表題だけチラッと見た時は、北海道の方にも在日コリアンの集落が有ったのかと思いました。京都府宇治市と有ったので、念のためググると戦前から続く長い歴史が有ったのですね。
大東亜戦争末期に宇治市周辺に飛行場を作る軍の都合が有り、労働者を集めましたが、終戦前に計画は取りやめ(飛行場建設どころで無くなった)になり、戦後はウトロ地区が(俗に言う)朝鮮人部落(この記事では在日コリアンの集落)と表現されています。
何と2ヘクタール余り(ざっと3000坪ですから大型の野球場ほどの大きさ)ですから、地方にしては大きいですね。浜爺は浜っ子ですから、小学生の頃から南太田にあった朝鮮人部落を知っています。そこから京浜急行線で弘明寺の大岡小学校に通ってくる朝鮮人の兄妹が居たのを思い出した。
戦後の混乱の中、ヒロポンの密造や警察の取締まりなどが有ったのを薄っすらと思い出しました。
ウトロ地区も戦後のどさくさでいろいろん事があったのでしょう。2000年には、同地区は最高裁判決で住民らに立ち退きが命じられた。
2021年には放火事件が起きました。放火された家屋は当時空き家でしたが放火で全焼した家屋など約30棟とあります。
(恐らく最高裁判決以降)行政や韓国政府の支援や寄付により土地の一部を購入し、市営住宅を整備し(移転を促進していたのでしょうね)7年掛かりで住宅が完成、52所帯が入居して暮らしていると有ります。
双方で悪口を言いあっているだけでは「問題は片付きません」。
地元民と在日朝鮮人と行政の三者の80年を超える様々な交渉の結果、取り敢えず、落ち着いた様に見えます。地元民でないので外目にはそう見えます。
横浜では跡地は市民公園に整備されています。
写真:家屋の解体に向けた作業が始まったウトロ地区(宇治市で)
読売新聞オンライン:
在日コリアンが暮らす京都府宇治市のウトロ地区(約2・1ヘクタール)で19日、一帯に残る家屋の解体に向けた作業が始まった。市は9月下旬頃の作業終了を目指している。
市が解体するのは、2021年の放火で全焼した家屋など約30棟。この日は朝から、焼けた家屋周辺で足場の設置やゴミの搬出などが実施された。また、ウトロ平和祈念館のメンバーが、放火された家屋の柱などを保存するために、一部を祈念館に運んだ。
地区を巡っては、2000年の最高裁判決で住民らに立ち退きが命じられた。住民側は韓国政府の支援や寄付により土地の一部を購入し、市などが市営住宅を整備。17年に1期棟、23年に2期棟が完成し、52世帯が入居して暮らしている。放火された家屋は当時空き家だった。
祈念館の田川明子館長は「(市営住宅に入居して)人間らしい衛生的な暮らしになったのはとても良かった。ただ、(歴史的な意味で)象徴的な作業員宿舎などが解体され、消えてしまうのは残念」と話している。
(引用終わり)