人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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455系あかべぇ最終運転

2007-09-02 23:19:31 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
今日は、磐越西線の「455系あかべぇ」最終運転に立ち会うため出かけた。

なにせ1962(昭和37)年登場の車両の磐越西線引退である。ただでさえ混雑は避けられないのに、地元紙河北新報までが「ラストラン」と煽るものだから、余計に人が増えたようだ。

本当は8:15から郡山で開かれるさよなら電車の出発セレモニーから見ようと思っていたが、さすがに7月末の北海道からほぼ1ヶ月休みなしの強行スケジュールがたたったのか寝過ごし。朝10時出発の出遅れを挽回するため郡山まで新幹線利用。

郡山から磐越西線へは、週末を中心に運転の快速「あいづライナー」を利用するが、なんと「あいづライナー」は583系6両編成! こんなところで乗れると思っていなかったので、感激で全身が震える。

会津若松到着後は会津鉄道から回ってきた快速「AIZUマウントエクスプレス」で喜多方へ。静かに発車を待つ455系あかべぇを撮影。この日の「さよなら455系あかべぇ」には専用ヘッドマークが付けられており、さよなら運転のせいか、ヘッドマークに描かれている「あかべぇ」(牛)の目には涙が描かれている。

喜多方駅での撮影後、1本前の快速3236Mで郡山へ戻った後、マイカーで撮影地へ移動。
喜久田~安子ヶ島間で撮影したのがご覧の写真である。

455系は1962年に登場し、登場当初から磐越西線に投入され地元の足として活躍してきた。磐越西線には455系の歴史のすべてが凝縮されていると言っても決して過言ではないだろう。
455系は交直流車だが、交流区間は50Hz専用。同系列の60Hz車には475系があり、九州生まれ、九州育ちの私は475系を見ながら育った。幼き日、日豊本線を走る急行「ゆのか」、鹿児島本線を走る急行「かいもん」の勇姿は未だに強烈に焼き付いている。
45年もの長い間走り続けてきた455系。普通列車としてはもう少しの間東北本線などで走り続けるとみられるが、生まれ故郷の磐越西線で快速としての勇姿は今日この日が最後である。

惜しむらくは、ラストランが国鉄交直流急行系電車の標準色でなかったことだが、それは高望みというものだろう。
455系、長い間お疲れさまでした。

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