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福島県民が問う原発事故の刑事責任

2012-05-25 23:19:11 | 原発問題/一般
福島県民が問う原発事故の刑事責任(BLOGOS・マガジン9)

やや長いが、私たちが起こした福島原発告訴団運動の内容が、きわめて適切に表現されている。これから告訴団に参加したいと思っている人はもとより、巨大な企業犯罪の被害に遭っているのに、誰にも相手にされず、誰にどのように責任を取らせたらよいかわからず苦しんでいる、という方にもぜひご一読いただきたい。何かのヒントに必ずなるはずだ。

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福島県民が問う原発事故の刑事責任 ‐ どん・わんたろう

 もしかすると福島第一原発の事故後、福島県民が原発に関して集会やデモとは違う形で、地域や世代、職業を超えたアクションを起こすのは初めて、と言えるかもしれない。県外ではほとんど報道されていないのでご存じない方も多いと思うが、「福島原発告訴団」が結成され、東京電力や国の担当幹部、学者らを6月11日に刑事告訴する準備を進めている。

 悲惨な原発事故によって、地元の人たちは生命や健康に甚大な被害を受けたのに、なぜ誰の刑事責任も問われようとしないのか。誰にどんな非があったかをはっきりさせるために、被害を受けた県民が自ら検察に告訴して捜査を求めようという試みである。

 告訴の対象(被告訴人)として名前が挙がっているのは、東電の勝俣恒久会長、清水正孝・前社長らの幹部、原子力安全委員会の班目春樹委員長や委員、山下俊一・福島県立医科大副学長、衣笠善博・東京工業大名誉教授、経済産業省原子力安全・保安院の前院長、文部科学省の局長ら、約30人に及ぶ。罪名は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法(公害罪法)違反だ。

 告訴状は、こんな内容が想定されている。

 1997年には地震学者の石橋克彦・神戸大教授(当時)が論文で、大地震と原発事故が同時に発生する破局的災害の危険を指摘していた。しかし、国の原子力安全委員会は2006年に原発の耐震設計審査指針を改訂した際、担当委員の1人だった石橋氏の警告を無視して、地震による原発への影響を過小評価し、具体的な津波防護策も盛り込まなかった。これによって、福島第一原発の事故を未然に防ぐことを妨げた(第1の過失)。

 2008年に東京電力は、福島第一原発で想定される津波の高さが15メートルを超えるとの試算を出していた。しかし、対応する防潮堤の設置に数百億円の費用と4年の期間がかかるため、同社幹部は建屋や重要機器への浸水を防ぐ対策を取らなかった。2010年には原子力安全委員会が、津波を安全対策上の考慮に入れるよう定めた「手引き」を作ったが、東電はそれでも対策を怠り、原発事故を未然に防ぐことを妨げた(第2の過失)。

 さらに、福島第一原発の事故が発生した後、国や原子力安全委員会は、SPEEDIなどで放射性物質による汚染が広範囲に及んでいることを早期に察知していながら、とくに子どもたちへの防御策を積極的に取らずに放置した。学者らも、県内の汚染実態を把握していないにもかかわらず、「大丈夫」「安全」との見解を流し続けた。一般市民や子どもたちの避難策を取るべき作為義務があるのに、それを怠って住民の避難を遅らせ、結果的に多数の住民を被曝させた(第3の過失)。

 こうした結果、たとえば、大熊町の双葉病院に入院していた患者が避難に伴って相次いで死亡したケースや、津波の被災者の捜索・救出活動ができなくなったケース、農業が壊滅したことを悲観して自殺に追い込まれたケースなどが、業務上過失致死にあたるとみている。さらに、県民全員が間違いなく被曝しており、身体の安全を侵したことは傷害で、業務上過失致傷に該当するという。また、「事業所などから人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命・身体に危険を生じさせる」ことを禁じた公害罪法への違反も挙げている。

 告訴団の代理人の一人で、薬害エイズ問題などに携わってきた保田行雄弁護士は「今回の原発事故は偶発の事故ではなく、本来やるべき仕事をしなかった結果もたらされた人為的な事故だ。以前から、石橋氏の論文で指摘されたり津波の高さを把握したりしており、被害の予見可能性はあった。全電源喪失や冷却機能喪失などを防ぐ方策はいくつもあるのに何ら取っていないなど、結果を回避できた可能性もあった。被害との間の因果関係も認められ、過失罪は成立する」と主張する。

 告訴先を福島地方検察庁にするのも大きなポイントだ。すでに東京地検などにいくつかの告発がされているが、ふだん福島県内に居住して仕事をしている検察官の方が、被害の実態や県民の気持ちを肌感覚で理解してくれるのではないか、という狙いがある。もし不起訴になっても、福島県民が審査員を務める福島検察審査会へ不服申し立てをすれば強制起訴になる可能性が出てくる、ともみているからだ。

 6月に告訴するのは、昨年3月11日時点で福島県内に住んでいた人。事故後に県外に避難していても良く、国籍や年齢は問わない。1000人を目標に募っているが、現在500人ほどだという。関係者の1人は「原発事故の補償金をもらっている人は、なかなか告訴にまでは踏み切れないようだ。関心は持たれているが、甘い状況ではない」と漏らしていた。被害者の「分断」が、こんなところにも影を落としているらしい。

 福島県外に住んでいてホットスポットなどで被曝した人についても、順次、第2次以降の告訴を起こしていく方針だ。直接被曝していなくても「告発」することはできるので、全国に運動を知ってもらう方法と併せて、今後検討していくという。

 告訴団の武藤類子団長は4月の説明会で「この1年間の国のあり方や東電の姿勢を見ていると、無責任さに腹が立つ。責任がどこにあったかを自覚させ、きちんと対応してもらいたい。せめて国のあり方を変えることが、若者に負の遺産を残してしまった我々の世代の責任だ」と話していた。

 副団長の佐藤和良・いわき市議も「『強制被曝』に対して、きちんと責任を取らせ、けじめをつけさせたい。日本は法治国家なのか、まさに民主主義が問われている」と告訴の意義を強調している。

 告訴が検察に受理されたとしても、起訴するかどうかの結果が出るまでには1年単位の時間がかかりそうだ。保田弁護士は「検察が自主的に動くことは期待できないが、国民の声となれば放置できない。特に国会の事故調査委員会が報告書を出した後ならば、捜査の支障もなくなるのではないか」と見立てていた。

 捜査当局は、少なくとも現に発生している莫大な被害への責任を誰がどう取るかという視点から、きちんと捜査して結果を出してほしい。仮に今後も原発を稼働させるのならば尚更、事故の責任を誰がどう取るかをはっきりさせておく必要がある。

 電気を消費してきた都会のかかわりも問われている。都会には、危険な原発を地方に押しつけ続けてきた責任がある。大規模な事故が起きてしまったいま、原発への賛否という次元を超えて、地元から出てきたこうした草の根の動きを支援していくことこそが、まさに責任の取り方なのだと思う。

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晴れ渡った空を脱原発の鯉は泳ぐ!~歴史的な稼働原発ゼロを祝う

2012-05-25 21:37:13 | 原発問題/一般
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2012年6月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 5月5日、最後まで残っていた稼働原発・北海道、泊3号機が定期点検のため停止し、日本の稼働原発がゼロになった。これは1970年、原発が2基しかなかった時代に、定期点検とトラブルでその2基が同時に停止して以来42年ぶりだ。生まれたときから原発があった筆者にとっては人生で初めての事態である。

 たった1回の事故で日本が壊滅しかねない事態を目の当たりにしても、なお原発にしがみつく愚か者たちは相変わらず再稼働への執念を燃やしている。情勢は予断を許さないが、この歴史的な日のできごとを記録しておくことは、必ず後世の運動にとって巨大な励ましになると思うので、ここに記しておくことにしたい。

 ●原発村の「鈍感力」にほくそ笑む

 昨年3月11日以降の反原発の闘いは、子どもたちを放射能から守るための母親たちの闘いとして自然発生的に生まれ拡大していった。その間、いろいろな政治党派や労働組合がこの運動の主導権を握ろうと動いたが、主役は一貫して無名の母親たちであり続けた。それは、「ママから始まる日本の革命」(週刊「AERA」誌2011年12月19日号)という見出しが週刊誌の誌面に躍り、放射能除染の必要性を国会で強く訴えた児玉龍彦・東京大学アイソトープ総合センター長が「お母さん革命」と呼ぶほどの明らかな潮流だった。子どもの健康と命はこの間の反原発運動にとって一貫した原点だった。

 周囲との軋轢や断絶、孤立の恐れを抱きながらも、子どもを守りたいとの一心で活動を続けてきた母親たちにとって「こどもの日」はその最も象徴すべき日である。定期検査とはいえ、たった1基の稼働原発をそんな日に止めれば、母親たちがそれを最大限、政治的に利用するであろうことは、この間の事態の推移を見てきた者なら誰しも理解できることであろう。それだけに筆者は、わざわざ反原発運動側の宣伝効果が最大となるこの日に泊3号機の定期検査入りを持ってくるほど彼らも愚かではないと考え、その日を5月6日と予測していた。だが北海道電力はそんな私の予測を裏切って、4月26日、定期検査による泊3号機の停止を5月5日にすることを経産省原子力安全・保安院に報告した。

 この瞬間、「勝負は決した」と私は思った。予想通り、母親たちは「こどもの日、日本の子どもたちに最高のプレゼントを贈ろう」を合い言葉にしてよりいっそう結束を固めた。

 子どもたちを放射能から守るために必死で闘ってきた母親たちの前で「こどもの日」に最後の稼働原発を止める――この事実こそ、みずから再稼働を不可能な状況に追い込んでいった原子力村の鈍感さの象徴だと私は感じた。要するに彼らは、これがどれほど政治的に重要な意味を持つか、日本中の母親たちが誰のために、何のために闘っているのかを全く理解できていなかったということである。

 このことだけでも、彼らに原発を再稼働する資格は全くないし、国民の気持ち、思いが理解できない連中に原発という制御不能な怪物を操る資格も全くないと思う。

 ●止まったのではない、止めたのだ

 5月5日、東京の空はこの日を祝福するかのように晴れ渡った。正午、経産省前テントひろばでは、4月17日から続けられてきたリレーハンストが終了し、最後のハンスト終了者におかゆ、子どもたちに柏餅が振る舞われた。「原発いらない福島の女たち」の椎名千恵子さんが「原発は止まったのではなく止めたのだ。そのことをみんなで確認し合おう」と挨拶した。原子力村が危険を安全と言いくるめるようなでたらめ体質だったとしても、そのことだけで原発が止まるほど甘くないことは、この42年間一度も原発の電気が送電されない日がなかったことが証明している。彼らのでたらめ体質を暴き、この日を迎える原動力になったのは間違いなく運動の力であり、その力の背景にあるのは福島県民の間に広く存在している原発への怒りである。

 また、今日の記念日が歴史的なのは単に原発が止まっただけではない。平和的な手段で行動する国民ひとりひとりの政治的意思が、初めて現実の社会の政策決定に影響を与えたという意味においてこそ歴史的なのだ。

 全原発停止という事態を迎え、彼らがいかに衝撃を受けているかは、「原発老技術者、自負と失意」(5.4「毎日」)、「失われる理解、無念と寂しさ」(5.5「産経」)という御用メディアの見出しからもうかがえる。

 今、福島で原発を再稼働させてもよいなどと考える人はひとりもいないと言っていい。

 ●必死で走ってきた1年間

 今だから書けるが、実際のところ本稿筆者もこんなに早く全原発停止の日が来るとは予想していなかった。原発事故の衝撃で気が狂いそうだった昨年夏でさえ、放射能の影響も節電要請も受けなかった西日本は他人事のように感じたし、極端に言えば旧ドイツのように同じ民族、同じ言語ながら思想も社会体制も異なる別の国同士に引き裂かれているような感覚すら抱いてきた。夏まではほとんど何もできなかった私がようやく9.19東京6万人集会で元気になり、「女たちの経産省前座り込み」では多くの貴重な仲間を得た。2012年に入ってからは、地元・白河で市民食品放射能測定所の開所など重要な運動にも関わった。座り込みや食品測定所では、私と連れ合いが商業誌の取材を受け、自分たちの主張をメディアに載せることもできた。

 福島では職場以外にほとんど人間関係を持たなかった私が、反原発運動を契機に多くの仲間を得た。純粋で公正無私、自分のことは後回しにしてでも仲間、そして最も困っている人を助ける彼ら彼女らは、昔の言葉でいえば最も崇高なプロレタリア精神を持っている。私にとって生涯の友となるに違いない。

 「原発事故があったから生まれる縁もある。つくづく不思議なものね」。「ハイロアクション・福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんはいみじくもこう述懐した。事故は確かに不幸な出来事だったが、こんな形で新たな縁ができるというのも悪くない。

 ●今後の課題

 福島で毎日被曝しながら過ごしている身としては、もちろん全原発停止は嬉しいけれど、それを素直に喜ぶことができない。原発が止まっても福島の放射能汚染の状況が好転するわけではないし、子どもたちが毎日激しい被曝を続けているのだ。子どもたちをどうやって救うべきか、避難をどうやって実現すべきか。唯一、その決断ができる政治はもうずいぶん前から「全停止」しており、即効的な処方せんは誰も持ち合わせていない。刻一刻と迫る健康被害の恐怖の中で、福島県民の苦悩はますます深まっている。こどもの日を契機に、もう一度子どもたちの健康問題を全国民が自分の問題として考えなければならない。

 再稼働を止めることも重要である。電力会社に巨額の融資をしているメガバンクが執拗に再稼働を求めていることは周知の事実だが、最近の報道で、そのメガバンクが長期にわたり法人税を納めていない事実が発覚した。巨額の利益を上げても、過去の累積赤字相殺のためにその黒字を利用することが許されるという極端な企業優遇税制に守られ、バブル崩壊後の累積赤字もあって三井住友銀行は15年、りそなホールディングスに至っては18年も納税せずに来たという。こんな連中が原発再稼働を求めているのだから、盗人猛々しいとはこのことだ。

 私は過去、富士銀行に口座を開設した関係から今もみずほ銀行に預金口座を持つが、この銀行はATMで自分の口座に自分の金を預け入れるのにさえ手数料を取る。過去には某大手銀行窓口で、両替のために多額の手数料を請求された男性が暴れて逮捕される事件もあった。もちろん犯罪は許されないが、こんなあこぎな商売のやり方をそのままに、バブル時代、メガバンクが踊ったマネーゲームの後始末の目的で消費税増税というのだから、日本国民もなめられたものだ。

 家計からも政府からもカネをむしり取り、その巨額のカネを原発村に垂れ流し続けるメガバンクを痛い目に遭わせなければならないと思う。消費増税反対と原発再稼働阻止の闘いは、実は底流でつながっているのである。

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