人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

「全国最年少町長」新潟県津南町の桑原悠町長が初登庁

2018-07-09 23:38:03 | その他(国内)
「責任感でいっぱい」=最年少町長が初登庁―新潟県津南町(時事)

 現役町長では最年少の31歳で新潟県津南町長に就任した桑原悠氏(31)が9日、初登庁した。

 午前8時半ごろ到着した桑原町長は、職員から花束と拍手で歓迎を受けた後、執務室の椅子に座ると「責任感でいっぱいです」と笑顔を見せた。

 桑原町長はその後、就任会見に臨み「これから明るく生き生きとした、風通しのよいまちづくりをしようと決意した」と語った。

----------------------------------------------------------------

町長の部屋――津南町ホームページ

全国の町村長としては最年少、31歳の若さで当選した新潟県津南町の桑原悠(くわばらはるか)・新町長が任期初日の今日、役場に初登庁した。今日から4年間、津南町の舵取りを担うことになる。

日頃、この手のニュースは滅多に取り上げない当ブログが今回、このニュースを取り上げたのにはもちろん理由がある。当ブログ管理人が以前、一度、桑原新町長を生で見たことがあるからだ。

国鉄分割民営化でJRが発足した際、国労組合員らがJRに採用されなかった、いわゆるJR不採用問題に取り組んでいた首都圏の市民を中心に、信濃川からの不正取水などの犯罪行為を繰り返していたJRを監視する目的でJRウォッチという市民団体が立ち上がった時期があった(現在は休眠状態)。当ブログ管理人もこの市民団体の活動を担っていたが、このJRウォッチとして参加した2012年5月の「信濃川エコツアー」の際、現地で「第3回千曲川・信濃川復権の会総会」記念行事「豪雪と名水の河岸段丘in津南」というイベントが行われた。このイベントのパネル討論における3人のパネラーの1人が、桑原さんだったのである。当時のイベントのチラシは、津南町観光協会サイトにいまも載っており、見ることができる。

当時、桑原さんは25歳で津南町議会議員に初当選したばかりだった。市町村議会議員の被選挙権は25歳からなので、当時、議員としても最も若かったことはいうまでもない。2012年には、週刊「AERA」誌の「日本を立て直す100人」に選出されたこともある。この信濃川エコツアーの模様は安全問題研究会サイトに報告記事を掲載しているが、恐らくは自分の親よりも年上であろうと思われる他の2人のパネラーとも臆せず堂々と討論する姿が眩しすぎて卒倒しそうになったことをいまも鮮明に覚えている。

そのときの桑原さんの印象をひとことで(やや乱暴に)表現すれば「暑苦しくて野心、上昇志向の強いタイプ」だ。若い人でも男性なら1学年に1~2人くらいは必ずいるタイプだが、若い女性でこのタイプは初めてで、記憶に鮮烈に残っている。

2期目の当選後は津南町議会の副議長に選出された。副議長と言えば、議長に何かがあったときに代わりを務める町議会のナンバー2。こう言えば聞こえはいいが、実際は議長が事故、病気辞職などで欠員となったときは直ちに後任が選挙されるため、副議長の出番はないのが通例で、議事進行に関われることはまずない。おまけに町当局のような答弁も、一般議員のような質問もできない。要するに副議長というのは、ほぼ何の権限もない「飼い殺しポスト」であり、限りなく名誉職に近い。

それまで町を支配してきた旧勢力にしてみれば、若くて清新、東大公共政策大学院卒業と地方の町村部としてはピカイチの学歴を持ち、何かと目立つ彼女を快く思わず、副議長にいわば「祭り上げる」ことでうまく口を封じたつもりだったのだろう。だが、そんな旧勢力の小細工も桑原さんには通用しなかったようだ。飼い殺しの閉塞状態に満足せず、町議を辞して町長選に出馬。この若さで行政トップに立ったのだから大したものだ。

選挙結果はこちらに示されたとおりで、2位の候補者との票差はわずか190票あまり。得票率は4割程度に過ぎない。定数1の選挙に候補者が3人の場合、当選のためには最低でも得票率34%が必要であることを考えると、3候補にきれいに票が割れた結果の当選だったとも評価できる。だが、そのことを割り引いても、旧勢力支配にうんざりしていて、変化を求める町民もまた多いということが示された選挙結果だと言えるのである。

この間、前町長からは「後継指名」を受けるなど、目をかけてくれる有力者にも恵まれた。当ブログ管理人は、エコツアーの際、元町議会議員の根津東六さんに信濃川を案内していただくなど大変お世話になった。最近は、住民そっちのけで「反日パヨクが賛成するものには反対、反対するものには賛成」のように思考停止かつ脊髄反射的な対応を繰り返す「エセ保守」も多いが、津南町には、根津さんのように、住民の幸せのためにいま何が必要かを大所高所から判断できる本当の意味での「名士」がたくさんいる。そうした人に認められ、推された結果の当選なのだ。

25歳で果敢に町議に立候補し当選、名誉職の副議長に祭り上げて口封じを狙う旧勢力に屈せず、町長に鞍替え当選するなど、桑原さんの持ち味はなんといってもその度胸と突破力にある。今後4年間、町民に託された町政の場でも、その度胸と突破力で、これまでの津南町の魅力を伸ばしつつ、新たな魅力の発見に向けても果敢に挑戦してほしいと思っている。当ブログも、かつてエコツアーで津南町を訪れ、その自然の豊かさに魅せられた者のひとりとして、遠く北海道の地からエールを送りたい。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【福島原発事故刑事裁判第19... | トップ | 【金曜恒例】反原発北海道庁... »

その他(国内)」カテゴリの最新記事