王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

「“たら”“れば”で読み直す日本近代史」を読む

2007-09-27 05:04:28 | 本を読む
この本は“あのときこうしていたら”とか“こうしなければ”という視点で日本の近代史、それも特に戦争史の面から捉え、別の可能性或いは選択肢があったり無かったり、その道を選択しても結論は変わらなかったり割合幅広く明治維新以降の軍事行動を論評している。
B5版で本文は180ページほど中に写真あり、図や表があり大変分かりやすい。
2006年講談社発行です。

著者は黒野 耐(くろのたえる)氏 99年陸上自衛隊を陸相補で退官。以降04年まで防衛研究所の戦史部主任研究員。現在大学講師。
道理で明治維新以降の日本の軍事行動を一連の流れとして捉え、ついに大東亜戦争で完敗にいたる幾つかの結節点で“たらとれば”を考え評価を加える。


本文は11章に別れますが短編として独立していて全体が日清戦争から太平洋戦争までの結節点が取り上げられ時系列で繋がります。
爺が興味のあったのは第5と6章の「第一次世界大戦」に関する欧州戦線への陸軍の派遣に関する“たらとれば”の考察です。

もし真剣に派遣を検討し40個師団はともかく20個師団でも派遣を決め、欧米の船舶チャーターの支援、欧米製武器の供与、兵站補給の支援を受けて動き出したとすれば、戦後のベルサイユ会議で「中国で火事場泥棒的働き」と謗られ「日本対英米仏」という対立構造が形成され段々と世界から孤立してゆく事が避けられたであろう。
現実は「対華21か条の要求」を始め中国への干渉を強め欧米特に米国との対立を際立たせて行った。

第9章「三国同盟を破棄していたら」も興味深い:
P148には「1940年3月末、陸軍中央は40年中に日中戦争を解決できなかった場合には、41年初頭から逐次に中国本土に展開する兵力の撤退を開始し、43年頃までに上海の三角地帯と華北・蒙彊(察哈爾省・綏遠省・山西省北部)の一角に兵力を縮小配置する事を決定した。ところが同年5月10日、欧州で開始されたドイツ軍の西方攻勢が、それを白紙に戻してしまった。ドイツ軍が約一ヶ月でフランスを降すという劇的な成果を見た陸軍内に一転、“バスに乗り遅れるな”の機運が高まりーー以下略」
この軍部の動きで「大陸撤退を志向した人たちは皆中央から外され或いは軍務で僻地に追いやられた。筆者はこの事実を穏やかに指摘する数少ない一人です(これは爺注)」
ついに同年9月「三国同盟締結」
この同盟を破棄に関わる“たらとれば”である。
ドイツは締結後1ヶ月で劣勢に回る。ぼろ株を最高値で買って全財産を無くしたのは国民、買いを勧めたのは軍部とそれを止められなかった近衛総理を始めとする政治指導者であった。
著者は政治不在軍部独走の流れの中で「太平洋戦争」には“たらとれば”さえ存在しないと酷評している。
結びの言葉として:
長期的視点に立って国を指導する人材の育成と要路への登用。
「満州事変」で見られたように政治的正解が選択できても「軍中央や現地軍」が従わないとの制度・組織上の問題の二点を指摘している。
そして戦前の轍を踏まないために、思想組織制度等も時代に合わせ常に改革を進める事が不可欠としている。
丁度「テロ特措法」の関連で自衛隊の給油活動が問題になっている事が頭の隅に浮かんできて、給油の継続はよくよく皆で考えた方が良さそうだと思った次第。
一読をお奨めします。


 
コメント
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