王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

安倍総理さよなら会見

2007-09-25 06:28:13 | 政治
安倍首相記者会見の要旨(朝日新聞) - goo ニュース

爺は安倍総理が最後に何を言うか関心がありました。
昨日5時からのTVライブ放送を見ている限りがっかりしました。

安倍氏は事前に用意したメモを読み上げていた様で日本語を話してしましたが、爺には脈絡の無い、従って中身の無い「言語弱く意味不明」に聞こえました。

会見の主旨は「国会の開会で所信演説をした直後」に辞任表明した事を国民に詫びたいとの事の様だ。

爺が聞いた限りでは:
「総理大臣は体調の不振をやたら告げるべきでない」
「所信表明直後で国民に迷惑かけた」
の2点が主旨の様に聞こえました。
記者からの質問で:
「テロ特措法について小沢氏との会談破綻の件は?」
「麻生幹事長クーデター説」
「臨時総理の任命」
「福田総理についての感想」
「どちらに投票したか?」等について応答が続いていた。
どの質問についても明快な回答と思えなかった。

爺に言わせれば「内閣の助言と承認を得て国会の召集を行われた今上陛下」に対し事実上国会運営を止めてしまった結果に何の謝罪もしなかった。
結構右側の論客もこの点を余り責めない。
爺には何故「所信表明演説の直後に辞めたのかがあの会見での発言でも一向に判らない」。実はあの日におしめをしていったが下痢が収まらないので、明日以降は醜態を晒す事になる---としたら一応説明になる。
しかし十数日振りに表れた安倍総理をマスコミ始め優しい諸氏は「節目がちにとか声に力なく」と同情の様子であるが、爺はふざけるのでないと言いたい。

会社の健康診断で前日夜八時から食事を抜いて昼以降TVに出たってもう少しげっそりとした表情になる。
普段美食の中年男が5キロダイエットしたなら、もう少し鋭い印象に見えて当たり前。翌日国会に出られないほどの症状なら「あれが安倍氏の顔と驚くほど面変わりしている」とか「急激な体力低下で杖に縋ってよろよろと歩く」姿に皆がぎょっとする位なら体調不良は信じられる。 だが会見に現われた姿は「当人が(勝手に決めた)体力と精神の限界を超えたのでギブアップして脱力か気落ちしてしまった中年男の顔でしかない」

「小沢氏を理由にして御免なさい」とはっきり語るべきであった。

臨時総理を置かずに済むなら入院なんかするなーちゅーんだよ。

総裁選白紙投票は「太蔵君ではなく安倍氏ではなかったか?」

誰に投票したかも「靖国に参拝したかどうか言わない」と答えた様に答えなかった。
安倍氏は初めと変わらず終わりを迎えた。
爺には辞任の「本当の理由を語ったと思えない」それなら黙ってされば良かった。
真実は語らないと山口県はとも角全国区の議員として復活するのは難しいかも。


朝日新聞:
安倍首相が24日、入院先の東京・信濃町の慶応大病院で行った記者会見の要旨は次の通り。

 【謝罪と辞任理由】

 辞意表明が、国会冒頭の重要な時期、所信表明演説の直後という最悪のタイミングになってしまった。国政に支障をきたし、迷惑をかけたことを深くおわびする。この1カ月間、体調は悪化し続け、自らの意志を貫いていくための基礎となる体力に限界を感じた。総理としての責任を全うし続けることはできないと決断、辞任表明に至った。(引用終わり)
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自民党 新三役決まる

2007-09-25 05:02:28 | 政治
伊吹幹事長・谷垣政調=古賀氏は選対委員長-二階総務を再任・自民役員人事 (時事通信) - goo ニュース

いやー昨日昼前のTVニュースで自民党執行部の人事が決定したのを見てました。
驚きました。

というか余りの露骨さに唖然!
幹事長 伊吹文明、政調会長 谷垣禎一、総務会長 二階俊博 とこれが通常であれば党三役。
これに加えて選対委員長 古賀誠 である。
解説を聞かなくても素人の爺にも「派閥会長」を臆面も無く幹部に登用した、派閥談合の論功行賞ではないか。

しかも選対委員長ポストは今までは「幹事長の下に位置したものが幹事長と並ぶ四役の席」だと。
爺が考えても「幹事長は金と選挙で公認のお墨付けの力があって党内に睨みが利いていた」と思うので「公認権?」を幹事長から奪ってどうなるであろうか?
それも「古賀氏」が希望したので「派閥の均衡のため選対委員長を格上げ」したようだ。
早晩解散総選挙であるから、新機軸が上手く機能するであろうか?

四役の多くは総理も含め中韓とパイプが深い。自民党を始め国民の関心といささか違いが有るのではないか?

政治と金の問題で「はっきり説明しなかった人もいるし、臭い人もいる」
午後の閣僚人事でもあっと驚く古典的人事が有るかも知れない。
注目しましょう。


時事通信:
自民党の福田康夫総裁は24日午前、幹事長に伊吹派会長の伊吹文明文部科学相(69)、政調会長に谷垣派会長の谷垣禎一元財務相(62)を指名した。総務会長には二階派会長の二階俊博氏(68)を再任。また、古賀派会長の古賀誠元幹事長(67)を選挙対策委員長に起用した。

 役員人事は同日午後の臨時総務会で了承された。福田氏は、各派の領袖を3役などの要職に起用することで、党内のバランスに配慮し基盤固めを図った。

 新幹事長の伊吹氏は、福田氏も参加する外交や経済に関する勉強会のメンバー。「気心の知れた間柄」(町村派幹部)であることが、起用の決め手となった。就任後は、衆参両院で与野党の勢力が逆転する「ねじれ国会」の下で難しいかじ取りを迫られる。

 総務会長については、福田氏は当初、古賀氏に就任を打診したが、古賀氏が選挙対策のポストを希望したため、福田氏も受け入れた。次期衆院選の実務面での責任者となる選挙対策委員長は、これまでの選挙対策総局長に代わるポストで、3役級とした。谷垣氏は、福田氏と経済・外交政策が近いことから政調会長に起用された。

 国対委員長と幹事長代理は大島理森(61)、細田博之(63)両氏がそれぞれ再任された。大島氏と連携する笹川堯衆院議院運営委員長(71)も代えずに、国会運営に臨む。(引用終わり)

写真:派閥の連鎖? 
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福田氏 第22代 自民党総裁に

2007-09-24 05:05:38 | 政治
自民新総裁に福田氏 麻生氏破る 初の親子2代首相へ(共同通信) - goo ニュース

昨日午後第22代自民党総裁に福田康夫氏が選出された。明日の国会で首班指名を受けて第91代内閣総理大臣となり「日本丸の舵取りを勤める」事となる。
頑張ってもらいたい。

下馬評通り福田氏の勝ちであったが、麻生氏も善戦した。爺は麻生氏が買われたと言うより福田暫定の場合、その後継の芽のある麻生氏にも勝ち組の派閥が票を割って生き残り策を講じたと見ている。
豊臣と徳川の天下分け目の一戦に「真田家」が家を分けて双方に味方した様に。

さて渋谷の街頭演説のエントリーでも書いたが候補の訴える視点は平成17年11月の自民党新綱領に即しているが、国の債務残高834兆円(3月末、うち国債残高674兆円)をどうするのか語らないから綱領にある
「持続可能な社会保障制度の確立を」が絵空事にしか聞こえない。社会保障どころで無くて国が危ういのですよ。 しかも福田さん! 貴方のお父さんは佐藤栄作総理の下、大蔵大臣として「日本人死の大行進」の元凶である赤字国債を戦後初めて発行したお人だ。黙っているのは無責任の極みだ。(時間がある方は9月16日のエントリーを見てください)

この水漏れでアップアップしている日本丸に手を入れないでおいて、20歳の若者から「年金掛け金を強制徴収し45年後に返すとどうして納得させられるであろうか?」当然消費税率のアップなんてもう「糞して寝ろ!」である。

一つ一つを確実にと言うが、東京から青森に行くのに「東海道新幹線」に乗ったらどう安全に走っても着くのは大阪である。

安倍総理が辞任表明をした原因の「テロ特措法」であるが、国際、国際協調と声高に叫ぶが中身は「日米二国関係」にしか過ぎない。中露は「洋上給油に冷ややか」である。国連重視も「常任理事国でないのに米国に次ぐ運営費負担国」先週ラジオでミッキー安川が「脱退してしまえと言っていた。頼まれたら改めて戻ってやる」のだそうである。一つの考え方かもしれない

テロ対策であるが、アフガンやパキスタンでも問題のイラクに於いてもイスラム教徒対親米勢力の争いに見えてくる。
誰が敵だか分からないから、その辺一帯を銃爆撃して住民に被害を及ぼし反感を広げる。
日本の国益とは何であるのか? 米国に「洋上給油」を終わりにすると日本はひどい目にあうのであろうか?
いろいろ多角的に眺め考える良い時期である。日本ではあまり報道されないが、北朝鮮の核技術移転疑惑に絡み「イスラエルがシリアの施設を空爆」したり、その流れで「イランとの間もきな臭い」
「洋上給油」はインド洋と言って地図を眺めれば「イランの沖合い」なのである。

「拉致問題」は私の手で解決と伸べた。「日中国交回復」は田中角栄、「日中友好平和条約」は福田赳夫 今考えるともう少し考えて中身を詰めてから締結する必要があったのであろう。スタンドプレーは危険である。

麻生氏との違いは「同じ脚本」で「演出家と役者の個性の違い」にしか過ぎない。
後日麻生氏が出ても大きくは変わらない。 序ながら安倍氏だって綱領の右側を強く訴えていたに過ぎない。

現状は安倍氏「政権を投げ出す」前と何も変わらない。イランは益々焦げ臭い。
参議院は野党が過半数のまま。
野党との話し合いで政局が動くとも思えないので、日本国民は捩じれた国会運営にイライラが続く。後日「だから衆議院解散を早くやっていれば」なんて論評されないようにお願いしたい。


共同通信:
自民党総裁選は23日午後、両院議員総会で党所属国会議員と各都道府県連代表者による投票と開票を行い、福田康夫元官房長官(71)が麻生太郎幹事長(67)を破り、第22代総裁に選出された。福田氏330票、麻生氏197票だった。25日に安倍晋三首相(53)の後継となる第91代首相に指名され、同日中に新内閣を発足させる。福田氏は福田赳夫元首相の長男で、初の親子2代の首相となる。
(引用終わり)
写真:当選時の福田氏
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保育園に2年置き去り 北九州市姉妹保護

2007-09-23 05:09:58 | 社会
保育園に2年置き去り 北九州市姉妹保護 園長、市に報告せず(西日本新聞) - goo ニュース

何とも悩ましい問題である。
北九州市の保育園で5歳と3歳の姉妹が、2年間園で保育されていた。原因は両親の貧困と離婚が元で預けっぱなしになった様だ。
市に通報あり、この姉妹を児童相談所に保護したそうである。

爺は園長が記者会見してる様子をニュースでちらと見た。
大勢の記者を前にして年配のご婦人が責められている印象であった。最後の方で「養子にしても(面倒を見ようと思っていた)」と発言していた。

決まりでは5日以上預かり放しの児童は市に報告するのだが、2年も園で面倒見ていたのは、ルール違反という事であろう。

爺はふと思った。北九州市は過日園児が熱中症で死亡。もっと前には「生活保護の受給問題」で餓死者を出していなかったか?(勘違いであったらごめんなさい)

園長は言わなかったが「市が窓口の児童相談所に預けるより私の園で面倒見るほうがずーと良い環境」であったりして。
報道は「園長が2年も預かった事を問題」にして「児童相談所に預けたらどうなのだ」という姿勢はない。
報道の一部では「姉に虫歯、妹に軽い歩行傷害」と書いてあったが、調べたらそういう事で、園に2年居たからそうなのか注釈は一切ないから「園長が悪い様に思えてしまう」

園長は96年にも男児2名を2-4年間園で面倒を見ていた事がある。
これを以って園長を非難する雰囲気だが爺には民間の篤志家に見える。保育園を経営していなく個人であれば頭の下がる行為に思えてしまう。

本当に悪いのは育てられないのに産む、産んだけれども育てられない社会環境であろう。お姉ちゃんは他の児童が「母親が迎えに来る」という時に、「私も(ママが)迎えに」といったと言う。
爺はこの会話を聞いて「目がうるうる」してしまった。
子供は母親を選べない。(手ひどく扱われても)母親を慕う気持ちは強い。
この一家に住宅を与え、就職の斡旋をして暮らしが成り立つようにするのが「日本国家の品格」だと思う。金がないわけでは無い。使えもしない外貨準備だけでも90兆円位(国家予算の1年分以上)ある。特別会計でも無駄遣いを大鉈振るえば2-2兆円はたちどころに出てくる。
そう国際貢献などやめてインド洋上での無料給油をやめても多額の金が残る。
要するに、優先順位の問題であって、日本に金がないわけでは無い。
貧乏人や子供は族議員の票にならないのである。でも誰かが言って欲しい。
「人の頭のハエを追っている場合でないのだよ」

園長への処分は形ばかりである事を願います。


西日本新聞:
 北九州市は21日、同市小倉北区砂津2丁目の認可外保育園「砂津保育園」=佐藤良子園長(65)=が保護者に置き去りにされ、園内で約2年間預かり続けていた5歳と3歳の園児姉妹を一時保護したと発表した。厚生労働省の指針では、昼夜分かたず5日以上滞在させる場合は届け出るよう定めており、市は改善指導する方針。熊本市での「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)の設置などで子どもの命をどう守っていくかが問われるなか、同園の対応は波紋を広げそうだ。

 佐藤園長は「必ず親が迎えに来ると思っていた。迎えに来なければ養子にしようと思っていた。施設には入れたくなかった」と話している。

 市保育課によると、同園は24時間保育を実施しており、園児は姉妹を含め13人。姉妹は2005年春から通園していたが、約半年後、母親の所在が不明になり、佐藤園長がそのまま園内で生活させていたという。匿名の通報を受けた市が18日に立ち入り調査し、姉妹を発見。市は健康状態を検査している。

 同園は年に一度行われる市の立ち入り調査の際には「(5日以上滞在している園児は)いない」と答えていたという。

 姉妹の保護を受け、市子ども総合センター(児童相談所)は両親(既に離婚、いずれも20代)を捜索。住所不定の父親は「仕事を見つけて迎えに行こうと思っていた」、市内に住む母親は「借金のため昼夜働いて体調を崩し、育てられなかった」と話しているという。

 同園は1996年11月にも、保護者と連絡がとれなくなった2歳と5歳の男児2人を2‐4年間、園内で生活させたとして改善指導を受けた。佐藤園長は「これまで『子どもはいらん』と言い放つ母親も見てきた。産んだ限りは責任をもって育ててほしい」と述べ、園内に園児を長期間滞在させた同様のケースがほかにも数件あるとしている。

■母の危機察する環境を 北九州市立大文学部の河嶋静代教授(児童福祉)の話

 親との連絡が途絶えた時点で子どもにとっては虐待であり、児童相談所に通告すべきだった。24時間保育を実施する保育園には昼夜を問わず働く女性が子どもを預け、周囲から孤立するケースが少なくない。母親の危機を察知する環境整備が必要だ。(引用終わり)
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TVアニメ「火垂るの墓」を見る

2007-09-22 06:19:16 | 芸能
昨晩は日本テレビで「火垂るの墓」を久しぶりに見ました。1988年の作品だそうでこれ迄も終戦の日前後に再放送されています。爺はその時期、この映画を見ると悲惨すぎて耐えられないので見ないことにしていました。
最近ではTVドラマも作られましたよね。やはり見ませんでした。

昨晩は何でこんな時期に「火垂るの墓」をやるのだろうと思いTVを見てそのまま見るのを止められなくなりました。

話は昭和20年(1945年)9月21日夜、神戸の(西宮?)ガード下で少年が餓死しているのを駅員が見つけました。手には何やら箱の様なものを握っています。
駅員は遺体からそれを取り上げ暗闇に投げ捨てますが、その時明かりの下でそれがサクマのドロップの空き缶であり空いた口から遺骨らしい物が飛び出した様に見えました。一瞬蛍がたくさん舞い上がり場面は暗転します。

昭和20年6月のある日神戸市内に空襲警報が出ます。海軍士官で軍艦「摩耶」乗り組みの留守宅では「退避の準備」に追われています。心臓に持病のある母は一足先に防空壕へ、清太(せいた)は中学生(14歳映像からは分からない)でいささかの食料品を庭に穴を掘り埋めている。そばに妹の節子(4歳同じ)。埋め終わると節子に防空頭巾を被せおんぶ紐で背負い、早くも焼夷弾が赤く火を噴きながら落ちてくる中を右往左往して何とか海岸に逃げ延びる。
先に退避した母親は重度の火傷で翌日死去。骨になってしまう。
母親に会いたがる節子を宥め、かねて決めてあった西宮にいる遠縁の親戚である小母さん宅を頼る。
兄妹に残った物は埋めた食料品と僅かばかりの母の着物。節子はサクマのドロップを缶ごと貰い大切になめる。小母さんの家も息子と娘の三人暮らし。楽ではない。
やがて母の衣装も米に変えられ、その米も尽きる頃、辛く当たられる。
母親の残した預金でなべ釜を別にして食事を作り、それが又小母さんの怒りを呼ぶ。節子が母親を慕って夜鳴きをする事で小言をいわれて、清太は切れてしまう。
町外れの山間に捨てられた防空壕があり、二人して自活を始める。ご飯を炊いておかずを作りまま事の様な生活である。しかしそれも食い物のある間であった。池のタニシ、小魚、田んぼの蛙まで干して食べる様な生活。

夏の日飛び交う蛍を沢山集め、蚊帳の中に放して遊ぶのもつかの間の事。
ある朝、節子が蛍(の死骸)を集めて穴を掘り「蛍のお墓」だと言って遊んでいる。「お母ちゃんも穴の中だろう」と兄に確認する。小母さんから母親が死んだと事聞かされて知っているのだ。それと「近頃下痢が止まらない」と訴える。

(爺注:これは栄養失調の典型的な前駆症状なのです)そういえば小さかったあせもの後が広がっている様子も見えます。(これも体力が落ちて免疫機構が十分に働かない為、直らないのです)
でも兄は下痢の話を深刻には受け止めませんでした。
そうこうしているうちに、口に入るものは少なく節子は「兄ちゃんお腹が減った」をしきりに口にします。
兄は万策尽きて近所の百姓に救いを求めますが、この時期「隣組を外れて配給は貰えないから、頭を下げて小母さんの家に帰れ」と勧められますが、帰りません。
もう近所の畑からトマトやひねたサツマイモ迄盗んで駐在所まで引っ張られる始末。心配した節子が辛うじて後を追ってきました。 もうお腹は完全に素通りの様です。静太はついに空襲警報が出ると街中に走り、退避で無人の家に上がりこみ米びつを漁り箪笥を物色して衣装を盗み出す始末です。でもその衣装さえスフ(人絹)で物に変えられない日があります。がっかりして防空壕に戻ってきた朝、節子が見えません。あわてて探すと近くで倒れています。飢え騙しにおはじきを口に含み、もううわ言をいう状態です。あわてて医者に担ぎこみ見てもらった結果は「栄養失調」。治療法はなく滋養を付けろという一言。アニメですから節子のやせ衰えた姿、自力歩行が出来ません。全身を覆う湿疹。
「滋養をつけろと言ってもどうすれば良いのだ!」と怒る静太。
節子は「兄ちゃんお腹がすいた」と訴えます。てんぷら、アイスクリームそしてドロップも食べたいと。
万策尽きた清太はふと母親の貯金が残っていた事を思い出します。
もはや静太と離れる事を本能的に嫌う節子は「離れるのはいや。兄ちゃんと一緒にいたい」と訴えます。
節子のお腹を満たす方法を思いついた静太は節子を宥め町の銀行に出て預金を金に替える事に成功します。その時戦争が既に終わっている事を知ります。壕の中にいてラジオも聞かないので情報がありませんでした。未だに連絡の取れない父の戦死も薄々察しました。(因みに摩耶は前年19年10月潜水艦の攻撃により8分で沈没している)

父の戦死、節子の容態を心配しながら買い物をする。米、鶏肉、卵等が手に入った。壕では節子が虫の息。カバンからスイカを取り出し節子の口に入れてやる。
辛うじて「お兄ちゃん 有り難う」の声。
今おいしい卵入りのおかゆを炊くからと励ましの声を掛け、支度にかかる。
出来上がって節子に知らせにきた時には彼女は一人息を引き取っていた。

翌日一人節子を荼毘に付す静太。 静子の遺骨をサクマのドロップの缶に入れて静太は壕に二度と戻らなかった。(シナリオでは8月22日だと)
9月21日 静太も栄養失調で死んだ。
これが9月21日だ。
つまり昨日は静太の祥月命日だった訳。 それで再放送がされたのであろう。

爺が若い頃この映画を見た頃は節子の姿が娘に重なり、途中から脈拍が速くなるのが分かる。可哀想で、いたたまれなくて思わず立ち上がり部屋の中をぐるぐる歩いたりしてしまった。終わった後は寝られない。
今回も可哀想で胸が詰まる。今回は特に同い年の孫娘の姿と重なり脈拍が速い。
幼児体験の「飢えた思い。腹いっぱい食べたいとの思い」は嫌な記憶として普段は意識の底に押し込められているのであろうが、「火垂の墓」で無理やり記憶が呼び覚まされるのであろう。空襲警報、防空壕、管制灯、そういえば過日TVで災害警報が爺が子供の時と同じ調子で吹鳴した。とたんに脈拍が速くなったから、記憶は薄れているが、動物的な部分で危険に対してすばやく反応するのを感じた。
とにかく布団に入ったが3時頃まで寝付かれなかった。

話は全く飛ぶが、民主党小沢党首は「国連決議」でないから「テロ特措法」に反対であるとか。「国連決議」があっても「国民に餓死者が出ている間は海外に軍隊を出さない」と言って「国会で御免なさい」をしても「へたれとも臆病者」とも思わない。人の頭のハエを追っている暇はないと思うと付け加えたら立派である。


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