陽あたり良好

ほんわかした毎日と、写真、そして黒柴「茶々」
りんごとれもんの二人で綴ります

※ 茶々は令和6年6月にお空へ…

竹田城 城跡編

2017-07-31 17:44:29 | 「れもん」の撮影記
れもんです。
さあ、いよいよ全国屈指の山城、
竹田城 に登城です。

ただ、正直ここにはもっと早く来たかった・・・。
というのも、10年くらい前まではほとんど無名だったのに、
ここ数年、急に人気が出て観光客が急増 
石垣や路面が崩壊したため、
今は残念ながら、杭とロープで区切られたルートしか歩けなくなっているのです。

城跡だけでなく、登山道路も一般車両は通行禁止。
麓の駐車場でバスに乗り換え、バス停から更に20分歩いて、
ようやく、長年の憧れの城跡に立つことができました。

竹田城跡
竹田城・南千畳を望む
廃城から400年以上経ちますが、
美しい野積みの石垣が、ほぼそのままの状態で残っています。


竹田城・南千畳から南二の丸
杭とロープは、かなり目立ちます。
仕方ないこととは言え、昔日の素朴な面影は損なわれてしまいました


杭を避けようとすると、撮影場所も限られてきます。
無理に写真を撮るのは止めて、
閉門時間を過ぎるまで、天空の古城の緩やかな時間に浸ってきました

竹田城・南千畳から南二の丸と天守台
竹田城の石垣
竹田城・本丸付近
竹田城・本丸と天守台

竹田城跡(南千畳)

7回にわたってお届けした但馬シリーズも、これで終わりです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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竹田城 遠望編

2017-07-29 00:42:03 | 「れもん」の撮影記
れもんです。
但馬の旅の最後は、「天空の城」 
竹田城 
写真が多くなったので、2回に分けて投稿します。
先ずは遠望編から。

    ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆

竹田城と言えば雲海ですが、
行ったのは5月末でしたから、最初から霧は出ないものと決め込んでいました。

ところが、朝風呂に入っているときに何気なく外を見たら、
山肌に、ぽつりぽつりと微かな霧が浮かんでいるではありませんか。
「これは」と思って、朝食の時間を遅らせてもらい、
急いで様子を見に車を走らせました。

竹田の町に着いても霧のかけらすら見えませんでしたが、
ある種の確信を持って、ぐるっと西側の峠に回ってみました。




雲海とまではいきませんが、城跡の背後の霧がいい感じ。
期待以上の、感動の初対面でした


いったん宿に帰って朝食を取り、神子畑に行ったのは前に書いたとおりです。
再び竹田に舞い戻ってきたのは、午後でした。
最初に行ったのは
立雲峡 です。
立雲峡第二展望台から
ここは竹田城を正面から望むスポット。
眼下には竹田の町並みが見えます

立雲峡からの竹田城
所要40分の第一展望台まで登りました。
実際にかかった時間は分かりませんが、かなりの上り坂でした。

立雲峡第三展望台から

気持ちいい景色で、汗をかいた甲斐がありました

後編では、この竹田城に登ります。。。


 コメントは閉じさせていただきます。
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緑のミラージュ

2017-07-22 23:14:42 | 「れもん」の写真帖
神子畑小学校跡
神子畑 には、選鉱場の隣に小学校と保育園がありました。
今は、朽ちた体育館と錆びた遊具が残っているだけです。


神子畑小学校体育館跡
緑に囲まれた体育館。


体育館幻影
建物の中の、不思議な世界。


緑の幻想

神子畑にて
 ミラージュ : 蜃気楼、はかない、幻影、・・・



さて、選鉱場跡から朝来市内に向かう国道沿いにも見どころが・・・。
神子畑川の清水橋
明神電車の欄干
神子畑川にかかる 清水橋
欄干は、一円電車がモチーフになっています。

神子畑鋳鉄橋
鉱石運搬のための馬車道に架けられた 神子畑鋳鉄橋
現存する日本の鉄橋の中では三番目の古さで、
全て鋳物で造られていて、国指定の文化財にもなっています。

但馬シリーズ、もう少し続きます 

by れもん*



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神子畑選鉱場跡

2017-07-19 17:03:30 | 「れもん」の撮影記
れもん* です。
かつて日本一の錫(すず)鉱山として栄えた
明延(あけのべ)鉱山 は、
錫のほかにも、銅や亜鉛など多品種の非鉄金属を産出し、
神子畑選鉱場 で、明延から運び込まれた鉱石を選別していました。

選鉱場は、山の斜面を利用した22段の土台に建設された巨大な建築物で、
上下は専用のインクライン(傾斜軌道)で結ばれていました。

最盛期には、神子畑(みこばた)地区に1300人もの人々が生活していましたが、
昭和62年の明延鉱山閉山に伴い閉鎖。
建物は長く残っていましたが、平成16年に老朽化のため解体されて、
現在は、コンクリートの基礎構造物やシックナーの一部などが残っています。

神子畑選鉱場跡

神子畑選鉱場・シックナー
シックナーと呼ばれる巨大な円錐形水槽。
シックナーというのは、簡単に言えば鉱石を選り分ける分離装置です。

神子畑選鉱場・シックナー内部
神子畑選鉱場・シックナー下部ポンプ
シックナー内部には、機械もまだ残っています。

神子畑選鉱場・建屋跡
建屋は解体されて、基礎のみとなった姿は遺跡のよう。

神子畑選鉱場・インクライン
線路や枕木が残るインクライン。


選鉱場跡には、
「一円電車」 が展示されています。
正式名称は、
明神電車
明延と神子畑の間約 6kmをトンネルで結んでいた鉱山鉄道で、
鉱山関係者の便宜を図るために客車も連結され、
運賃を一人一円にしていたことから、こう呼ばれるようになったのです。

明神電車説明図
 写真は全部、クリックで大きくして見られます。

神子畑選鉱場跡・一円電車
明延で掘られた鉱石は、30両編成の鉱車に積まれ、
1日10回、神子畑に運ばれていました。
ちなみに車だと、この間の道のりは23kmもあるんですよ

神子畑選鉱場跡・明神電車
電気機関車と客車、鉱石運搬車が展示されています。

一円電車の車内
小さいながらも、定員は17名。
手や顔を出さないように、窓に鉄格子があるのが特徴的でした。


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多々良木ダムの夕暮れ

2017-07-14 19:01:39 | 「れもん」の写真帖
れもん* です。
日本有数の揚水式発電所の下部ダムとして知られる
多々良木ダム

揚水発電というのは、上部と下部の2ヶ所にダムをつくり、
深夜電力を使って水を上部ダムに汲み上げておいて、
たくさん電気を使う昼間に、その水を下部ダムに落として発電するものです。

そのダムの真下の
あさご芸術の森 に、今回の但馬の宿があります。
夕食までの時間、宿の周囲を見て回りました。

あさご芸術の森のオブジェ
多々良木ダム
多々良木ダム貯水池
山の端の雲
あさご芸術の森美術館「最後の午餐」
夕暮れの雲

穏やかに、一日が暮れて行きました。


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