赤穂緞通は、赤穂の小さな町で江戸時代から作られている木綿の手織り絨緞。
「児嶋なか」という一人の女性が讃岐国高松で出会った中国の絨緞に魅せられ、26年もの歳月をかけて技術を研究し、赤穂緞通を完成させた。
「かんぽの宿・赤穂」の廊下の壁に、「赤穂緞通」2~3作品が展示されていた。
赤穂緞通は、赤穂の小さな町で江戸時代から作られている木綿の手織り絨緞。
「児嶋なか」という一人の女性が讃岐国高松で出会った中国の絨緞に魅せられ、26年もの歳月をかけて技術を研究し、赤穂緞通を完成させた。
「かんぽの宿・赤穂」の廊下の壁に、「赤穂緞通」2~3作品が展示されていた。
なので 絨毯などの床に繊維製品を用いるのは明治
維新以降~に一般に流通し始めました。
今は 防虫防腐の技術が備わってごく当たり前に
段通が使わるようになりましたが、移動民族でない
日本での流通はいまいち・・此の技術は和服の技術
に似ているが、段通は独特の時間と手間がかかります
高額になるので、高嶺の花。いいものを見せて
いただきました。
湿気の多い日本では、明治以降の住居の洋風化で、やっと必要性が出てきたのですね。
それより前の江戸時代に、外国製の絨毯をみる機会があった一人の女性が、その独特な織り方に興味を持ち、自分で織り方を試行錯誤し、木綿を使って日本独特な絨毯(赤穂緞通)を完成させたとは、びっくりです!
今も赤穂で、継承されているようです・・・
「もの作りの国、日本」
これは、日本人のDNAなのでしょうか?