二宮金次郎の銅像は、
以前は、どこの小学校にもありましたが、
現代ではあまり見かけることがありません。
話は変わりますが、25年前、東海道を車で、
東京から下り、小田原市へ入る手前の
二宮町の街道沿いの小学校に、
二宮金次郎の銅像を見かけたのがボクの最後の記憶。
二宮町だから、二宮金次郎もこの地の出身かと思ったら、
お隣の小田原市の出身でいろいろな功績を残したかたです。
貧乏な農家に生まれ、子供のころから働き、
しかも勉強して、藩の財政を立て直した立役者でした。
農家出身者が、武家社会の藩の財政に手を付けることさえ、
当時は難しい時代に、立て直しをしたのは、
余程の才能の持ち主だったようです。
それを見習えと立てた銅像でしたが、
近年は時代にそぐわないと、
銅像そのものも、撤去されてしまいました。
ところが、つい最近になって気が付いたのですが、
ボクの身の回りに、
下記のような、二宮金次郎が沖縄のシーサーに挟まれて、
置いてあるのを見つけたので珍しいと思ってパチリ!
面白いことに、三体の像の前に、
おにぎりらしきものが置いてある。
まるで神さま仏様に、捧げるモノのようにして・・・・
おいてある場所はと言えば、
およそ40坪程度の空き地にである。
空き地と雑草と二宮金次郎と沖縄シーサー、
奇妙な取り合わせの置物でした。
のようですね。わたしの小学校にも
銅像まだあります。
供出を預かる人の裁量で、供出しなくても良い場合がありました。
お寺の鐘には、先祖の天皇の名前が入っていると、
恐れ多いとか言って供出しなくても済みました。
ボクの疎開先では日本刀「関の孫六」が残っていました。
今残っている像は石造かも?知れません。
どんな意味が隠されているのでしょうね。