(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2022年11月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
●「災害がなくてもすでにズタズタ」技術も散逸し……
「汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり」……鉄道唱歌にも歌われている日本初の鉄道が、新橋~横浜間に開業してから今年10月14日で150年になる。だが、日本各地に祝賀ムードは全くない。毎年、10月のこの時期になるとイベントを開催していた鉄道会社も、災害多発による業績悪化に加え、「非常識鉄道ファンの暴走」ばかりの現状に嫌気がさしたのか、ここ5年ほどはほとんどイベントも開催されなくなった。
かくいう筆者も、国鉄分割民営化の時点で鉄道、特にローカル線の衰退は予想していたものの、このメモリアルイヤーをこれほどまでの哀しみをもって迎えなければならないとは正直、予想を超えていた。もしも今、国鉄がそのまま残っていれば、国鉄主催で様々なイベントが企画されたであろうし、「鉄道150周年記念国鉄全線10日間フリーきっぷ(1セット10万円)」発売くらいのことは行われ、全国の駅は利用客でごった返していたに違いないと想像すると、35年前に行われた「改革」とやらの罪深さが改めて浮き彫りになる。
国鉄「改革」を今でも成功だと思っている人たちは、今の鉄道危機は会社分割のせいではないと主張するに違いない。この点について、アジア各国の鉄道を乗り歩き、レポートしている自称「アジアン鉄道ライター」高木聡さんはこう鋭く指摘する。『(国鉄改革の結果)国土の骨格たる鉄路を守ることができなかった。地域ごとに鉄路は分断され、整備新幹線開業による並行在来線化でそれはますます顕著になっている。災害が起きずとも、既に日本の鉄道はズタズタだ。一見、線路はつながっているように見えても、JR各社のみならず、最近は路線ごとに別々の信号やオペレーションのシステムを有し、国鉄型車両が減少し、各社独自設計のものが増えた結果、各線を相互に乗り入れることも難しくなりつつある』。1990年代以降、日本製鉄道車両の海外輸出が減り、ここ10年くらいは海外鉄道への車両輸出をめぐる入札でも日本企業は連戦連敗を続けている。これも『国としての技術が各社に散逸』した結果であり『少なからず国鉄解体も絡んでいる』と高木さんは断言する(注1)。
実際、日本では1990年代から2000年代初めにかけ、国鉄再建法の成立で工事凍結となっていた建設予定線の「凍結解除」に伴うローカル新線開業が続いた時期もあった(秋田内陸縦貫鉄道、智頭急行、阿佐海岸鉄道、土佐くろしお鉄道の延伸など)が、この時期を例外としてローカル線は縮小の一途をたどった。ローカル線向け鉄道車両メーカーはどんどん撤退し、新潟鐵工のように倒産してしまった企業さえある。日本の車両メーカーは新幹線と大都市圏の電車に得意分野が偏っており、海外の鉄道会社が求める需要にマッチしていないため、思うように売り込みができないでいる。
こうした事態は国鉄分割民営化が議論された1980年代からある程度予想されていた。研究開発・安全管理部門と鉄道の現場部門が同じ国鉄の組織内にあるからこそ、日常の鉄道運行で得た知見、事故の経験や教訓が研究開発部門や安全管理部門にも共有され、安全対策の向上や「さらなる高み」を目指した研究開発に生かされる。現場部門がJR各社、技術開発部門が鉄道総合技術研究所(JR総研)に分割されることで、こうした情報共有ができなくなるのではないかと危惧された。
つい最近も、フリーゲージトレイン(注2)の開発に失敗した結果、博多~長崎間全面開通のめども立たないまま、西九州新幹線が武雄温泉~長崎間だけの「孤島」の形で開業せざるを得なかった。新幹線のような時速200kmを超える高速度でのフリーゲージトレインの実用化例は世界的に見ても存在せず、できないことをできると強弁して開発を強行しているのではないかと危ぶむ識者の声も当初からあった。こうした事態は現場部門と技術開発部門が連携していれば防げた可能性もあり、筆者はこの失敗も国鉄のままなら考えられなかったと思う。JR総研自体、研究発表をやめたわけではないものの、一般メディアで話題に上る姿ももう何十年も見ていない(これには、科学リテラシーを持つ記者がほとんどいないというメディア側の問題も大きい)。
●一気に騒がしくなったローカル線
ローカル線に関しても『コロナ禍を機に、日本国内の鉄道はさらに「見直し」が進んでいるが、鉄道会社任せ、地方自治体任せで国の積極的な介入が見られない。それどころか、線路を剥ぐこと、細分化していくことしか考えていないように見える』と高木さんは指摘する。これは大半の市民が感じていることでもある。
最近の鉄道や公共交通に関する議論を見ていると、公共交通が市民に頼りにされておらず、特に地方鉄道は移動手段として選択肢の1つにすらなっていないように感じられる。鉄道は「SLやイベント列車が走るときに乗りに行くもの」「外国人観光客が乗るもの」になってしまっており、地元住民の日常移動はすべて車。ひどい人になると、自宅の前にバス停があることすら知らなかったというケースも珍しくない。
筆者は、2006年にヨーロッパ数カ国を回ったが、地域の拠点駅や公共施設の周辺には自動車乗り入れを禁止している都市も多い。公共交通をどんなに便利にしても「ドアツードア」の自動車には勝てないのだから、これからのまちづくりはヨーロッパのようにあえて「車を不便にする」方向に切り替えるべきである。
『各旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社の輸送の安全の確保及び災害の防止のための施設の整備・維持、水害・雪害等による災害復旧に必要な資金の確保について特別の配慮を行うこと』――1987年11月、国鉄改革関連8法案が参院で可決・成立した際の附帯決議にこのような1項目がある。「鉄道ジャーナル」11月号に、地方の人から「鉄道は雨や風ですぐ止まり、大事な用事では使えない」と言われる、と鉄道の現状を憂える株式会社ライトレール・阿部等社長のコメントが掲載されている。こうした事態を招いたのは附帯決議を政府が放置したからだ。自民党にとって道路は票になるが鉄道はならないからだと、この間、多くの人に聞かされた。国民が切実に存続を願っている社会インフラを朽ち果てるまで放置しながら、票と金のためなら悪魔やインチキカルト宗教とも平然と手を組んで恥じない自民党。この際、国鉄のように自民党も「分割・民営化」し、従わない者は「自民党清算事業団」にでも送った方が日本のためになる。
前述した高木聡さんの論考でも明らかなように、鉄道を知悉する人材が分割民営化によって育たなくなった。鉄道を再建しようにも、そのための人材が払底していることを筆者は最近痛感する。150年前の鉄道黎明期、多くの人材がヨーロッパ諸国に学んだように、今こそ鉄道再建に成功している海外の知見に率直に学ぶときだと考える。
情けないのはJRの労働組合や鉄道ファンも同じである。鉄道縮小は労働組合にとっては職場が縮小すること、鉄道ファンにとっては趣味活動の対象が縮小することを意味しているのに、全く鉄道再建を求める声が上がらない。報道されるのは内輪の論理に汲々とする労働組合、非常識な「撮り鉄」の話題ばかりで嫌になる。
鉄道150年。メモリアルイヤーを通じて見えてきたのは、鉄道衰退から再建へ向け道筋を描く困難さである。狭い列島に小さな鉄道会社ばかりがひしめき、技術・人材から列車運行に至るまで何もかもバラバラの現状。ほとんどが問題意識も持てないJR労組、趣味活動に逃げ込み非常識な行動を繰り返すだけの「マニア」、動こうとしない政治・行政、鉄道なんて自分は乗らないからどうでもいい一般市民……「複合的要因」が重なり合う鉄道衰退の困難な背景が見えたからだ。それだけに「こうすれば再建できる」という特効薬もありそうになく、苦悩だけが深まっている。
ローカル線見直しの動きは続いている。JR西日本に続いて、7月28日にはついにJR東日本までが赤字線区を公表。翌29日、朝日・毎日・読売の全国主要3紙の1面トップをローカル線問題が飾った。これに先立つ7月25日には、国交省「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」によるローカル線問題に関する提言も公表され、ローカル線周辺が一気に騒がしくなってきた。
全国に先駆けて、2016年11月に北海道で「自社単独では維持困難」10路線13線区が公表されてから早くも5年半。北海道の「地域問題」に押し込められ、道外ではどんなに訴えても理解してもらえなかったローカル線問題がようやく全国課題になるのだと思うと、身が引き締まる思いがする。北海道ではローカル線維持を求める闘いはすでに終局ムードだが、全国レベルで言えば、ようやくスタートラインに立つのだ。
●「鉄道40年周期説」
ところで、日本の鉄道の歴史を紐解いていくと「ある法則」が見えてくる。
今年は1872年に日本初の鉄道が開業してからちょうど150年に当たる。新橋(現・汐留)~横浜で開業したのは官設鉄道だったが、その後は民間による鉄道建設を政府が認めたことによって、現在の全国鉄道網を形作る主要幹線の多くが民間の手によって建設された。
日露戦争で日本はなんとか勝つには勝ったが、鉄道会社の境界駅で貨物が何日も運ばれないまま放置されるという事態が頻繁に起きた。この事態を重く見た軍部が、バラバラに別れていた鉄道会社の統合を強く主張する。1906年3月27日、第22回帝国議会衆院本会議は、西園寺公望内閣提出の鉄道国有法案を強行採決で成立させた。「鉄道時報」は裁決時の衆院本会議場の様子を「怒号叫喚」と報じている。
次の変化は敗戦後に訪れる。侵略戦争遂行に官営鉄道が果たした役割を問題視したGHQ(連合国軍総司令部)が、鉄道の意思決定を政府から切り離すよう要求した。当時、官営でなければ民間企業の形態しか知らなかった日本政府は民営化を計画するが、敗戦後の経済混乱で全国民がその日暮らしの状況の中、金のかかる鉄道の経営に乗り出す民間企業など現れるはずもない。結局、米国で採用されていた公共企業体方式の導入をGHQに提案された日本政府は、他に妙案があるわけでもなくこれを受け入れる。1949年6月1日、日本国有鉄道発足式では、当時の運輸大臣が職員に対し、諸君はこれから運輸省の役人ではなく「パブリック・コーポレーション」の社員として職務に当たるよう訓示している。
そして、本誌の大方の読者が記憶している次の大変革は1987年4月1日の国鉄分割民営化である。1872年の鉄道開業から1906年の全面国有化まで34年、ここから1949年の公共企業体発足まで43年。公共企業体が再度分割民営化される1987年までが38年。日本の鉄道は、おおむね40年周期で経営形態を大きく変えてきたことがわかる。私はこれを「鉄道40年周期説」と名付けたいと思う。
日本全体で見ても、明治維新のどん底(1868年)から日露戦争勝利(1905年)まで37年。太平洋戦争敗戦(1945年)でどん底に落ちた日本は1985年に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われる頂点に立つ。山から次の山まで、谷から次の谷までが80年であることから、歴史家の半藤一利さんは生前これを「日本80年周期説」と呼んだ。しかし、山と谷を40年周期で繰り返している点では鉄道と同じ40年周期であるとの評価もできる。要するに鉄道の経営形態の変革は、日本社会全体の山と谷による40年周期を数年遅れで追っているのである。
1985年を頂点とする半藤説に従うと、日本社会が迎える次のどん底は2025年となる。原発事故、コロナ、ウクライナ戦争と苦難が続く中、日本人の人心荒廃と劣化を目の当たりにすることが増え、確かにここ数年は閉塞感、終末感がかつてなく強まっている。なぜ80年周期なのかについて、半藤さんは多くを語らないまま旅立ったが「人間は、……与えられた、過去から受け継いだ事情のもとで(歴史を)つくる」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」マルクス)という歴史書の記述を意識するなら、人生80年といわれる今日、ちょうどその長さに匹敵する時間を単位として歴史が次の局面に移行するのだと考えてもそれほど大きくは外れていないだろう。
鉄道に話を戻すと、もうひとつ重要な点がある。民営鉄道から国有化へは、会社境界駅での滞貨に業を煮やした軍部主導で変化した。官設鉄道から公共企業体への変化は、国家意思と軍事輸送を分離するよう求めるGHQの意向が大きかった。国鉄分割民営化は、モータリゼーションの進行によって鉄道貨物の地位が急低下する中、財界主導で起きた。過去、40年周期で3回起きた鉄道の経営形態の変化からは、いずれも(1)旅客ではなく貨物輸送の行きづまりを直接の契機としている、(2)軍部、GHQ、財界など、その時代において鉄道当局が抗うことのできない絶対権力者からの「天の声」によって行われる一方、鉄道当局みずからは受け身で一度も主導的役割を果たしていない――という2点が見える。
もし歴史が繰り返すなら、鉄道40年周期説における「次」の節目、すなわち2027年頃を目標として、JRグループの「次」をめざす動きがよりはっきりしてくるだろう。本稿で取り上げた一連の出来事も「次」への予兆と見て間違いない。今回も事態は旅客輸送よりも貨物輸送、鉄道当局自身よりも外的要因によって動くだろう。
このように分析すると「次」がどのような形を取って私たちの前に現れるかが見えてくる。旅客輸送は上下一体、貨物だけが上下分離という変則的な分割形態の是正が「次」の主要テーマになる。上下一体を維持するか「下」のみにとどまるかは別として、地域6社分割の弊害を是正する方向での変化となるであろう。主導権を誰が握るかはまだ見えないが、少なくとも国交省やJRグループ自身でないことだけは確かだ。これ以上の廃線を避けたい地方、災害で鉄道が運休するたびに荷物が停滞して被害を受けている物流業界、脱炭素を求める「外圧」、ウクライナ戦争を受け鉄道による軍事輸送のオプションを残したい防衛省などの意向が複雑に絡み合い、事態は進行していくと予想する。
●元国労闘争団員も「路線存続をあきらめない」
こうした中、筆者は、9月22日18時から北海道新得町で開催された「根室本線の災害復旧と存続求める意見交換会」(主催―根室本線の災害復旧と存続を求める会)に参加した。根室本線は、2016年の台風災害以来、東鹿越(ひがししかごえ)~新得で今もバス代行が続き、この区間を含む富良野~新得の廃線が提起されている。
意見交換会は、コロナ禍による中断を挟みながら年1~2回開催されている。地元住民の廃線反対の意思を確認する重要な場だ。
会の事務局長を務める佐野周二さんは、国鉄分割民営化の際JRに採用されなかった元国労帯広闘争団員。被解雇者が雇用・年金・解決金を求め、国鉄の法的後継法人、日本鉄道建設公団を提訴した「鉄建公団訴訟」の原告だった。佐野さんにとって根室本線の廃線提起は、自分の雇用を奪うことで発足したJR北海道が今度は地元の足を奪おうとする「第2の攻撃」だ。
意見交換会では、平(ひら)良則代表が「JRは復旧のため何もせず、私たちが諦めるのを待っているだけ。彼らが諦めるのを待っているなら私たちは諦めない」と決意表明した。
労組動員もなかったが、参加者は50人近くに上り、前回を上回った。貨物輸送や観光輸送に鉄路を役立てようとの意欲的「対案」も参加者から出された。
JRが2016年11月に廃線提起した5線区のうち廃止届が出されていないのはここだけ。「住民と行政が連携しないと本当に廃線になる」(参加者)との危機感は強い。一方、他の4線区がすべて盲腸線(行き止まり路線)だったのに対し、この区間の廃線はつながっている線路を断ち切って直通できなくするもので影響は比較にならない。
意見交換会に先立つ22日14時半から、北海道十勝総合振興局(帯広市)に根室本線存続と災害復旧を求める要請行動を行った。JR同様に何もしていない道庁の眠りを覚ますため、要請書には「JRを指導することは道の基本的責務」と書き込んだ。40分近くに及んだ要請。振興局は神妙な面持ちで「道庁本庁に上申する」と約束した。
国鉄闘争終結から10年。元支援者(筆者)と鉄建公団訴訟原告が再び連帯する闘いの形を作った。
意見交換会では安倍国葬反対署名が28筆集まった。根室本線は10・5億円あれば復旧できるのに、安倍国葬に16億も使う政府。地元の怒りは噴出して当然だ。
注1)
「日本の鉄道」はもはや途上国レベル? 国鉄解体の功罪、鉄路・技術も分断され インフラ輸出の前途も暗い現実(Merkmal)
注2)フリーゲージトレインとは、軌間可変式電車;標準軌(新幹線や一部私鉄に採用されている1485mm軌間)と、狭軌(JR在来線に採用されている1067mm軌間)を直通できる車両のこと。
(2022年10月22日)