王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

光市母子殺人事件 広島高裁 万死に値と本村氏

2007-09-21 05:56:14 | 社会
「万死に値、命で償いを」=遺族が陳述、うつむく被告-光市母子殺害・広島高裁 (時事通信) - goo ニュース

昨日まで3日間光市母子殺人事件の差し戻し審の公判が行われその様子が折々TVで流れました。
今回は弁護側の質問に「一二審で全く語られなかった初期の取り調べ段階で警察の誘導があった」と答え「殺意と強姦の意思を否定」した様な感じを受けた。
すでに多くの人が弁護団の弁護の進め方に疑問を呈しているのでこれ以上は書かない。
昨日は本村さんと奥さんのお母さんが意見陳述をして「犯したことを命で償う」よう要望した。
公判後弁護団団長は「初期の段階で司法担当者がやるべき事をやっていれば事実誤認が起きず(強姦殺人でなく傷害致死傷と強弁)こんな誤審は起きなかった」と語っていた

新婚間もない幸せな家庭、夫の帰りを待つ妻と11ヶ月の娘さん。その部屋に押し入り新妻弥生さんを絞殺と陵辱、母親の異変に気がつき這いよる夕夏ちゃんを床に投げつけ、それでもママと泣きながら這いよる夕夏ちゃんを絞殺するという鬼畜の業なのである。

差し戻し判決が下りた時に「光市母子殺人 無期懲役破棄」のエントリーで書いたが、幸せな家庭を一瞬にして破壊した男を「何で死刑にできないのか?」という単純で明快で腹立たしい思いは日本の「保守本流の根っこ」である。
日本の司法が三権分立で行政と立法から独立しているのは良いが、独善で悪しき経験主義と前例踏襲主義に留まる為、新たな事態に対応できない姿をそのまま現している。被害者である本村氏は裁判の度に研ぎ澄まされ「そのもどかしさ、やるせなさ、怒りのやり場のなさ」は「日本の司法制度に対する弾劾となっている」

この司法の体たらくを何とかするべく「民意」を聞く形を取ると、「雑音とか司法の堕落」と批判があがる。本来は「三権」の上に三権の調整者がいなければ分立は機能しない。昔はそれが立憲君主なのだが、今の日本には不在なのである。
爺はこの職種を「日本国摂政大臣」と仮称する。
この人物は有権者全員の国民投票により選出され三権の調和について常に検討する事が仕事の半分となろう。その性格から残り半分が日本の中長期計画の立案と検討である。

行政府の長官である内閣総理大臣は年度毎の行政目標に専念する事となる。

ついでながら、今騒いでいる自民党総裁選挙で全国行脚をしたり毎日TVに出演して個人の見解を述べているのも茶番である。 そもそも国民には彼らに投票権がないのであるから。

「本当に民意を聞く気なら解散総選挙が正道である」

話が余談に渉った。もう少しまとまった話は「差し戻し審」の判決が出た時に改めて書きましょう。

時事通信:
1999年4月に起きた山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が一、二審の無期懲役判決を破棄した当時18歳の少年だった被告(26)の差し戻し控訴審第10回公判は20日午後も、広島高裁(楢崎康英裁判長)で続き、会社員本村洋さん(31)ら遺族が法廷で意見陳述した。

 本村さんは5年9カ月ぶりにこの裁判で証言に立ち、差し戻し前の二審で陳述した内容を振り返りながら、「君の犯した罪は万死に値する。命をもって罪を償わなければならない」と強い口調で被告に語り掛けた。

 殺意や乱暴目的を否認している点にも触れ、「君が心の底から真実を話しているように思えない。だから、謝罪の言葉を述べようとも信じられない」と傍聴してきた感想を明かした。

 被告はジャケット姿でうつむいて耳を傾け、陳述後に深く一礼したが、本村さんは被告と終始目を合わせなかった。(引用終わり)
コメント (4)
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