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【翻訳記事】開始されたフクシマの情報戦争(Global Research誌)

2011-10-09 22:27:47 | 原発問題/一般
【翻訳、引用開始】

フクシマ、真実を目指す戦い
日本人口の大きな部分が著しいレベルの汚染を体内に蓄積しつつある

ポール・ジンマーマン著
Global Research, September 27, 2011

 フクシマの核事故は悪夢である。漏れ出た放射能は亡霊のように日本国中をさまよっている。かつては安全だった生活が、いまや悪性の病気と死をもたらす忌むべき災厄に付きまとわれているのだ。

 人口の大きな部分が著しいレベルの汚染を体内に蓄積しつつあり、それは人々の健康に対する悲劇を準備している。

 流産と胎児死亡数の急激な増加が不都合な何かが起こっていることを最初に告げるだろう。生まれ持った機能不全の数の上昇が暗転の開始でありそれが未来永劫続くことになる。甲状腺障害と心臓病と幼児や児童の白血病罹患率の上昇がその後に続くだろう。最初の10年間とその後に癌の罹患率も急増するだろう。

 チェルノブイリはこの胸が張り裂けるようなシナリオのさきがけだった。それは、高濃度の核分裂生成物によって内部から汚染された人々の間に起こる逃れえない生物学的な真実を人類に教えた。それにもかかわらず政府と産業を動かす者たちは、これらの事実をありもしない人騒がせなデマだとして攻撃する。彼らはチェルノブイリが膨大な数の死者を出した事件であったことを冷ややかな無関心さで否定する。彼らは盲目のまなこを巨大な量の調査結果に向けて、このウクライナの惨劇による被害者がわずかでありそれより多いという証拠は無いなどと、ずうずうしく主張するのだ。彼らは科学的なうわべだけで飾ったプロパガンダを発表するのだが、それは低レベル内部被ばくの障害を無視するものである。その逃げ口上がうまくいったと信じ傲慢な横暴さに有頂天になって、彼らはすでに福島の人々の知識や見解を操る立場に身を置きつつあるのだ。

 日本政府、原子力安全委員会そして東京電力はすでに、人々がいま起きていることを見ないようにさせ続けるために、その権力が及ぶあらゆることをするだろうと表明している。表面化しつつある健康への危機は消去されるように予定されている。過去に世界中に撒き散らされた放射能を元に作られ時間をかけて確かめられた被害予測はもとより、フクシマ事故の医学的な衝撃の評価に関連するデータは決して集められないだろう。人々に対する放射能の量は恐ろしいほどに過小評価されるだろう。低レベルの内部被ばくにともなう障害はリスクについてのありとあらゆる議論から抹消されるだろう。核開発のアジェンダを支える学術雑誌は、人々が苦しむ健康上の傷害は無かったと明示するいんちきな研究であふれるだろう。小児白血病件数の増加は、津波被害による混雑した避難生活で広められた未知のウイルスか何かのせいである、などとされることだろう。(この理屈はいま、原子炉近くに住む5歳未満の子供の白血病の増加が放射能によって起こされたことを否定するために流行している。)生まれつきの障害は、国際放射線防護委員会(ICRP)によって取り上げられたリスクモデルが予測していないので可能性が無いとして、ひとまとめに否定されるだろう。そのモデルが詐欺的な手段で作られているという可能性は考慮に入れられない。(『放射線防御機関による人類への裏切り』を見よ。)

 この制度化された欺瞞の構造の中で妨害されるときに、どのようにすれば真実が優越性を手に入れるのだろうか。どんな機関が率先して、十分な範囲の疾病を正確に記録し、犠牲者を突き止め、そして公衆の健康についての信頼に足る情報を公表するようなことができるだろうか。誰が子どもたちを守るという責任を取ろうというのだろうか。政府の助けを待つのはナイーブである。放射線事故の歴史を見れば、政府が核兵器開発計画や核(原子力)産業の方を向いており、常に国民を裏切るということが明らかになる。政府に頼むことではなく、たった一つの他の手段が日本人に開かれているのだ。彼らは先手を打って学ぶようにしなければいけない。先回りをして、事故の「知識や見解」のコントロールを、政府や企業からもぎ取らねばならないのだ。

 フクシマの事故について、現状に対する正直な評価を作り、医学的な結果が現れるごとにそれらを列挙し、どのようにして国民が自らを守ることができるのかという正確なアドバイスを提供することで、人々の戦いを開始する必要がある。インターネットを基本的な環境として使いながら、関連したあらゆる学問領域の科学者たちが、情報源の調査研究企画の幅広い配信を確立するのに役立つ価値あるものを、関心を持つ非専門の人々と結び付けなければならない。発達しつつあるオンラインの知識庫は、関連あるデータを記録し、将来起こるであろう不当な干渉からそれを守ることだろう。事故はその発端から記録されなければならない。しばしばお互いに矛盾しあう公開された報告書といっしょに、政府資料からのものだろうが一般の研究者や目撃者からのものだろうが、ありとあらゆる入手可能な情報が、将来の評価のために集められなければならない。3月11日以来の世界規模での気象データが集約されなければならない。日本と世界の両方で、あらゆる公式と非公式の環境放射線量の測定結果が集められ照合されなければならない。これは将来の疫学的な研究に要求される根本的な情報である。汚染された農地は突き止められなければならない。人間や動物が食用として消費する全てのもののサンプルが安全性を評価されなければならない。人々の中に放射能起源を疑われる病気が現れ始めると、健康管理を行う者と患者はその経験を公開しなければならない。最初のうちはその情報は話の種程度だろうが決して無価値なものではない。それが沸き起こる病気と死の傾向を突きとめ、もっと組織的な科学的調査を必要とする小数グループの人々をはっきりさせるだろう。単独であるいは少人数で作業する研究者たちは、その専門的知見と関心を持つ分野で、先手を打って研究を続けなければならない。(the Canadian Coalition for Nuclear Responsibilityのゴードン・エドワーズによる、ストロンチウム90の地理的分布と摂取の客観的なデータを提供する乳幼児の歯の幅広い収集が、一つの卓越した例として示唆を与えるものである。[1])方法論とデータと結果が入手可能な形でインターネットサイトに書き込まれる必要がある。世界中の人々によって厳密に吟味されるように、その作業のすべての自由なアクセスが保証されなければならない。透明性が最重要なものである。開かれた対話によって様々な視点が公平に述べられるだろう。調査の基本方針や結果の解釈に対して賛同を得なくても、それによって新たな調査の道筋が指し示され、明示性と合意が実現できるかもしれない。科学的な方法による客観的な調査が真実への最終的な審判なのだ。この努力の究極的なゴールは、環境中に放出された放射能が人々の健康に与える結果の偏りの無い定義を作り、現行の放射能安全基準の正確さを判定し、人類共通の価値のためにいかなる改良を施すことができるのかを明らかにすることである。

 今すぐこの先手を打った研究を開始することが緊急の課題である。データは汚されないうちに手に入れなければならない。特に大切なことは、事故以前の日本人の健康に関する統計を保護することである。様々な妊娠の結果の割合、生まれつきの障害の頻度、甲状腺障害や心臓障害や癌などの件数といったすべてが整理されなければならない。この基盤となるデータが保存されなければならないという十分な理由がある。放射線事故の歴史はデータ捏造のあからさまな実例でゴミ箱のようにされており、それが低レベル内部被ばくの人間の健康に与える影響の正直な評価を妨げているのだ。たとえば、米国公衆衛生局によって公表された病気と死亡のデータは、核兵器製造施設と商業用の原子力発電所から放射能が放出されるにしたがって、人口中の癌死亡を覆い隠すために書き換えられたのだ。スリーマイル島での事故はいつでも、政府と業界の広報担当者によって穏やかな出来事であるかのように描かれたのだが、実際にはその風下での人間と家畜の病気と死の原因となった。チェルノブイリ事故の後、何十万人ものいわゆる「清掃人」たちが破壊した原子炉のすぐ近くで撤去作業に従事し、また放射能を閉じ込めるために原子炉の周りにコンクリートの石棺を建設した。欧州放射線リスク委員会(ECRR)によれば、その後に続く何年間かでこれらの人々では一般の人々よりも白血病の発病率が低かったのである。しかし後になって、ソビエト連邦の医者たちが診察で白血病を記録することを禁止されていたのだということが明らかになった。ECRRが引用したウェールズ癌登録では、英国にあるセラフィールドの核燃料再処理工場が人々に病気をもたらしたと非難されないようにするために、データベースから癌の件数を抹消した。さらにECRRによれば、チェルノブイリ後にドイツで、人々の健康に対するこの事故の衝撃を隠すために、幼児死亡数が書き換えられた。

 害毒は健康記録の偽造に限ったことではない。1957年に英国のウインズスケイルの黒鉛型原子炉、いまはセラフィールド再処理工場となっている場所で、火災が発生した。大量の放射能が放出されアイルランド人の間で起きた癌の発病は、現在まで激しく引き続いているのだ。ECRRによれば、火災後のある時点で気象の記録が「影響が及ぶと思われる場所を隠そうとする明らかな動機で」書き換えられた。同様に、日本の敦賀で高速増殖炉のプロトタイプである”もんじゅ”が1995年に破滅的な火災に遭った。県と市の役人たちは、この災害の規模を隠すために火災のビデオ映像に手を加えた。

 もしフクシマの健康被害の結果を正確に記録する作業がうまくいけば、最も重要になるのは、その作業が、現在放射線の影響に関する議論を支配する国際的機関からの独立性を、必ず維持できるという状況である。それらの機関による無言の支配は、核兵器開発計画と核(原子力)産業を支えるべきものである。そしてそれらは、環境中に放出された放射性物質による健康被害を軽度に見積もる欺瞞に満ちた科学研究を公表する。たとえば世界保健機関(WHO)、国際原子力機関(IAEA)、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)、そしてChernobyl’s Legacy: Health, Environmental and Socio-economic Impactsを合同で作成したその他の国連機関である。この研究は、チェルノブイリが人々の健康にわずかの影響しか与えなかったことの証明として恒常的に引用される。それは次のように結論付ける。事故当初に作業にあたった28名のみが激しい放射線障害によって死亡、4千人の子どもが甲状腺ガンに罹り、2002年までに死亡したのはそのうち15人である、と。加えてその報告書は、全人口の中でそれ以外の4千人が致死的な癌を患ったかもしれないと推定した。このチェルノブイリ災害の矮小バージョンは、わずか350の、それもほとんどが英語で発表された情報源を参照するという、ずるがしこいやり方で作られたものだが、その一方で英語以外の言語で書かれた3万の出版物と17万の情報源は無視されたのである。これらの大量の文献の要約はChernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and Natureとして出版されたが、それは放射線がもたらした死は98万人に達すると結論付けた。

 第二の例を挙げると、劣化ウランを用いた兵器がもたらす健康被害について、数多くの権威ある機関が誤った情報を流し続けている。それにはWHO、IAEA、欧州委員会、英国のthe Royal Society、米国のthe Agency for Toxic Substances and Disease Registry、the Rand Corporation、そしてthe Health Physics Societyが含まれる。そのすべてが、兵器にされたウラニウムは、戦場の兵士と風下の住民の体内に取り込まれた際にも、なんらの健康に対する悪影響を及ぼさないと結論付けた。この結論は、ウラニウム産業と核産業の労働者たちへの汚染と、飲料水中のウラニウム・レベルの上昇にさらされた住民たちについての、科学的な文献の調査によって正当化されたものだった。歴史的に言えば、それらの人々に対する健康への悪影響はわずかに2種類だけが記録されていたのだが、それはウラニウムの化学的な毒性による腎臓機能への悪影響、そして放射能によって起こる癌である。しかし湾岸戦争症候群に苦しむ退役兵への研究は腎臓障害の証拠が全く無いことを明らかにする。そして国際放射線防護委員会(ICRP)が公表したモデルによると、戦場のウラニウムの放射線量は非常に低いため癌をひき起こさない。結論は?結局こうだ! 劣化ウランは退役兵の激しい苦しみやファルージャとイラクの他の場所で起こっている癌と先天性異常の要因ではありえない、と。これらの研究のロジックが説得力を持とうとしても、それらがことごとく致命的な欠陥を抱えていることは明らかである。それらはすべて、燃焼がひき起こしたマイクロそしてナノ・サイズのウラニウムの粒子が取り込まれた際に、それが生物体内で、過去に現れたウラニウム被ばくのタイプとは比較できない特有の動きをするという点を認識できないのだ。そしてそれらの研究はウラニウム汚染の最新の研究を考慮に入れるのをずるがしこく避けている。第1次湾岸戦争から導入された新しい研究は、ウラニウムが遺伝毒性的(DNAを傷つけうる)、細胞毒性的(細胞に対する毒性を持つ)、催奇形性的(mutagenic:奇形をひき起こしうる)、催奇作用的(teratogenic:正常な胚の発達を妨害しうる)そして神経毒性的な(神経組織を害しうる)ものであることを明らかに示している。この研究はさらに、ウラニウムが腎臓障害と癌の原因となりうるだけだという古臭い呪文を追い払わねばならないものである。(劣化ウランによる障害を軽視するために用いられる詐欺的科学の完全な暴露、およびウラニウムの毒物学的な最近の研究のまとめについては、この著者による「A Primer in the Art of Deception」の中の「The Harlot of Babylon Unmasked: Fraudulent Science and the Cover-Up of the Health Effects of Depleted Uranium」を見よ。こちらで求めることができる

 放射線防御の機関もまた害毒に冒されている。広島にある放射線影響研究所は、第2次世界大戦終了時に原子爆弾で被ばくした生存者の健康に関する医学的な調査を続けている。その寿命調査(LSS)は、世界的な放射線安全確保のガイドラインを決めるためにICRPによって使われる唯一の最重要な証拠である。被ばくのあらゆるタイプと放射線障害のあらゆるあり方に対する放射線安全確保がこの研究にあまりにも頼りきっているのは、信じがたいほどに不安をかきたてる。その寿命調査が深く繕うことの出来ないほど欠陥に満ちたものだからである。それは原爆投下の5年後、すでに何万もの人々がもうレベルを知ることの出来ない放射線によって倒れた後に開始されたのだが、その結果は、実際よりもずっと少ない放射線障害を発見するのに都合の良い、絶望的なほどに捻じ曲げられたものだ。さらに、その研究は胎内で被ばくした胎児の出産の結果について何一つ意味のある情報をもたらすことが出来ない。もっと大きな問題は、その研究の対象となる群と比較対照のための群が、ともに原爆投下後に破壊された市街地に降った黒い雨によって内部被ばくをしていた点である。この比較対照のための群が当時まだ知られていなかった汚染を受けていたことは、研究の対象となる群における放射線障害の割合について意味のある結論が出ることを、絶望的に妨げている。この寿命調査は他にも、どうしてこれが放射線防御の基準の中心になるのかという深刻な疑問をひき起こす数多くの欠陥に毒されている。(この件についての更なる情報はこちらからダウンロードできる。前記にあるExhibit Cを見よ。)

 日本人は地球上の他のどの国民よりも多く核の脅威の犠牲にされている。いまや彼らは、知覚できない悲劇の中に放り込まれている。それは何百万人に、ゆっくりとしかし避けがたく、疾患と胸のつぶれる出来事をもたらすだろう。この犯罪への返答の中に、一つの貴重なそして勇気の要るチャンスがある。自分たちを覆い尽くすそうとする災厄を正直に記録する国民的なキャンペーンを実行することによって、日本人は全人類の先頭に立って、核兵器と原子炉の全盛を許してきた詐欺と誤魔化しの泥沼を突き破ることができる。真実は最終的に虚構に打ち勝つ機会を手にしている。ある小さな、しかし明らかな方法で、これがヒロシマ、ナガサキそしてフクシマの悪逆非道への報復に値するのかもしれない。

 ポール・ジンマーマンは『A Primer in the Art of Deception: The Cult of Nuclearists, Uranium Weapons and Fraudulent Science』の著者である。その本の中に、現在の放射線防御基準が持つ欺瞞に満ちた性格と劣化ウラン兵器の影響の隠蔽についてのより技術的で十分に詳しい紹介がある。その抜粋は次からフリー・ダウンロードできる。www.du-deceptions.com

【翻訳、引用ここまで】

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●訳者からの若干の説明

 ひょっとすると、この文章作者による日本人への呼びかけをお読みになって、「何という冷たい厳しい見方だ」とお思いの方がおられるかもしれません。「こうはなってほしくない」「避けなければならない」と思うようなことがらを「必ずこうなる」と断言し、「助かりたい」と思う災厄からは「逃げられない」と言い、できたら目を背けたい現実を「正直に記録する」ように勧め、「誰かにすがりたい」ようなことに「日本人が全人類の先頭に立て」と語るのです。しかしこれは、作者のジンマーマンに言われるまでもなく日本人自らが自覚しなければならない自分たちの現実ではないかと思います。

 前回の私の文章「銃剣なき全体主義 太初(はじめ)に結論ありき」の最後に、私は次のように書きました。

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「この門をくぐる者は一切の希望を棄てよ」(ダンテ、神曲『地獄編』より)

 2011年に生きる日本人は、すでにその門をくぐってしまっているのです。そうと覚悟してください。ダンテの言葉のように、一切の希望を棄ててください。

 一切の希望を棄てたうえで、一つ一つの事実を拾い集め、一つ一つを自らの目で確かめて、自ら分かっていき、一つ一つの現実を自ら噛み締めていくことによってしか、我々はもはや一歩も歩くことができないのでしょう。人間らしく生きるためには、そうしよう!と決意するしかないように思います。希望があろうが無かろうが、我々は最後まで人間らしく生きるしかないのではないでしょうか。
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「希望を棄てよ」というのは決して「あきらめて何もするな」ということではありません。逃れられない現実に対して覚悟を決めて冷静に事実と直面しようということです。それがどれほどにむごい事実でも、正面から向き合う以外に、人間として生きる術は無いように思います。

 拙訳文から引用しますが、作者のジンマーマンは「フクシマの事故について、現状に対する正直な評価を作り、医学的な結果が現れるごとにそれらを列挙し、どのようにして国民が自らを守ることができるのかという正確なアドバイスを提供することで、人々の戦いを開始する必要がある」、「今すぐこの先手を打った研究を開始することが緊急の課題である。データは汚されないうちに手に入れなければならない」、そして「自分たちを覆い尽くすそうとする災厄を正直に記録する国民的なキャンペーンを実行する」と語ります。これは、国家の機構を使って利権のために国と人間を滅ぼすような者たちと、それに抵抗し打ち勝って生き延びようとする者たちとの、いわゆる「情報戦争」です。

 相手はすでに陣形を固めつつあります。文中にも「その逃げ口上がうまくいったと信じ傲慢な横暴さに有頂天になって、彼らはすでに福島の人々の知識や見解を操る立場に身を置きつつあるのだ」とありますが、この点は、47プロジェクト代表の岩田渉さんによる次のご報告をお読みいただければ十分に確認できると思います。

はじめに結論ありきの「福島国際専門家シンポジウム」

市民・科学者国際会議:放射線による健康リスク~福島「国際専門家会議」を検証する~

 3月11日以来、そしてあの山下長崎大教授が唐突に福島県に派遣されて以来、日本人と全人類に対する核攻撃を推し進めようとする者たちは、着々とこの情報戦の陣を固めてきました。電力会社が中心となり政府機関と官僚たちが主力部隊、そしてその最前線で使われる主武器がマスコミ(記者クラブ)報道である、などということはもはや誰の目にも明白でしょう。一方で、自然発生的に、岩上安身さんなどのフリー・ジャーナリストたちと小出裕章さんなどの学者・専門家たちが中心になってそれに立ち向かってきました。その最前線はインターネット・メディアによってつながった無数の人々です。しかし、特に今後の戦いの中で何よりも先に為されるべきことは、文中でジンマーマンが語るように、「先手を打った事実の把握と情報の収集とその効果的な整理」です。

 日本人を更なる核の犠牲にしようとする者たちは、「騙し、隠し、やらせ」を主武器とし、大嘘を真実と言い換えて日本と世界を破滅に誘うでしょう。何よりも怖いことはこの情報戦に負けて大嘘の勝利を許し人間が魂の内から破壊されていくことです。

 今後、出産異常がどのような頻度でどのように起こるのか、先天性の障害の数はどうか、心臓や甲状腺やその他の器官に異常を持つ人々(特に子ども)の数はどうか、免疫や神経の作用の異常はどうか、人々の鼻血や下痢などの身体の異常がどのように出ているのか等々のデータを、どれほど早く正確に集めることが出来るのかで、最初に勝負が決まるでしょう。次には、それらのデータと、放射性物質の分布に関するデータとの関連性を見つける作業が続くでしょう。

 それがどれほどにつらい作業であっても、少しでも医学、衛生学、放射線学などの専門知識と技能のある人たちに、勇気を持って実行してもらいたいことです。そしてそこから単純な誤報を取り除いたうえで情報を整理・分類する作業が、その能力と手段を持つ人たちによって行われなければなりません。しかしきっともう、一部の自覚した人たちによって、各方面でこういった作業が開始されていると信じます。

【参照資料】
チェルノブイリ事故による放射性物質で汚染されたベラルーシの諸地域における非ガン性疾患 Y.バンダショフスキー教授

ベラルーシ・ゴメリでの、子どもの非がん性疾患の激増

チェルノブイリ被害実態レポート翻訳プロジェクト

クリス・バズビー:原発事故が子どもたちの心臓に及ぼす深刻な影響

ECRRクリス・バズビー論文「福島の破局的事故の健康影響」日本語訳

福島原発事故における被ばく対策の問題-現況を憂う 西尾正道(国立病院機構北海道がんセンター院長)

“チェルノブイリ膀胱炎”-長期のセシウム低線量被曝の危険性 児玉龍彦教授

なお、著者のジンマーマンによるGlobal Research誌の記事にはこの他に下記があります。

Uranium Weapons, Low-Level Radiation and Deformed Babies (2010-01-01)
     
(2011年10月4日 バルセロナにて 童子丸開)

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熊本県菊池市で震度5強

2011-10-05 23:47:42 | 気象・地震
(2011.10.7 修正・加筆)

平成23年10月5日23時33分頃の熊本県熊本地方の地震について(気象庁報道発表)

熊本県で震度5強の地震があった。M4.4というのは日本付近では毎月起きている程度の地震だが、揺れが大きいのは震源が浅いためである。逆に、揺れが伝わる範囲は狭かった。

この地震の数日前には、徳島県でも地震があったが、これらの地震はいずれも中央構造線の上にある。和歌山県北部もこの構造線の上に位置しており、地震活動が活発な状態にある。総じて、中央構造線は今、活発な状態にあるといえるだろう。

そして、気がかりなのは、この構造線の真上に伊方、川内の両原発があることである。今度、福島のような原発震災が起き、西日本も放射能汚染されたら、間違いなく日本は終わる。原発再稼働などしているときではない。ただちに全原発を止めなければならない。

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長崎電軌で起きた重大インシデント

2011-10-02 22:07:07 | 鉄道・公共交通/安全問題
今日は、背景に「乗客の苦情」=長崎の路面電車、単線進入―運輸安全委(時事通信)という記事について取り上げる。2010年10月、長崎電軌で単線での正面衝突につながりかねない重大インシデントが起きていたとのことだが、この短い記事だけを読んでトラブルの全容を理解できる人は、よほどの保安設備マニアだろうと思う。そもそも記事を書いた時事通信の記者自身、どれだけ理解して書いているのだろうかと思わざるを得ない。

運輸安全委員会の事故調査報告書はこちら

路面電車は、ほとんどが「軌道法」に基づいて事業免許を受け、車両(鉄道と違って軌道は列車と呼ばない)を走らせている。運転方法については「軌道運転規則」が詳しく定めている。軌道の多くは最高時速が低いことから、鉄道と違った運転規則が適用されているのだ。

鉄道事業法が適用される鉄道の場合、列車同士の「車間距離」を適切に維持するための手法として、線路を一定区間ごとに区切り(閉塞)、1閉塞区間には1列車しか進入させないようにする「1閉塞区間1列車の原則」が厳密に適用される。この原則には、事故処理の場合や、駅構内における列車連結作業を行う場合など、ごく一部を除いてほとんど例外がない。単線区間では、一般的に、すれ違いのできる駅同士を1閉塞区間として、その駅間には1列車しか進入できないようにする手法が採られている。信号保安装置が自動化されていない単線区間(非自動単線区間)では、タブレット閉塞式(国鉄時代は通票閉塞式と呼ばれた)により、閉塞区間への進入を許された列車が通票を持って走行する。

これに対し、軌道の中でも路面電車は、その多くが最高速度45km未満であり、また目視で先行車両との車間距離を適切に維持しながら走行することができる。このため、単線区間でも1閉塞区間1列車の原則は大幅に緩和されており、同一方向の複数の車両が1保安区間(鉄道の閉塞区間に相当)内で同時に数台、ゾロゾロと連なって走行することが認められている。路面電車に独特の方式で「続行運転」と呼ばれる。

ところで、非自動単線区間では、路面電車といえども、保安区間への進入を許されていることの証として、鉄道と同じようなタブレット(通票)に当たるものが必要となる。軌道運転規則でも、保安区間ごとに通票を備えなければならないと定められている(第68条)。

このような非自動単線区間で路面電車が続行運転を行う場合、通票は、続行している車両の中で最後の車両が携行しなければならないという重大なルールがある(軌道運転規則69条)。このようなルールが設けられている理由は説明するまでもないだろう。万一、最後以外の車両が通票を携行していた場合、この車両が駅に到着後、まだその後から続行している車両があるのに対向列車に通票が渡され、対向列車が単線の本線に出た後、続行してきた車両と正面衝突という事態になるからである。

一方、駅ですれ違い待ちをしている対向車両から見ると、ある列車が駅に到着した場合に何も措置を講じていなければ、続行車両があるかどうかはわからないので、最後以外の車両は前面に「続行標識」を掲げることが義務づけられている。これは「続行車両があるので、この車両は通票を持っていない」ということを対向列車に通知する重要な役割を持っている。

運輸安全委員会の報告書を見ると、問題の区間(大浦海岸通り~石橋)では通常は単線自動閉塞式を実施し、観光シーズンなど繁忙期に臨時列車を増発して続行運転となるときに限り通票式を実施しているという。このようにしている理由は推測の域を出ないが、自動閉塞方式では1保安区間に1列車しか進入できないようにプログラムが組まれていて変更もできないため、続行運転を行うためには自動閉塞方式を取りやめるしかないという単純なものだろう。

トラブルの起きた日は、上下両方向で続行運転という複雑な運転方式が採られていた。しかし、複雑に見えたとしても原則はきわめて単純である。続行している車両群全体を1車両と見なし、通票を携帯した最後の車両が到着したら通票を受け取り、逆方向ですれ違い待ちをしている車両群のうち最後の車両に通票を渡して発車させる。それだけのことである。

報告書によれば、長崎電軌では単線区間の入口である大浦海岸通りで、通票を携行した対向車両の到着を確認後に続行標識の取り付けを行う内規があったにもかかわらず、係員の間では、通票携行車両が到着しないうちからすれ違い待ち中の対向車両に続行標識を取り付けてしまう内規違反が常態化していたという。こうした混乱の中での内規違反が重大インシデントにつながったことは間違いない。

さらにその背景を追っていくと、混雑する道路の中で交通信号が電車優先制御になっていないため、続行運転中はなかなか通票携行車両が来ず、すれ違い待ちで対向車両が10分も停車する事態が常態化していたという。このような中で、早く車両を発車させたいというプレッシャーも背景にあったと、報告書は指摘している。

報告書を斜め読みする中で、おおむねこの重大インシデントの内容を理解できたが、正直なところ、根本的な打開は難しい。複線化が最も有効な解決策だが、勾配が多く平地が少ない長崎で、平地を縫うように作られた道路の上の路線を複線化することは困難である。全国有数の観光地の長崎で、繁忙期に増発もせず漫然と乗客の積み残しを出す訳にもいかないであろうし、続行運転時に自動閉塞から通票式に変更せざるを得ない事情もよく理解できる。

問題は、交差点の交通信号が電車優先制御になっていないため、なかなか路面電車が進めず、通票携行車両が来るまで対向車両がかなり長い時間、海岸通りで待たされたままになってしまうことにある。できることは限られているが、車優先社会から公共交通優先社会へ転換する試みのひとつとして、交通信号機を電車優先制御にすることがいくばくかの問題解消につながるのではないだろうか。これは長崎電軌だけでは不可能であり、行政も巻き込んだ発想の転換が求められる。

路面電車区間での単線続行運転は、かつて名鉄岐阜市内線などでも見られた方式だが、これらの路線が廃止された後、日本ではもう廃れたと思っていた。まだこんな方式が残っていたとは驚きであり、これを見るためだけに乗りに行ってもよいほどの価値がある珍しい運転方式だ。長崎電軌は、運賃100円で運行するなどの涙ぐましい企業努力で長崎市民、そして観光客の足として認知され、ここまで成長してきた。今回の重大インシデントを機にしっかりと足下の安全を固め、活躍を続けてほしいと願っている。

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新聞購読をやめてみた~やめても全く困らず驚く

2011-10-01 23:25:42 | その他社会・時事
福島に住むようになって以来、4年以上購読してきた「河北新報」を9月限りで打ち切った。宮城を基点に、東北の視点に徹する報道がすばらしくて購読してきたが、3.11以降この新聞もすっかりダメになった。それも、肝心の震災・原発事故報道が全くダメ。8月頃から、購読打ち切りの話を妻としていたが、10月がひとつの区切りと思った。

震災・原発報道に関し、東北のメディアで合格点をつけられるところは残念ながら全くない。原発爆発の映像をネット掲載した独ZDFに対し、自らの著作権をたてに削除を要求し、片っ端から「抹殺」したFCT(福島中央テレビ)、山下俊一をたびたび登場させ、安全デマを垂れ流した福島民報、福島民友の地元メディアは論外。河北新報に関しても、私たちが最も掲載してほしかった記事はことごとく不掲載だった。

本当にありがたいことだが、私には名古屋時代、JR東海の安全問題などに一緒に取り組んでいた仲間がいる。浜岡原発廃止運動にも熱心に取り組んでいる人で、今も中日新聞の切り抜きを送ってくれている。送られてきた記事の中には、例えば「被ばく不安 苦悩の親~鼻血 放射線被害では?」(「中日新聞」6月22日付け)や、「南相馬 振り回される教育~窓閉め切り冷房なし」(「中日新聞」6月24日付け)といった記事があるが、こうした記事は東京新聞など他の系列紙には掲載されているのに東北地域だけ不掲載だったのである。

ネットがなかったとしても、通信手段が発達した現在ではこのように地方紙同士の記事の比較もできるし、どの新聞がどんな記事を重視しているかの比較も比較的容易である。こうした中で、6月頃から、福島の人々の健康状態に関する記事が、それを最も必要としている地元では隠され、中日新聞を読んでいる愛知県民や、東京新聞を読んでいる東京都民のほうがそれをよく知っているという状況が次第にわかってきた。こうしたことは、地元メディアがどのように言い繕おうとも明白な情報操作であり、この頃から地元メディアに対する不信感が募っていた。

震災に関しても、現実に半年経っても多くの人が失業したまま再就職の当てがないという事態に対し、どうしたら新たな仕事作りができるのか無能な政府に代わって提言すべきなのに、東北は被害者だという意識ばかりで代案も何もない。阪神・淡路大震災の時、京都新聞の施設・設備を借りながら1日も欠かさず新聞発行を続け、地元にとって都合の悪いニュースも臆せず掲載した神戸新聞のような報道を期待していたが、全く期待はずれだった。テレビ放送が地デジ化されて以降、番組表はテレビで拾えるようになったし、拾うほど価値のあるテレビ番組があるとも思えない。

東北の視点に立つのであれば、東京の植民地として機能させられてきた明治維新以降100年の東北のあり方そのものをこの機会に問い直さなければならなかったと思う。東北差別は何も今に始まったことではない。白河以北一山百文(白河以北の東北では山ひとつがたったの百文で買える、の意)とか、勿来(なこそ)の関(「なこそ」は「な来そ」=来るなの意)などの表現はまさに東北への蔑視が込められている。金融恐慌と飢饉に襲われた昭和10年代も、農村で娘の身売りのような悲しい事件が起きたのは東北だったし、東京都民が豊かな消費生活を送るために原発という重荷を背負わされたのも東北だった。沖縄と同じ植民地経済で、働いても働いても豊かになることがない。そのことは、他媒体から転載した原稿アーカイブの中で当ブログは何度か指摘してきたはずだ。

本来、このような未曾有の大災害で多くの被災者が苦しんでいる中で言うべきことではないかもしれないが、東北が真の意味での「復興」を果たしたければ、植民地経済からの脱却の要求と奴隷根性からの自らの解放を併せて進めなければならない。鎖につながれたままで復興を叫んでも、それは東京主導、被災者不在のプランテーション型復興にしかならないと私は思う。その役目を放棄し、惰眠をむさぼりながら「都合の悪い情報は伝えなければいい」とばかりに東北の民衆を愚民扱いし、情報操作に荷担する地元メディアは、地元民への裏切りに対して高い代償を払うことになるだろう。私の地方紙購読中止も、その「代償」のひとつだと理解していただきたいと思う。

しかし、新聞購読を中止して何か不都合があるかと思ったら、拍子抜けするほど何もない。私より年齢が上の世代には「まともな社会人なら新聞くらい購読していないと」というステータス意識があり、これまでの新聞購読はステータス意識だけが動機だったのだと改めて思い知らされる。20代以下の若手世代は、新聞を読むなんて格好悪いとすら思っているだろう。変化への要求が抑えつけられ、一見すると何も変わっていないように見える日本社会も、底流では若者からの激しい変化が起こりつつある。再販制度に守られた紙媒体としての新聞が、今のまま20~30年後も存続しているかどうかは、かなり怪しくなったと思う。

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