安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
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国は今こそ貨物列車迂回対策を!

東日本大震災から4年

2015-03-11 23:31:55 | 原発問題/一般
早いもので、東日本大震災から4年。この3.11を私は北海道の職場で迎えた。掲揚台には半旗が掲げられ、震災発生時刻の午後2時46分、職場で黙祷を捧げた。2万人の犠牲者、いまだ故郷に帰れない/帰らない避難者12万人という数字に、被害の大きさを思う。あの日を福島県内で迎えた当ブログ管理人にとっても、福島県内の困難な状況が人ごととは思えない。

8日に札幌市内で「遺言~原発さえなければ」の鑑賞会があったので観てきた。「原発さえなければ」の遺言を残して自ら命を絶った福島の酪農家の姿を追ったドキュメンタリー映画(映像集といったほうがいいかもしれない)。監督を務めたフリージャーナリスト豊田直巳さんのスピーチもあった。豊田さんは、イラクなどで戦場取材には定評のある人だ。

この中で豊田さんは「4年間も故郷に戻れない。そんな人々を生んでしまう原発事故での“避難計画”とはいったい何なのか」と憤りを表明した。当ブログ管理人もまったく同感だ。原発再稼働の条件として30km圏内自治体に「避難計画の策定」が求められているが、こうした実態を目の当たりにすると、避難計画など絵に描いた餅に過ぎないと実感する。それは本来であれば避難計画ではなく移住計画でなければならず、事実上、ふるさとを捨てることと同じなのだ。

3.11から3年を過ぎた昨年あたりから顕著になってきたが、東日本大震災に関する報道は、東北地方ではともかく全国レベルではかなり少なくなった。3月になると集中的に震災関連のことが報道されるのは(報道されないよりはいいが)、8月になったときだけ思い出す原爆や敗戦と同じになりつつあるような気がする。あまりに忘却が早すぎ、本当にこれでいいのだろうかと思う。

実際、「原発事故風化感じる59.3% 24年10月より7ポイント上昇 本社県民世論調査」(福島民報)との記事を読むと、事故の風化はかなり深刻なように見える。2015年度、福島県庁に「風評・風化対策監」なるポストが新設されることも決まっているそうだ(関連記事)。

リンク先の福島民報の記事を読むと、「原発事故の風化を感じるとした回答が59.3%」となる一方、原発事故に伴う「風評が収束する兆しを感じない」とする回答も61.3%となっているのは一見、不可解に見える。風評は「福島」であることが強く意識されるのでなければ発生しないはずであり、人々の意識が薄れる風化と風評が同時に存在しているという回答は「意識されているけど、意識されてない」という矛盾したものになっているからである。

この結果には、福島県民の複雑な心情が見え隠れしている。ネガティブなイメージのときだけ「福島」として捉えられる、という福島県民の、県外に対する抜きがたい不信感がこの結果に凝縮されているように私には思える。事故は「風化」し、風評は「収束していない」と答えた人の8割が福島県の現状を「理解されていない」としたのは、こうした意識に基づいているのだと思う。こうした気持ちは、事故後の2年間を福島で過ごした当ブログ管理人にも理解できないわけではない。

現状は、河北新報の記事の通り、福島県産を避けている人は全体の3割程度で固定化しており、これは当ブログの実感とも一致する。「風評が収束しない」6割は福島県民の意識過剰の側面が強い。

この結果を受けて、福島県が「情報発信に努める」としているのは当然だが、問題はその発信の仕方だ。「甲状腺がんの疑いのある子どもが100人出ていますが、本県に問題はありません」などという情報発信のやり方では不信感を持たれるだけだし、鼻血を気にするような「意識の高い」人々からは「また県がウソをついている」と思われるだけで逆効果にしかならない。さらに、具体名は伏せるが、福島県の地元誌「政経東北」によれば、東京から相双地方のある自治体に出向いたボランティアスタッフが、自治体担当者に「もっとプレスリリースをしましょう」と呼びかけたところ「プレスリリースって何ですか」と言われたという。ここまで来ると情報発信以前の問題だ。

原発事故以降、福島からの情報発信はセンシティブで悩ましい問題だが、県に残った人々が厳しい現実と向き合いながらも懸命に生きているという事情を考慮したものであるべきだろう。特定の価値観を権力的に押しつけるような表現は避け、客観性を維持しながらも県の魅力を発信できるような内容がふさわしい。『原発事故以降、それ以前より放射線量が高い状態が続いていますが、会津地方の大部分は首都圏並みかそれ以下の放射能汚染にとどまっています。一方で、会津地方を中心に、福島県では、首都圏にはない歴史的名所や豊かな自然を楽しむことができます』と言ったような客観的なものであれば、最大公約数の人々から支持を得られるのではないだろうか。

もちろん、各方面に気を配った表現にしたところで、叩かれるときは叩かれるだろう。しかし、自分の県が「理解されていない」と回答する県民が6割もいる現状を放置してよいわけがなく、県には権力的な「安全の押し売り」ではない、きめ細かな情報発信が求められる。

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