こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

暑い!

2016年08月21日 00時31分47秒 | 文芸
朝早く、娘と孫娘は帰って行った。わずか1週間余りの里帰りだったが、暑さも相まって結構疲れた。最終日、あの孫娘が抱き上げても泣かずににこにこ。時々喜びの奇声を上げた。少し慣れたんだろうな、メガネのおじいちゃんに。でも、次の里帰り時には、また元の木阿弥なのは確実だ。早く早く大きくな~れ!初孫よ。と願う、ちょっと可哀そうななおじいちゃんである。とまれ、がらんとした家に、ただ一人。これもまた寂しい話だ。
バタン!と音がした。末娘の部屋からだ。本人はアルバイトと、所属しているオケの練習で、きょうは1日いない。大学が休みでも忙しそうだ。その娘の部屋を覗いてみた。
ハムスターとモルモットにデグマウス、そしてポーランドロップイヤー(うさぎのフクちゃん)らが留守番中だ。
さっきの「バタン」という音は、フクちゃんが家族の気を引くための行動にのひとつである。
ひとつひとつケージの住人に声をかけてから、最後にフクちゃんのケージの前に座り込む。フクちゃんはいそいそと落ち着かない。入り口を開けてやると、飛び出てきて、私の足元にまとわりつく。左手の手のひらに顎を載せて、「撫でてよ」とせがむ。この仕草が、もうたまらなく可愛い。いまなら、初孫よりかわいいく思えるかもしれない。(自分になつかないからって、それはないだろうと、心の声・苦笑)
暑い中イオンから戻ると、さっそくフクちゃんのご機嫌伺いだ。「あれ?」ケージの中で珍妙な光景が。「あれれ?」
そう!だいぶん前に暑さしのぎと思える行動を発見したが、やはり同じことをやっている。トイレを持ち上げて、床との間に体を潜り込ませている。やはり暑いのだ。
大阪で37度を記録したと聞いている。げんなりと何もしたくないと参ってるわたしを仇笑うかのように、フクちゃんは暑さに向かって行動を起こしていたのだ。「やるな、おぬし!」
そこで証拠写真を撮っておいた。
そのあとで、フクちゃんと扇風機の前でしばし戯れて時間を過ごしたのだった。(笑い)
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かみしめる

2016年08月20日 01時17分47秒 | 文芸
図書館に行くと、その楷にあるホールでなにか催し物があるらしい。何人か並んでいる。もの好きなわたし、列の後ろに並んだ。
列に並んで、ゆっくりと観察する。催し物の表示が目に留まった。
「戦争遺産を後世へ。紫電と紫電改を語る」とある。
加西市が本腰を入れて整備にかかっている、当市に残る戦争遺跡を守るボランティアのリーダーの講演だ。
当時の飛行場がそのままに残っている。姫路海軍航空隊が実用訓練を行った飛行場で、滑走路がそのまま残されている。その周囲には、防空壕や航空隊の指揮所跡や、空からの攻撃に備えた機銃座跡などが点在している。
この航空隊基地の西側に川西航空の組み立て工場が建てられたのである。組み立てられる飛行機は、ゼロ戦以上に名機といわれた「紫電」と「紫電改」。隣接の鶉野飛行場で試験飛行が行われた後、海軍に引き渡されたという。
終戦まで、「紫電」466機、「紫電改」44機が製造されたのだ。
その変遷と鶉野飛行場にまつわる戦争秘話とが語られた。
飛行訓練中の不時着に端を発した北条鉄道転覆死傷事故(当時海軍は秘匿した)に、特攻隊に飛び立った若者たちの悲話。
わがふるさとに、戦争史の一部が展開されたことを知ったのは最近のことだ。講演会講師が案内役となった戦争遺跡ウォーキングに参加したのがきっかけだった。
遺跡が教え伝える戦争の現実。それをまじかに見つめられる戦争遺跡は、後世に残すべきふるさとの貴重な財産なのだ。
講演会の後、改めてその重要性をかみしめた。
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おひとりさま

2016年08月19日 01時52分21秒 | 文芸
最近よく耳にするのが、1人ラーメン屋・1人喫茶店・1人学食・1人映画鑑賞・1人美術館など、ひとりで利用・行動することが市民権を得ているらしい。昔は複数名でないと、肩身の狭い思いをしていたのが、お一人様が世間で肯定されるようになっているという。
わたしにすれば、いまさらという感じである。社交性が全く欠けていた私の青春期は、どこへ行くにしても「おひとりさま」。B型のいて座は、そんなところがあるらしい。職場での忘年会や歓迎送会など、共同行動は嫌で嫌でたまらなかった。
そんなわたしに、気軽に付き合える友人など出来っこないから、喫茶店や食事に行きたくても、誘う相手がいない。どうしてもひとりで行動することになる。
しかし、飲食店をひとりで利用するのは、そう簡単にはいかなかった。入り口で二の足三の足を踏んだ挙句諦めてしまうことはしょっちゅうだった。なんとか席に案内されても、気が気じゃない。メニューなど見る余裕などない。すぐできるものを注文して、急いで食べると席を立った。お金を払うのも、何か申し訳ない気持ちを払しょくできなかった。そんな孤独な客に多いのが、相席が苦手だという皮肉。苦労して生き抜いてきたのである。
そんなおひとり男が、何を思ったのか、劇団を作って若い人を率いたのだ。劇団はグループ行動である。よくまあ、10数年劇団運営が継続できたものである。その突拍子もない行動が、周囲の誰もが思っていたであろう「お前、結婚できひんわ」をひっくり返したのである。やはり、チャレンジや冒険は、何かを得られるを実証したようだ。その後、若者を捉まえては、「冒険しろ。やりたいことは、諦めずに冒険してみろよ。きっとええことが起きるからな」と言い続けてきたから、人生って面白すぎる。
そんなおひとりでを苦労してきたのがアホちゃうかと言われかねない社会風潮が世の中でまかり通り始めた。ひとりカラオケ(ひとカラ)から一挙に「ひとり○○」が増え始めたようだ。
もう気兼ねなく、ひとりでなんでも利用できる時代の到来だ。本当は。その風潮を喜びたいところだが、今の心中は複雑である。スマホもそうだが、もう思いやりや気配りが死語になってしまうのではいかという危惧を覚えるからである。おひとり様青春を生き抜いてこなければならなかった私なのに、身勝手な思いだと理解はしているのだが……。(苦笑)
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うれしかなし

2016年08月18日 00時29分19秒 | Weblog
16日に孫を連れて帰ってくるはずだった娘。さあ出発という段になって、孫の機嫌が悪くなった。3時ころに家を出ようというのがだいたい間違ってる。ここ数日の暑さには大人だって閉口している。赤ちゃんだって、たぶん同じだろう。その暑さの中、車のチャイルドシートに拘束されるのだから、精いっぱいの抵抗をしたに違いない。
諦めた娘が17日の朝、やって来た。16日なら妻が休みの日だったが、17日は仕事で、もう家にはいない。歓待役はわたししかいない。末っ子がアルバイト休みとかで家にいるが、スマホと睨めっこ状態で、数には入らない。仕方がないと、覚悟を決めたが、相手は強敵、赤ちゃん孫娘。先週戻って来た時に泣かれて往生した自信喪失を、まだ取り戻していない。
そこで嵩じた一計は、娘の食事を用意すること。これなら娘も(なぜ?)と訝りはすまい。
まず昼ご飯。暑いからあっさりと行こう。メインはナゲットとミニハンバーグ(照り焼き味)、ほかに冷ややっこに釜揚げシラスをトッピング、キムチに茶碗蒸しとミニサラダ。和洋韓ごちゃまぜメニューときたもんだ。この用意ですこし時間を稼げるぞ。合間に、台所から応接間を除いて、「は~い、じいちゃんだよ」お愛想。これだけ距離があると、孫娘もにニッコリ。これに心を許したら、ひどい目に合う。とはいえ、娘が食事の間は、赤ちゃんの相手は必然的に回ってくる。
北欧の木の玩具は、わが子供らの赤ちゃん時代に買ったものだが、「カタカタカタ……!」「!」孫娘の興味を引き付けたぞ。これで食事時間の間は、じ~ちゃんにお任せだ。あの手この手でクリア!だいぶん赤ちゃんもわたしに慣れたんだと思ったら、いきなり顔をゆがめた!
娘と交代して夕飯の仕込みにかかる。メニューは昨日決めておいた天ぷらだ。ナス、南瓜(カボチャ)、オクラ、イカ、かにかま、チクワ……ちょっと凝って、ナスのミンチはさみ天とエビ入りかきあげと種だくさんだ。天つゆと大根おろしを仕上げて、ほっと一息。母と赤ちゃんの様子をうかがうと、気持ちよさそうに眠っている。作戦成功である。これで妻の帰りが早くなることを祈るだけでいい。
やっとパソコンの相手ができるぞ。赤ちゃん相手より、気を使わなくて済む。フフフフフ。(苦笑)

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井戸いまむかし

2016年08月17日 00時11分12秒 | 文芸
朝。暑くなる前に植木や花に水をやっておこうと、蛇口をひねる。(?)でない。昨日まで出ていたのに、水一滴も出る気配がない。また水が干上がったかな?
植木にやる水は井戸水だ。水道のように、ひねれば確実に水がほとばしるとは限らない。3日前にも、同じように水が出なくなった。慌てて、井戸のわきに設けてある電気ポンプのケースを外して確認。モーターはウンともスンともいわない。焦った。ポンプが動かない限り、誘い水も試みられない。(明日に詳しく調べてみよう)急用があって、電気ポンプとにらめっこする時間がなかった。
翌日。蛇口をひねると水がほとばしった。手に注がれた水は冷たい。井戸水だった。それで分かった。最近の酷暑少雨で井戸の水位が下がりすぎたのだ。
そんな経験があるから、今回は(またか)と余裕だ。
ふと頭に浮かんだ。(昔は、こんなに井戸が干上がってたかな?)
子供のころ、我が家は井戸水が、飲み水や煮炊きに使われていた。それも電気ポンプなどまだなかった。掘り抜き井戸の上部に蓋をしてそこに鋳物製の手押しポンプを設置していた。
水は必要になるとガチャンガチャンとハンドルを押し下げすると、しばらくして思い出したように水が出てくる。結構のんびりしたものだった。その水が枯れた記憶はない。いまより水は無限だったのだろうか?
ギラギラと太陽が照り付ける空を仰ぎ、心なしかしょぼくれた感じの草花を見下ろした。
ポケットに入れていたペットボトルのお茶を飲んだ。生き返る。お茶がなければ2分と外にはおれない。昔は井戸水を口にしていた。井戸水は冷たくうまかった。今は井戸水は安心して飲めやしない。それでも、井戸水が止まれば、大ごとだ。
人間が生活をするのに水は絶対欠かせない。それが、最近は自然が意地悪して水を枯渇させたり、いきなり豪雨を降らせて水害をもたらす。
水資源のコントロールは、自然のご機嫌をうかがわなければできないことを思い出させようとしているみたいだ。
この先、自然は人間を認めて共生を承認してくれる日は来るのだろうか。空に愛想笑いをしてみた。まあ効果は皆無だろうが。これは私流の水乞いなのだ。(苦笑)
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アイスな思い出

2016年08月16日 00時07分53秒 | 文芸
喫茶店で働きだした頃は、

毎朝氷屋さんが配達する角氷を受け取る。

一貫(三、七キロぐらいのもの)単位だった。

生きのいい兄ちゃんが

手カギでぶら下げ、

器用に扱っていた。
 喫茶店の冷蔵庫は氷で冷やす代物。

一番上部に角氷をスポッと納め、



電気冷蔵庫に及ばなくても、

結構冷えた。

食品保存には重宝だった。
 氷は他にも使った。

アイスドリンクの注文があると、

アイスピックで氷をかち割る。

不揃いの氷がグラスの中で、

まるで氷山のごとき

趣を見せて浮かび、

爽やかだった。

ただアイスピックを扱うので

気が抜けなかった。
 暑い夏場は大変だ。

氷は三貫仕込んでも、

瞬く間になくなった。

追加注文すると、

氷屋の若い兄ちゃんが

汗まみれで配達してくれた。
 いまやスーパーでも

製氷機を備える時代。

誰もあの時代を

思い出さなくなってしまった。
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コメと水

2016年08月15日 00時26分32秒 | 文芸
家の周囲に広がる稲田に穂が顔を見せた。
この夏の暑さがコメの生育に好影響を与えているのかどうかは知らないが、順調に見える。

数年前まで2反ほどの田んぼでコメ作りをやっていた。ただし、減反制度があって休耕の割り当てがあり、二年に一度のコメ作り。

一年のブランクがあれば、毎回ゼロに戻ってしまう。専業農家でもないから、コメ作りの基本ノウハウを身に着けているわけでもない。要するに素人農業なのだ。
そのアマチュア百姓がコメ作りを通じて知ったのは、水を制する者が勝つという原理。コメ作りに水の管理は絶対欠かせない。田植えから始まり、途中中干しといい、数度水を落とし田んぼを乾かさなければならない。この中干しを程らいにやってしまうと、稲刈りが、さあ大変だ。コンバインが泥と格闘する羽目になる。2度ミスって、泥だらけになりながら、普通時の2倍以上の時間をかけて刈り取り作業を終えたものだ。
給水路と排水路は、まったく別になっているから、水の給排水はいつも気になって休まらなかったのを思い出す。
江戸時代の百姓らのように水争いまでは至らないが、タイミングを見逃してしまうと、本物の百姓に怒鳴られる。
台風や集中豪雨などに遭遇すると、万事休すだ。収穫前に台風の直撃を受けて、イネは横倒しになって水につかり、使い物にならなくなったことがある。水につかった稲穂がちょろっと芽を出してしまったら、もう商品にはならない。
試行錯誤と、厳しい現実に翻弄されまくったコメ作りだった。
そんな苦労を経て得た自家米は、格別に美味かった。
コメ作りを始めてから、外食のご飯はまずくて食べられなかったっけ。それまでは市販の弁当などをよく買っていたが、コメのうまいまずいを知ってしまうと、惣菜だけを買って帰るのが普通になってしまった。うまいコメは、ごはんだけでおかずがいらない。田舎にいると、そんないいことも体験する。
稲田を覗いてみた。田んぼの表面が乾燥してひび割れている。いい塩梅だ。この調子で、大型台風来襲などの天変地異が怒らない限り、今年は大豊作で間違いないだろう。
いまは他人事ながら、自然と嬉しくなる。
「おう、暑いのう」
古老の百姓さんだ。コメ作りで親身になって手を貸してくれた恩人である。
「今年は豊作みたいやな」
「まだまだ分からんでのう。コメは難しいわい」
プロの百姓は決して気を許さないのだ。お見事!

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めだか一匹

2016年08月14日 00時09分26秒 | 文芸

暑いので玄関の三和土に水を撒こうとして、目に留まったのが水を張った鉢。竹をひもで編み上げた蓋をしている。
開けると水が少し濁りかけている。
「おい、元気か」
声をかけたのは、メダカ。
ほぼ1年前、10匹前後水鉢にはなしたのが、いまは1匹だけが生き残っている。
鉢のふちをコンコンとたたくと、スィ~っと浮かび上がってくる。餌をもらえるのを知っているからだ。
パラパラと餌を撒いてやると、小さな体と口を器用に使って餌をつつきだす。
名前はないが、やはり可愛い。
これもウサギたちと一緒で、末娘が飼い始めた。
しかし、学校生活が忙しくなると、こちらに世話係が回って来る。以来、気を付けているものの、世話が行き届かなかったせいなのかどうか、ついに1匹になってしまった。
こいつもダメかなと覚悟をしていたが、それがなんと3か月以上もたくましく生きている。
覗けばちゃんと泳いでいる。やはり情が移ってしまう。
「暑さが落ち着いたら、仲間を増やしてやろうか?」「ひとりぼっちじゃ可愛そうだよね」夫婦でメダカの購入を確認しあっていると、「あたしが買ってくる」と娘がしゃしゃり出てくる。
彼女も親に似て熱しやすく冷めやすい。メダカも最初のころは卵を育てるのに夢中になるほどだったのに、いまは親任せ。それが新しいメダカを購入となると、「あたしの出番よ」となる。
まあ娘の気のすむようにすればいい。後の始末は任せておけという心境だ。
「もうすこし我慢しとけよ。友達をつくってやるからな」
呼びかけはするが、(ひとりでいるのもいいもんだ。もしかしたら、お前もヒト見知りするタイプなのか)そう思ってしまう。一人でいるほうがいいタイプの私だからである。へへへ。
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3人の同窓会

2016年08月13日 00時30分42秒 | 文芸
旧友2人と30年ぶりにあった。
工業高校のクラスメートである。実は普通高校を中途退学して入りなおした学校である。本来なら1学年下になる彼らだが、不思議と気が合った。実を言えば変わり者同士だからかもしれない。
電気科を出たにもかかわらず、一人は警察官に。彼の一家は警察官と自衛官ばかり。話をすると、必ず右側思考になる。
もう一人は大学の宗教科を経て地方銀行員になり、あげくに京都の劇団で住み込み手伝うが、首になってから宗教新聞の記者になった。彼はどちらかといえば左側思考の会話が多い。
わたしは書店員から調理師学校を経てコックになった。わたしはいたってノンポリで口数も少なく、自然と二人の緩衝役となった。
ほかのクラスメートを見ると、大半が電気の技術を生かせる企業や公務員に就職している。
同窓会に顔を出すと、3人はどうしても異端児扱いされる。
その3人が久しぶりにに顔を合わせたのだ。
3人が3様、昔と変わっていないから面白い。
高校時代の正義感に燃える若者に戻っていた。右、左、中庸と全く変わらない立場の会話となった。
誰もが引退していたが、それぞれが抱える問題が深刻だった。
元警官は離婚問題に悩み、元銀行員崩れは高齢の母親の介護で、すっかりくたびれている。ちなみに彼は一度も結婚をしていない。
始まった会話は最初こそ盛り上がらなかったが、すぐ昔に戻った。聞き役に徹する私は昔通り。右と左の会話に適当な相槌を打ち、ノンポリぶりを発揮して間を取り持った。
半日あまり一緒に時間を過ごしたが、帰るころには、みんないい顔になっていた。旧交が功を奏した形だった。
また4年後に会おうと一人が言い出した。、その実現は叶うとは思えない。みんないい歳なのだ。しかし、いやなわけではない。
それで再開の約束をした。
案外それを目標に元気でいられるかもしれないと思うのは、旧友との会合が楽しかったからなんだろうな。
みんな年を取るなよ!と言い合って別れた。やっぱり友達はいい。
この年になって、
たった二人だが、親しい友がいてくれることに感謝した。
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職場見学

2016年08月12日 01時12分59秒 | 文芸
今日もやはり暑い。
それでも家に閉じこもっているのは体によくない。じゃあ出かけよう。そこで思いつくのはイオンタウン。涼しくて快適さは格別だ。しかし、なんとなく出かけるのも面白くない。
そこで目標を定めた。職場見学が今日の目標だ!
実は末娘、いま大学は夏休み。週3日の割合でアルバイトをしている。その職場がイオンタウンにあるのだ。あの有名な○○バコーヒーだ。オープンしてからずーっとアルバイトをしている。その働く姿を時々遠くから眺めるのが楽しい。父親の性格を受け継いで、かなりの人見知りだった娘が、カウンターをはさんでお客さんに対応している。最初は信じられなかったが、いまは生き生き働く娘の姿に見惚れてしまう。
だからと言って、お客になって店内で娘の働く姿を拝見するわけではない。○○バのコーヒーは結構高い。コンビニの100円コーヒーでも勿体ないと思ってしまう貧乏性には、ちょっと手を出せない代物だ。
そこで、ちょっと離れたところで、人を待っている風を装って、見守るのがほとんだ。自分の娘が堂々とお客さんと対応している姿は、飽きることはない。
目標が決まると、さっそくイオンに向かった。例のごとく、歩け歩け。リュックを背負ったおじいちゃんは、暑さをものともせずひたすら前進である。
今日は山の日、祭日とあって、○○バは人の列ができている。カウンター内のスタッフはてんてこ舞い状態。しかし、その動きはみんなキビキビして気持ちがいい。
それを見ながら、自分の喫茶店時代を思い出す。
ピークの時間、足を止める暇などなかった。水とおしぼりをもってオーダーを取る。すぐにカウンターに入ってサイフォンコーヒーをセッティング。コーヒーがゴボゴボいってるのを横目にスナック物を調理。サンドイッチ、ホットケーキ、サラダ、卵料理にスパゲッティ……いや~目まぐるしかった。
あの状態を一人で対応しきれたのは、若さがあったからだろう。プロである以上、お客さんを満足させるための働きを身に着けるしかなかったのだ。
フッと正気を戻した。
娘のドリンク物を仕上げる手の動きは、さすがに手馴れて早い。二年のキャリアが垣間見れる。さすが、わが娘!
娘の将来が何であれ、目の前の娘を見ている限り、心配の必要はなさそうだ。
5、6分のわずかな職場見学は、きょうも満足のうちに終わった。
家から持ってきたペットボトルに詰めた自家製の冷コーヒーを何度となく口にしながらの帰途。暑さに頭がぼーっとなりかけると、娘の働く姿を思い浮かべる。
往復1時間40分余りの道のりを完歩した。
ただ歩くのではなく、やはり目的があれば、疲れなど気にもならないのである。
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