難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

映画「バベル」と高村真理子(本文に追記)

2007年05月03日 11時05分29秒 | 生活

高村真理子さんへ映画「バベル」に、菊地凛子がろうの女子高生の役ででている。彼女に、手話指導したのが高村真理子だったと、菊地凛子がテレビのインタビューに答えている。
高村真理子は多分、手話の指導もしたのだろうが、聞こえない人が持つ情熱、エモーショナルな部分、日常的に受けている差別に耐えている時の気持ち、屈辱になぜ耐えられるのか、どうして仲間との交流や信頼できる人への感情がわくのかなどを伝えていたのだと思う。
それは言葉であるか、高村真理子自身の活動、生き様を通じてであるかは分からないが、菊地凛子は常に高村真理子から自身の可能性を信じることを言われていたと言う。

朝日新聞の記事に、字幕の付いた「バベル」を見たろう者の感想として「人の絆を現す映画だったんですね」とある。


今日が高村真理子の命日だ。
写真は、彼女の知人が「バベル」見て、高村真理子の両親に伺った時の映画のパンフレットと花かご。

ラビット 記
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本人のこの記事へのコメントを本文に追記しました。

「バベル」の解説について、なるほど、そうだと大変共感を覚えるものがあった。
http://www2.odn.ne.jp/miusworks/movies/2007movies/babel.html


言葉のないものは相手を理解し合おうとするが言葉を持つものは相手を理解しようとしないで拒絶、排除しようとするという。
ろうのチエコは、JPOPに行った仲間からも父親からも自分が受け入れられていないと感じ、フィーリングの合う刑事に身体をゆだねる。
狙撃されたアメリカ人の女性を看病した老女は無言のまま鎮痛効果のある煙草を吸わせようとするシーンを指摘している。

バベルはろう者を取り上げた映画ではない。映画のメッセージを伝える役の一人がたまたまろう者であったというだけだろう。チエコがろう者を代表しているわけではないし、ミツが代表しているわけでもない。菊地凛子がその役割を担っていたろう者をよく演じていたことは確かだ。
同じことを感じた人もいるのだ。
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=91038&log=20070429