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【訃報】気象解説者・倉嶋厚さん死去

2017-08-04 23:28:53 | 気象・地震
気象キャスター・エッセイストの倉嶋厚さん死去(読売)

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 気象キャスターの草分けで、エッセイストとしても知られる倉嶋厚(くらしま・あつし)さんが3日、腎盂(じんう)がんのため、埼玉県内の病院で死去した。

 93歳だった。告別式は家族葬で行う。

 長野市生まれ。中央気象台付属気象技術官養成所(現・気象大学校)卒。気象庁に入り、主任予報官や鹿児島地方気象台長などを歴任した。定年退職後の1984年からNHK「ニュースセンター9時」の気象キャスターを務め、天気予報を楽しい語り口で解説してお茶の間の人気者になった。日本の気候風土をテーマにしたエッセーにも定評があった。

 2002年には、うつ病を克服した体験をつづった「やまない雨はない」を出版し、話題を呼んだ。自殺防止のための講演活動にも力を注いだ。
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気象解説者の倉嶋厚さんが死去した。途中、うつ病を発症するなどの苦難に見舞われながらも、93歳の大往生。当ブログ管理人にとっては、気象学への興味を持つきっかけを作ってくれた恩人である。倉嶋さんと出会わなければ、私が気象や地震などに関する解説記事をこうして書くこともなかっただろう。

読売の記事は倉嶋さんの肩書きを気象「キャスター」としているが、最近のチャラチャラした「お天気お兄さん/お姉さん」とは違い、気象「解説者」との呼称がふさわしいと思う。「明日の天気、○○地方は××」と読み上げるだけのものがほとんどだった当時の「天気予報」を、気象に関する情報を総合的に解説する「気象情報」へと脱皮させるきっかけを作った人である。

NHK「ニュースセンター9時」(現在の「ニュースウォッチ9」の前身)での気象解説に加え、1985年4月から1年間にわたって放送されたNHK「金曜お天気博士」での解説は本当に面白く、飽きさせなかった。「1年見たらあなたも予報官になれる」がキャッチフレーズのこの番組の影響で、当ブログ管理人が気象庁の予報官になりたいと思い始めたのはこの頃だった。ちょうど、当時のクラス担任が理科の教師だったので、その夢を伝えたところ「それには気象大学校というところに行かなければならないが、京大理学部と同じくらいの学力が必要だ」と言われて断念した。気象予報士の制度は当時はなく、天気予報業務をするには気象庁に入り、予報官になるしか道がなかった。気象庁以外で天気予報業務を許されていたのは日本気象協会だけで、天気予報業務は完全に「官」の独占という時代だった(当時から「ウェザーニュース」など民間の気象会社はあったが、気象庁が発表した予報をメディアで流すのがこれらの会社の仕事だった)。

代わりに、この担任の教師に勧められて、天気図の作成をほぼ1年間続けた。NHKラジオ第2で放送されている「気象通報」という番組を聴き、その内容を天気図に落としていくというものだった。気象通報は20分番組で、当時は9時10分~30分(気象庁予報部の6時発表分)、16時00分~20分(同、正午発表分)、22時00分~20分(同、18時発表分)の3回放送。この他、当時はラジオたんぱ(現在の「ラジオNIKKEI」)でも1日1回、放送されていた記憶がある。現在と異なりインターネットがなかったため、遠洋漁業に出ている漁船員や登山中の山岳部員など、自分のいる場所の天気を予測する必要のある人たちを中心に、気象通報は重宝されていた。

気象通報の放送で使用されるデータは、気象庁のホームページに掲載されており、過去1週間分に限り見ることができる。私が天気図を作成していた1985年当時は、韓国の都市名は「釜山」(フザン)、済州島(サイシュウトウ)など日本語読みのところも多かった。サハリン・ポロナイスクの当時の呼称は旧日本時代の敷香(シスカ)、現在の「ルドナヤプリスタニ」は当時は「テチューヘ」だった。番組の最後に海上自衛隊による射撃訓練の告知、さらに、3ヶ月に1回程度、気象庁水路部が発表する「黒潮海流予報」が放送されることもあった。こうした気象通報の内容の変遷に関しては、個人の趣味サイトだが、埼玉県熊谷市在住の「クゲール」さんによる3776NETの「天気図&気象通報伝説」に詳しく掲載されている。「測候所の自動観測化で気象通報が危ない!」と題した記事は、わずか1年間とはいえ、天気図作成を実際に行ったことのある私にとっては、非常に説得力のあるものになっている。

私は今も時々気象通報を聴くときがある。一般の人にとっては単調でつまらないデータの羅列かもしれないが、私が今でも気象通報を聴くだけで、おおよその天気図が脳内に浮かび、翌日~翌々日の天気程度なら予測を立てられるのも、この天気図作成の経験があるからだ。

気象通報は、現在は16時00分~20分の1日1回だけの放送になってしまった。インターネットの発達などを理由に2014年度から縮小されたようだが、私は今でもこれに納得していないし、NHK籾井会長時代の最大の改悪だと思っている。遠洋漁業の漁船員、山岳部員といった人たちは、基地局から遠すぎてインターネットの使えない環境に置かれることも珍しくなく、これらの人々にとってラジオで聴ける気象通報は命綱と言っていいからである。

実は、当ブログ管理人は、今、気象予報士の資格の取得を考えている。独立できる資格ではないし、近年は人気も下降気味だが、防災、農業関係などきめ細かな気象情報を必要とする企業・団体は数多いし、近年のゲリラ豪雨の多発などを受けて、人々の気象への関心は高まる一方だ。今の仕事と職場に大きな不満はないものの、将来、何らかの理由で今の職業を続けられなくなった場合に備え、食い扶持は少しでも増やしておくほうがいいと思っている。もし、倉嶋さんに出会っていなかったら、気象予報士に挑戦しようなどとはおそらく考えもしなかっただろう。その意味で、倉嶋さんは私の人生にも多くの影響を与えた人だと思っている。改めて哀悼の意を表したい。

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