七夕月にちなみ、天の川に思いを・・・

亀蔵棗(きぞうなつめ)、写し、山中塗り
赤漆と青漆で、蓋甲には五黄を意匠化し、
側面に一白、二黒、三碧、四緑、六白、 七赤、八白、九紫
それぞれ点で星の数を書き入れております。
亀蔵棗は十三世円能斎鉄中(1872~1925)の好みとされ、
本歌は中棗、一閑張の飛来一閑作で、
一燈居士百五十年忌記念として五十個作られているそうです。
円能斎は何故これを好んだのでしょうね。
調べてみると、あの角倉了以のお名前も挙がってきます。
円能斎は明治に入り衰退気味だった茶道を、
禁否だった点前教本を著すことにより、
女学校や一般庶民の手が届く近しいものにされ、
また家元や内弟子の稽古を受けられるよう、
門戸も押し広げられたそうです。

観世水(かんぜすい)


亀蔵棗(きぞうなつめ)、写し、山中塗り
赤漆と青漆で、蓋甲には五黄を意匠化し、
側面に一白、二黒、三碧、四緑、六白、 七赤、八白、九紫
それぞれ点で星の数を書き入れております。
亀蔵棗は十三世円能斎鉄中(1872~1925)の好みとされ、
本歌は中棗、一閑張の飛来一閑作で、
一燈居士百五十年忌記念として五十個作られているそうです。
円能斎は何故これを好んだのでしょうね。
調べてみると、あの角倉了以のお名前も挙がってきます。
円能斎は明治に入り衰退気味だった茶道を、
禁否だった点前教本を著すことにより、
女学校や一般庶民の手が届く近しいものにされ、
また家元や内弟子の稽古を受けられるよう、
門戸も押し広げられたそうです。

観世水(かんぜすい)