最近よく耳にするのが、1人ラーメン屋・1人喫茶店・1人学食・1人映画鑑賞・1人美術館など、ひとりで利用・行動することが市民権を得ているらしい。昔は複数名でないと、肩身の狭い思いをしていたのが、お一人様が世間で肯定されるようになっているという。
わたしにすれば、いまさらという感じである。社交性が全く欠けていた私の青春期は、どこへ行くにしても「おひとりさま」。B型のいて座は、そんなところがあるらしい。職場での忘年会や歓迎送会など、共同行動は嫌で嫌でたまらなかった。
そんなわたしに、気軽に付き合える友人など出来っこないから、喫茶店や食事に行きたくても、誘う相手がいない。どうしてもひとりで行動することになる。
しかし、飲食店をひとりで利用するのは、そう簡単にはいかなかった。入り口で二の足三の足を踏んだ挙句諦めてしまうことはしょっちゅうだった。なんとか席に案内されても、気が気じゃない。メニューなど見る余裕などない。すぐできるものを注文して、急いで食べると席を立った。お金を払うのも、何か申し訳ない気持ちを払しょくできなかった。そんな孤独な客に多いのが、相席が苦手だという皮肉。苦労して生き抜いてきたのである。
そんなおひとり男が、何を思ったのか、劇団を作って若い人を率いたのだ。劇団はグループ行動である。よくまあ、10数年劇団運営が継続できたものである。その突拍子もない行動が、周囲の誰もが思っていたであろう「お前、結婚できひんわ」をひっくり返したのである。やはり、チャレンジや冒険は、何かを得られるを実証したようだ。その後、若者を捉まえては、「冒険しろ。やりたいことは、諦めずに冒険してみろよ。きっとええことが起きるからな」と言い続けてきたから、人生って面白すぎる。
そんなおひとりでを苦労してきたのがアホちゃうかと言われかねない社会風潮が世の中でまかり通り始めた。ひとりカラオケ(ひとカラ)から一挙に「ひとり○○」が増え始めたようだ。
もう気兼ねなく、ひとりでなんでも利用できる時代の到来だ。本当は。その風潮を喜びたいところだが、今の心中は複雑である。スマホもそうだが、もう思いやりや気配りが死語になってしまうのではいかという危惧を覚えるからである。おひとり様青春を生き抜いてこなければならなかった私なのに、身勝手な思いだと理解はしているのだが……。(苦笑)
わたしにすれば、いまさらという感じである。社交性が全く欠けていた私の青春期は、どこへ行くにしても「おひとりさま」。B型のいて座は、そんなところがあるらしい。職場での忘年会や歓迎送会など、共同行動は嫌で嫌でたまらなかった。
そんなわたしに、気軽に付き合える友人など出来っこないから、喫茶店や食事に行きたくても、誘う相手がいない。どうしてもひとりで行動することになる。
しかし、飲食店をひとりで利用するのは、そう簡単にはいかなかった。入り口で二の足三の足を踏んだ挙句諦めてしまうことはしょっちゅうだった。なんとか席に案内されても、気が気じゃない。メニューなど見る余裕などない。すぐできるものを注文して、急いで食べると席を立った。お金を払うのも、何か申し訳ない気持ちを払しょくできなかった。そんな孤独な客に多いのが、相席が苦手だという皮肉。苦労して生き抜いてきたのである。
そんなおひとり男が、何を思ったのか、劇団を作って若い人を率いたのだ。劇団はグループ行動である。よくまあ、10数年劇団運営が継続できたものである。その突拍子もない行動が、周囲の誰もが思っていたであろう「お前、結婚できひんわ」をひっくり返したのである。やはり、チャレンジや冒険は、何かを得られるを実証したようだ。その後、若者を捉まえては、「冒険しろ。やりたいことは、諦めずに冒険してみろよ。きっとええことが起きるからな」と言い続けてきたから、人生って面白すぎる。
そんなおひとりでを苦労してきたのがアホちゃうかと言われかねない社会風潮が世の中でまかり通り始めた。ひとりカラオケ(ひとカラ)から一挙に「ひとり○○」が増え始めたようだ。
もう気兼ねなく、ひとりでなんでも利用できる時代の到来だ。本当は。その風潮を喜びたいところだが、今の心中は複雑である。スマホもそうだが、もう思いやりや気配りが死語になってしまうのではいかという危惧を覚えるからである。おひとり様青春を生き抜いてこなければならなかった私なのに、身勝手な思いだと理解はしているのだが……。(苦笑)
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