(荒川土手の芝焼き)
散歩コースの荒川土手で芝焼きが行われていた。
注意して見ると、火は土手の上のほうに点火されて、
土手の下の方へ火は燃え移っていく。
その様子をみながら、中学時代に読んだ国語の中に、
茶の湯の心得として「夏下冬上」(かかとうじょう)と言う
言葉があったのを思い出した。
茶の湯では炉に火を熾(おこ)すが、夏は炭の下に火種を置き、
冬は逆に炭の上に火種を置くと、火が着きやすいという意味だ。
この言葉とともに思い出したのが、「木元竹裏」と言う言葉。
これは、木を割る時は元の方(根元)から割ると、真っすぐ割れる。
今は少なくなったが、薪を割る場合など根もとを上にして割ると、
真っすぐ割れる。
逆に竹の場合は、枝先のほうから割ると、真っすぐ割れる。
そんな意味。
箸造りや、串つくり、楊枝、ヒゴ造りに知っていると便利だ。
その国語の教科書に、生花三才を知らずして...を思い出した。
これは花を生けるに当たって、三つの基本を知らずに
生け花の美しさは出てこない。
三つの基本とは、
真(しん)、副(そえ)、支(ささえ)がそれだ。
これは盆栽にも応用できるもので、雑木の寄植えなどに適用される。
いずれも美しさを表現する基本である。
美しさの基本についてもう一つ、やはり中学時代の
数学の時間に教わった、「黄金分割」がある。
これも美しさを表現する時、注意すべきことである。
絵を描くときの構図、写真を撮る時の構図、上下左右、斜めに分割する際、
注意が必要になる。
前述の盆栽の寄植えでも、四角い鉢の中を黄金分割するし、
鉢の大きさと植えられる木との関係が、
三対二、二対一になるように設定していく。
そんなことを、散歩しながら思い出した。
こんなことを考えながら、人の人生は過ぎていくのだなあと思った。
そして思い出したのが、一休禅師の歌
たそにたそ たそたそにたそ たそにたそ
たそにたそとて なにもなきかな
を思い出した。その意味は、
誰に誰? 誰々と誰々よ 誰に誰よ
誰に誰といっても 何も無いよ(空虚だよ)
という意味だそうだ。
世間では良くある噂話。
誰と誰の話? 誰それさんと誰さんの話、誰さんと誰さんかぁ!
誰だ 誰だといっても、無駄な話、ただの噂話だよ 根も葉もない。
という意味合いだ。特段、噂話でなくても良い。
ボクが中学時代の話のことだ。
その意味は、次のようでも良い。
試験の点数が良かったのは、誰と誰、いいえ、誰さんと誰さんよ、
いやいや誰さんと誰さんに決まっているじゃあないか、
そんなことひそひそ話をしても、何にもなりませんよ!
それより、噂に上る誰さんになれるように、勉強したほうがいいよ。
という意味にも取れる。
話が変わるが、次の歌は、詠み人知らずで とても有名。
つきづきに つきみるつきは おおけれど
つきみるつきは このつきのつき
この歌と並んで前述の一休禅師の歌が、教科書に
書いてあったのを思い出す。
時々、クイズの中に見る。この歌の中で「空に見える月」は
何回出てくるだろうか?と。
荒川土手の芝焼きを見て、そんなことを考えながら家路に着いた。
散歩コースの荒川土手で芝焼きが行われていた。
注意して見ると、火は土手の上のほうに点火されて、
土手の下の方へ火は燃え移っていく。
その様子をみながら、中学時代に読んだ国語の中に、
茶の湯の心得として「夏下冬上」(かかとうじょう)と言う
言葉があったのを思い出した。
茶の湯では炉に火を熾(おこ)すが、夏は炭の下に火種を置き、
冬は逆に炭の上に火種を置くと、火が着きやすいという意味だ。
この言葉とともに思い出したのが、「木元竹裏」と言う言葉。
これは、木を割る時は元の方(根元)から割ると、真っすぐ割れる。
今は少なくなったが、薪を割る場合など根もとを上にして割ると、
真っすぐ割れる。
逆に竹の場合は、枝先のほうから割ると、真っすぐ割れる。
そんな意味。
箸造りや、串つくり、楊枝、ヒゴ造りに知っていると便利だ。
その国語の教科書に、生花三才を知らずして...を思い出した。
これは花を生けるに当たって、三つの基本を知らずに
生け花の美しさは出てこない。
三つの基本とは、
真(しん)、副(そえ)、支(ささえ)がそれだ。
これは盆栽にも応用できるもので、雑木の寄植えなどに適用される。
いずれも美しさを表現する基本である。
美しさの基本についてもう一つ、やはり中学時代の
数学の時間に教わった、「黄金分割」がある。
これも美しさを表現する時、注意すべきことである。
絵を描くときの構図、写真を撮る時の構図、上下左右、斜めに分割する際、
注意が必要になる。
前述の盆栽の寄植えでも、四角い鉢の中を黄金分割するし、
鉢の大きさと植えられる木との関係が、
三対二、二対一になるように設定していく。
そんなことを、散歩しながら思い出した。
こんなことを考えながら、人の人生は過ぎていくのだなあと思った。
そして思い出したのが、一休禅師の歌
たそにたそ たそたそにたそ たそにたそ
たそにたそとて なにもなきかな
を思い出した。その意味は、
誰に誰? 誰々と誰々よ 誰に誰よ
誰に誰といっても 何も無いよ(空虚だよ)
という意味だそうだ。
世間では良くある噂話。
誰と誰の話? 誰それさんと誰さんの話、誰さんと誰さんかぁ!
誰だ 誰だといっても、無駄な話、ただの噂話だよ 根も葉もない。
という意味合いだ。特段、噂話でなくても良い。
ボクが中学時代の話のことだ。
その意味は、次のようでも良い。
試験の点数が良かったのは、誰と誰、いいえ、誰さんと誰さんよ、
いやいや誰さんと誰さんに決まっているじゃあないか、
そんなことひそひそ話をしても、何にもなりませんよ!
それより、噂に上る誰さんになれるように、勉強したほうがいいよ。
という意味にも取れる。
話が変わるが、次の歌は、詠み人知らずで とても有名。
つきづきに つきみるつきは おおけれど
つきみるつきは このつきのつき
この歌と並んで前述の一休禅師の歌が、教科書に
書いてあったのを思い出す。
時々、クイズの中に見る。この歌の中で「空に見える月」は
何回出てくるだろうか?と。
荒川土手の芝焼きを見て、そんなことを考えながら家路に着いた。