王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

TVアニメ「火垂るの墓」を見る

2007-09-22 06:19:16 | 芸能
昨晩は日本テレビで「火垂るの墓」を久しぶりに見ました。1988年の作品だそうでこれ迄も終戦の日前後に再放送されています。爺はその時期、この映画を見ると悲惨すぎて耐えられないので見ないことにしていました。
最近ではTVドラマも作られましたよね。やはり見ませんでした。

昨晩は何でこんな時期に「火垂るの墓」をやるのだろうと思いTVを見てそのまま見るのを止められなくなりました。

話は昭和20年(1945年)9月21日夜、神戸の(西宮?)ガード下で少年が餓死しているのを駅員が見つけました。手には何やら箱の様なものを握っています。
駅員は遺体からそれを取り上げ暗闇に投げ捨てますが、その時明かりの下でそれがサクマのドロップの空き缶であり空いた口から遺骨らしい物が飛び出した様に見えました。一瞬蛍がたくさん舞い上がり場面は暗転します。

昭和20年6月のある日神戸市内に空襲警報が出ます。海軍士官で軍艦「摩耶」乗り組みの留守宅では「退避の準備」に追われています。心臓に持病のある母は一足先に防空壕へ、清太(せいた)は中学生(14歳映像からは分からない)でいささかの食料品を庭に穴を掘り埋めている。そばに妹の節子(4歳同じ)。埋め終わると節子に防空頭巾を被せおんぶ紐で背負い、早くも焼夷弾が赤く火を噴きながら落ちてくる中を右往左往して何とか海岸に逃げ延びる。
先に退避した母親は重度の火傷で翌日死去。骨になってしまう。
母親に会いたがる節子を宥め、かねて決めてあった西宮にいる遠縁の親戚である小母さん宅を頼る。
兄妹に残った物は埋めた食料品と僅かばかりの母の着物。節子はサクマのドロップを缶ごと貰い大切になめる。小母さんの家も息子と娘の三人暮らし。楽ではない。
やがて母の衣装も米に変えられ、その米も尽きる頃、辛く当たられる。
母親の残した預金でなべ釜を別にして食事を作り、それが又小母さんの怒りを呼ぶ。節子が母親を慕って夜鳴きをする事で小言をいわれて、清太は切れてしまう。
町外れの山間に捨てられた防空壕があり、二人して自活を始める。ご飯を炊いておかずを作りまま事の様な生活である。しかしそれも食い物のある間であった。池のタニシ、小魚、田んぼの蛙まで干して食べる様な生活。

夏の日飛び交う蛍を沢山集め、蚊帳の中に放して遊ぶのもつかの間の事。
ある朝、節子が蛍(の死骸)を集めて穴を掘り「蛍のお墓」だと言って遊んでいる。「お母ちゃんも穴の中だろう」と兄に確認する。小母さんから母親が死んだと事聞かされて知っているのだ。それと「近頃下痢が止まらない」と訴える。

(爺注:これは栄養失調の典型的な前駆症状なのです)そういえば小さかったあせもの後が広がっている様子も見えます。(これも体力が落ちて免疫機構が十分に働かない為、直らないのです)
でも兄は下痢の話を深刻には受け止めませんでした。
そうこうしているうちに、口に入るものは少なく節子は「兄ちゃんお腹が減った」をしきりに口にします。
兄は万策尽きて近所の百姓に救いを求めますが、この時期「隣組を外れて配給は貰えないから、頭を下げて小母さんの家に帰れ」と勧められますが、帰りません。
もう近所の畑からトマトやひねたサツマイモ迄盗んで駐在所まで引っ張られる始末。心配した節子が辛うじて後を追ってきました。 もうお腹は完全に素通りの様です。静太はついに空襲警報が出ると街中に走り、退避で無人の家に上がりこみ米びつを漁り箪笥を物色して衣装を盗み出す始末です。でもその衣装さえスフ(人絹)で物に変えられない日があります。がっかりして防空壕に戻ってきた朝、節子が見えません。あわてて探すと近くで倒れています。飢え騙しにおはじきを口に含み、もううわ言をいう状態です。あわてて医者に担ぎこみ見てもらった結果は「栄養失調」。治療法はなく滋養を付けろという一言。アニメですから節子のやせ衰えた姿、自力歩行が出来ません。全身を覆う湿疹。
「滋養をつけろと言ってもどうすれば良いのだ!」と怒る静太。
節子は「兄ちゃんお腹がすいた」と訴えます。てんぷら、アイスクリームそしてドロップも食べたいと。
万策尽きた清太はふと母親の貯金が残っていた事を思い出します。
もはや静太と離れる事を本能的に嫌う節子は「離れるのはいや。兄ちゃんと一緒にいたい」と訴えます。
節子のお腹を満たす方法を思いついた静太は節子を宥め町の銀行に出て預金を金に替える事に成功します。その時戦争が既に終わっている事を知ります。壕の中にいてラジオも聞かないので情報がありませんでした。未だに連絡の取れない父の戦死も薄々察しました。(因みに摩耶は前年19年10月潜水艦の攻撃により8分で沈没している)

父の戦死、節子の容態を心配しながら買い物をする。米、鶏肉、卵等が手に入った。壕では節子が虫の息。カバンからスイカを取り出し節子の口に入れてやる。
辛うじて「お兄ちゃん 有り難う」の声。
今おいしい卵入りのおかゆを炊くからと励ましの声を掛け、支度にかかる。
出来上がって節子に知らせにきた時には彼女は一人息を引き取っていた。

翌日一人節子を荼毘に付す静太。 静子の遺骨をサクマのドロップの缶に入れて静太は壕に二度と戻らなかった。(シナリオでは8月22日だと)
9月21日 静太も栄養失調で死んだ。
これが9月21日だ。
つまり昨日は静太の祥月命日だった訳。 それで再放送がされたのであろう。

爺が若い頃この映画を見た頃は節子の姿が娘に重なり、途中から脈拍が速くなるのが分かる。可哀想で、いたたまれなくて思わず立ち上がり部屋の中をぐるぐる歩いたりしてしまった。終わった後は寝られない。
今回も可哀想で胸が詰まる。今回は特に同い年の孫娘の姿と重なり脈拍が速い。
幼児体験の「飢えた思い。腹いっぱい食べたいとの思い」は嫌な記憶として普段は意識の底に押し込められているのであろうが、「火垂の墓」で無理やり記憶が呼び覚まされるのであろう。空襲警報、防空壕、管制灯、そういえば過日TVで災害警報が爺が子供の時と同じ調子で吹鳴した。とたんに脈拍が速くなったから、記憶は薄れているが、動物的な部分で危険に対してすばやく反応するのを感じた。
とにかく布団に入ったが3時頃まで寝付かれなかった。

話は全く飛ぶが、民主党小沢党首は「国連決議」でないから「テロ特措法」に反対であるとか。「国連決議」があっても「国民に餓死者が出ている間は海外に軍隊を出さない」と言って「国会で御免なさい」をしても「へたれとも臆病者」とも思わない。人の頭のハエを追っている暇はないと思うと付け加えたら立派である。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする