の適性判断に加われば、事故は半減するかも知れない。そうなってほしいと、切に願う。
50分程歩いて目的のスーパーにたどり着いた。緊張とストレスの現実を乗り越えて来て、かなり疲れていた。それでも、免許やクルマを持たぬ交通弱者は、過酷な現実から逃げるわけにはいかない。帰りも雨とクルマに悩まされながら歩くしかすべはないのだから。
三叉路では、横断する私の前に左折者が割り込んで走り去った。女性ドライバーの軽乗用車である。安全のために止まるという概念は微塵もないらしい。「そこどけそこどけ、おクルマが通る」なのだ。歩行者はクルマを優先的に通すのが、彼ら彼女らの考え方なのだろう。
事故は一瞬にして起こる。起これば、もう取り返しはつかない。一度経験した交通事故で得た教訓である。
免許の取得に法規や構造の学科はあるが、思いやりを問うものはない。いくら不適切でも法律に違反しないものは罰を受けない。いまの社会にはびこる風潮である。思いやりやモラルを軽視する世の中ほど危なかしいものはない。それが交通安全では命にかかわる事態となりうる危険性を帯びてしまう。思いやりが運転の適性判断に加われば、事故は半減するかも知れない。そうなってほしいと、切に願う。
50分程歩いて目的のスーパーにたどり着いた。緊張とストレスの現実を乗り越えて来て、かなり疲れていた。それでも、免許やクルマを持たぬ交通弱者は、過酷な現実から逃げるわけにはいかない。帰りも雨とクルマに悩まされながら歩くしかすべはないのだから。