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台風被害の高山線、3年ぶり開通

2007-09-09 23:48:26 | 鉄道・公共交通/交通政策
高山線、3年ぶり開通 飛騨「第2の夜明け」(毎日新聞)
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JR高山線:角川―猪谷、運行再開 飛騨「第2の夜明け」 /岐阜

◇記念イベントさまざまに
 JR高山線の角川駅(飛騨市河合町)―猪谷駅(富山市)間27・5キロが3年ぶりに運行を再開した8日、飛騨、高山、下呂の3市はこぞって全線再開を「飛騨の第2の夜明け」と形容し、さまざまな記念イベントを実施した。飛騨市の飛騨古川駅前には古川祭の屋台9台も勢ぞろいして祭り気分を再現。日本海側と太平洋側を結ぶ鉄路の復活に、歓喜の声が町中に響いた。【奈良正臣】
 飛騨市の船坂勝美市長は、同市文化交流センターで午前9時20分から行なわれた「全線再開記念の感謝式」であいさつ。「実のところ、私は3年前、被災現場を見て復旧は無理だと思っていた」と当時の被害の甚大さを振り返り、「復旧が進むにつれ、高齢者に優しい乗り物・鉄道の時代は必ずやって来ると確信した」と、JR東海への感謝を述べた。
 同駅前で行われた特急「ワイドビューひだ」の出発式では、JR東海の松本正之社長が「待ちに待った日が来た。沿線住民とのチームワークで復旧工事が完了したと思っている。被災現場は(災害に)強くなって生まれ変わった。大勢の人に高山線を利用していただき、岐阜県のメーンレーンとして発展させたい」と力強く語った。
 飛騨市観光協会の村坂有造会長は「復旧を機に、手つかずの自然の中を走る各駅停車・高山本線をアピールしたい」。古田肇知事は「太平洋と日本海を結ぶ高山線は県にとって大交流時代の夜明け」と表現した。
 出発式には、沿線住民が午前7時55分杉原駅発の列車で駆けつけた。列車は災害当日、打保駅で運行不能となり、2年半近く打保駅構内に取り残されていた客車だ。この春に“救出”されて紀伊半島の紀勢線を走っていたが、高山線に戻って務めを果たすことになったという。
 高山市は高山駅に到着したワイドビューひだ車内で、豪華な景品が当たる「飛騨高山大抽選会応募券」を配布。同駅で下車した乗客全員に、飛騨の伝統工芸品「イチイ細工」のはしをプレゼント。下呂市は下呂温泉の芸妓(げいぎ)やキャンペーンレディーが富山駅(JR西日本)でオリジナルタオルを贈った。また下呂駅前では、下呂温泉太鼓会が歓迎太鼓を演奏し、同駅に下車した乗客へ特産のフルーツトマトをプレゼントした。
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2004年秋の台風被害から3年、ようやくの復旧である。「第2の夜明け」とはいささかオーバーに過ぎるように思うが、地元の人たちにとってはそれほど大きな喜びなのだろう。

2004年には、集中豪雨の影響でJR西日本の越美北線も不通になったが、今年6月30日に全面復旧した。また、2006年7月豪雨で不通となったJR西日本・三江線も今年6月16日に復旧している。
三江線は、旧国鉄時代、営業係数(100円の売り上げを出すための経費)が700円~800円といわれ、第1次特定地方交通線(廃止対象路線)として選定を受けながら並行道路未整備を理由に廃止対象から除外された経緯があり、JR西日本でも最も経営状態の厳しい路線だ。越美北線にしたって、旧越美南線(現・長良川鉄道)との連絡計画が幻と消えて以降は三江線ほどではないにしても、状況は似たようなものであろう。
そのような中で、財政的にはJR西日本よりもずっと余裕のあるJR東海が、名古屋と富山を結ぶ基幹路線である高山本線を復旧させるのに三江線より時間がかかったことが不思議でならないのだ。JR東海は「高山本線の地形が険しく、不通になった当初は並行道路も寸断され復旧工事用のトラックも入れなかった」と主張しているが、高山本線の地形が険しいといっても、三江線とそれほど大きな違いがあるわけではない。
こんなことではJR東海は在来線に関してやる気がないと疑われても仕方がないし、新幹線さえ儲かれば他はどうでもいい会社なのだと思われかねない。どうしても私はこの高山本線問題に関してはJR東海に厳しい視線を向けざるを得ない。

ビジネスマンに便利な「のぞみ」を作るのも結構だが、地域交通を守るため、そのエネルギーの数%でもいいから在来線に使えというのは叶わぬ望みなのだろうか。

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