難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

職場で難聴、聞こえの理解を求める 

2006年05月08日 12時41分24秒 | 生活
職場4月半ばから、異動になり、女子社員12人を束ねるようになった。今まで、機会やシステムを相手にした仕事から、一転、人とのコミュニケーションが主になる仕事になった。
担当者の仕事の詳細は分からない上、女性の声は聞きにくいので、どうしても腰が引けて、あまり積極的に接していなかった。
これではいけないと、GW明けそうそうに、担当者全員集まってもらって、仕事の分担と私とのコミュニケーションについて話した。しっかり、理解してもらわなくてはいけないと大きい声で聞こえについて説明し、ペーパーでも配布した。

指文字のメは皆手を動かしてもらい、早速20番に電話ですとか、話をするために自席まで来て話してくれるようになった。早く言えば、良かったのだ。

これは、前に知らせたM子さんが高校に入学し、入学式の時にクラスの仲間の前で自分の聞こえとコミュニケーションの方法を涙ぐみながら話したと聞いて、私も負けていられないと思った。
http://blogs.dion.ne.jp/rabit/archives/2990939.html


受注担当者の皆様へ

おはようございます。GW中も大変お疲れ様でした。
今日から、実需担当を中心に各担当の新しい体制に入りたいと思います。
9:00から、簡単にご説明しますので、会議室にお集まりください。

 ラビットとのコミュニケーションについて

 ラビットは難聴(なんちょう)です。出生直後の抗生物質の注射が元で、聴神経の細胞が減少したために、聞きにくくなっています。
 特徴は、小さい声が聞こえないと言うのもありますが、音(オン)の弁別が出来ないのです。タバコが「たまご」に聞こえたり、滋賀県か千葉県と言った似たオンの区別が出来ないため、補聴器で拡声しても頭の中に???が浮かぶだけです。
 それで、近くでお話して頂くか、それも補聴器をしている右側がグッドです。
 数字は間違えやすいので、空文字(そらもじ)を使って頂くと助かります。1から5までは指の数で大丈夫です。6から9までは指先で空中に自分から見える形で書いてください。
 さらに、メモしてもらうと確実です。メールは社内メールですと他の人に見られないので安心です。そう、一つだけ手話を覚えてください。「メール」です。親指と人差し指で、つぶれた輪を形作って下さい。指文字の「メ」です。自分から相手のほうに動かしてください。
 いろいろ、ご不便をおかけしますが、頑張りますのでよろしくお願いします。




おしゃべり、だいすき 難聴児の学校生活

2006年05月08日 02時02分19秒 | 生活
今日はとても良い本を見た。
小林美咲さん、小学校5年生。補聴器を使っている美咲さんは、小学校で、クラスの仲間と指文字や手話を使ってコミュニケーションする。クラスの仲間は、美咲さんが難聴であること、指文字や口の動きでコミュニケーション出来ることを知って、すぐに指文字を覚えてしまった。
授業では、手話通訳やノートテイカーの方が美咲さんに先生の話を伝える。先生も簡単な手話や筆談をする。先生の言うことや教材のビデオなどが分からなかったりすると、隣りの子供に今なんて言ったのって聞くと、指文字も使って「カエルの鳴き声だよ」って教えてくれる。
美咲さんは、聞えないけれどもおしゃべりが好きだ。友だちともおとうさんともいっぱい話をする。
この写真集の美咲さんの顔は明るい。クラスの中で、みんなの理解も得て、必要な時は通訳も使って、勉強したり、学校生活を送っている。

これって、私たちの目指す中途失聴・難聴者の地域生活の学校版じゃん。

「いっしょがいいな 障がいの絵本 (2)
「おしゃべり、だいすき
耳のきこえないひと
ポプラ社発行
橋本 一郎/監
北村 小夜/監
嶋田 泰子/文」

http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=70270020

ラビット 記



コミュニケーション論

2006年05月08日 01時42分04秒 | 要約筆記事業
巷で評判のコミュニケーション論の専門家に、聴覚障害者に対する講演を依頼する。、コミュケーションの専門家がコミュニケーションについてどう考えているのかを学ぶことで、中途失聴・難聴者が「コミュニケーション」を考える時、コミュニケーションの本質に迫ることが出来るのではないかと期待してのことだ。

コミュニケーションにも、マス・コミュニケーションもローカルなコミュニケーション、個人とのコミュニケーションとかがあるが、普通は音声や文字などの情報が普通に伝わることを前提にしているのだろう。風評被害のように不確かな情報が伝播することや地位の上下関係にあるもののコミュニケーションとかが問題にされるのだろうか。
文字や音声が普通に伝わらない人々、聴覚障害者、日本語の分からない外国人、知的障害者などのコミュニケーションは専門家の中ではどう扱われているのか、興味はある。

私の中では、コミュニケーションは情報のやり取り、意志の確認等
で自分の存在意義を自分で確認することではないかと考えている。
相手の考えを知ること、自分の考えていることが伝わることで、自分がどういう存在なのかを認識するプロセスがコミュニケーションと言えるか。
彼の話を聞いて、整理してみたい。

ラビット 記