楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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浄瑠璃寺 4 (本格的な京都観光)

2004年02月01日 09時01分00秒 | つれづれなるままに考えること
(本格的な京都観光)
朝ご飯は、京都名物のお粥さん。
さんまの干物、湯豆腐、京漬、赤味噌汁、
サトイモで造った梅の花と旬の筍、菜の花のお浸し。

いずれも京都風で、お代わりのご飯もあったが、お粥一杯で終わりにした。
今日も歩いて観光の予定。
東海道、中仙道の終着点である五条大橋。
弁慶と牛若丸が演じた有名な五条大橋を最後に、京都にさよならをしようと思っていた。

浄土宗の総本山、知恩院、清水寺、五条大橋の順に歩こう。
そう決めて宿を出ることにした。
宿の主人と思われる人に、
チェック・アウトを依頼したら、
「今日はどのような御予定?」と聞かれた。
「知恩院から清水寺、五条大橋に行きたいと思っています」
「タクシーでも呼びますか?」
「いえ、歩いて訪ねたいと思います」
「少しありますよ。時々京都駅から私どもまで、
歩いてお出でになる方がありますが、
さすがに、しんどいとおっしゃいます」

宿のご御主人はボクが、
毎日8~10キロを歩いていることを知らないから、無理も無い。

「大変お世話になりました」
「また おこしやす」

を最後に、宿を離れた。
三条通りを東へ歩く。
三条大橋を渡って、最初の信号を右折して、
すぐに知恩院の黒門があった。

「知恩院」と白色で墨書してある。
門をくぐると足巾が合わない階段が続く。

登りにくい。

後で聞いたことだが、
徳川将軍が二条城で災難にあったとき、
逃げ込めるように作られたお寺のため、
階段は、馬が駆け上がれるよう、
緩やかに馬の歩幅で造られているという。

本堂脇の白梅が、わずかに花をほころばせていた。
本堂では読経が続いており、見習い僧が、駆け足で掃除をしていた。
修学旅行の生徒さんたちが三々五々拝観に来るが、
ボクたちと違う方向からやってくる。
覗いてみると立派な三門が下の方に見える。

どうやらボクたちは順路を間違えたようだ。
入り口はこの上から見下ろした三門のようだ。
三門からは急な階段があり、その横になだらかな階段がある。
その階段はボクたちが入ってきた時の階段と同じで、歩幅が合わない。

やはり武士が馬で上がってきた道のようである。
その階段を下りると、境内を整備している人に出会った。

「よく、お出でいただきました」と両手を合わせて挨拶をされた。
「こちらの階段は、馬で。向こうの急な階段は人が登る階段です。
歩幅が合いませんでしたでしょう。こちらの急な階段では、
先ごろ有名な映画「ラストサムライ」のロケ地になった所です」という。

残念ながらボクたちは、今話題のラストサムライをまだ観ていない。

「ああ、そうですか」気乗りのしない返事をして、
「有難うございました」と礼を言って、知恩院を後にした。

地理に疎いので、来た方向に戻らなければならない。
その方向に歩くと、「蓮如上人生誕地」の案内看板のあるお寺の前に来た。
知恩院は法然が開いた浄土宗の総本山。

浄土宗から派生して、念仏を唱えなくも極楽浄土にいけると、
説いた親鸞の語録をまとめて「歎異抄」を編纂したのが弟子の蓮如。
その蓮如の生誕地のお寺。
門は開いており、正面に本堂があるが、
閉鎖中の張り紙があって、寂れた感じ。
右側に庫裏らしきものがあるが無人の様子で、生活臭がない。

山門脇に平成14年4月15日の看板が見受けられ、
その時期まで見学者があったようである。
今は人の気配も無い。

山門を出ると、街の地図があった。
良く見て清水寺の方向に歩いた。
知恩院はその昔は相当広い敷地があったらしく、
周りにその名残を留める建物がいくつもあり、
その建物の間を通り抜けた。

しばらくして、四条通りに出る。
京都で最も繁華街と案内書にあったので、歩くことにした。
東京で言えば銀座みたいなもんだ。
しかし、歩いてみるとどうやら京都の土産屋ばかりが並んでいる。
七味唐辛子を買い、
上品な「かりんとう」を買い、
「お腹がすいたから、わらびもちに薄茶でも京都らしくお腹に入れたいね」
と探したが見当たらない。

お花小路へ紛れ込み、建仁寺に来てしまった。
臨済宗の総本山?だ。
紛れ込んだお花小路は、お茶屋さん(芸者の置屋?)が沢山あり、
上手に和服を着込んだ女性に何人かすれ違った。

通りを抜けて、清水道の看板を見ながら左折して、終点が清水寺。
わらび餅にも逃げられ歩いて行くと
「元祖八橋」の看板の前で、学生の人だかり。
覗くと、サッと生八橋が出てきて
「どうぞ」と有無を言わさず手渡された。
お腹の具合もちょうど良く、食べた生八橋はすこぶる美味しかった。
「帰りに寄るよ」と先を急いだ。
それにしてもお腹がすいた。蕎麦屋の看板を見つけ、
ショーウインドーに「ニシンそば」と書いた蕎麦が、京都名物と書いてある。

カミさんが京都の「にしん蕎麦」は美味しいというので、
蕎麦屋に入ったらPM12:30であった。
お店はがらんとして、ボクたち二人だけ。
「ニシンそば」を二つ頼んでしばらく出来上がるのを待ったが
、誰一人他のお客さんは来ない。
お昼時間だというのに、これでは商売も上がったりだ。
でも出てきた「ニシンそば」は美味しかった。
勘定を払うまでトイレを借りたりして、あっという間に一時間が過ぎたが、
お客さんはボクたち一組。

勘定のとき、「いつもこんな具合ですか?お昼時なのに」と訊いた。
「今の時期はいつもこうなんです」
「何時が忙しいのですか?」
「桜の時期とか、紅葉の時、お盆ゴールデンウイークでしょうか」
「一年を六ヶ月で過ごせますね。蕎麦屋はつぶれないといいますからね」
「?」蕎麦屋さんは、苦笑いをしていた。

昔から蕎麦屋は信用があると、いわれている。
それは、設備投資にお金が掛かり、
それを置いて逃げ出すわけに行かないからだ。
また、新しい支店を出す時は、暖簾わけであるから、
新規開店場所の市場調査がしっかりしていて、
商売に当たりはずれが少ないと、いわれている。

いよいよ、清水寺である。
ずいぶん寄り道をした。
清水の舞台から飛び降りた気分=ずいぶん思い切ったと、
いう意味に使われる清水寺の本堂に着いた。

本堂に「土足厳禁」と書いてある。
どう意味に汲み取ればよいのであろうか?
「靴を脱げば、本堂に上がっていいよ」あるいは、
「本堂には上がらないで下さい」なのか、

英語では「Please take off your shoes.」と書いてある。やっぱり意味がわからない。

「あいまいな日本語と私」の題材になると思った。
コメント
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