黄金週間も今日まで、良いお天気でしたが昼から下り坂に。
5/5
三男坊は昼までには帰ったよう・・・というのも、
皐月初めての自宅稽古日、炉から風炉に代り準備は・・・
5/1 
5/1に済んでおり、今朝は三月から始めた方一人で
略盆だけとのんびり準備に、
花は、黒蠟梅と咲きだしたばかりの梅花空木で
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突然の電話が”お稽古に伺いたいのですが、11時頃に実家の母
も連れていってもよろしいでしょうか”と、二つ返事でOKに、
鉄瓶を用意しているので千歳盆か茶箱のお稽古にしましょう。
嬉しいことです。
十時からの略盆点前を二回目が終わる頃、娘に手を取られてお出で
になり、お席に座られた姿は、私の祖母によく似ており、懐かしい
気持ちを重ねながら、お菓子を出したところ、
美味しいですとおっしゃり、良かったと喜んだのですが、・・・
半分残され、沢山食べれないのかなーと、
その後、実の娘の点てたお抹茶も美味しそうにいただかれ
美味しいですとおっしゃりながらお薄も半分残されて・・・
不思議に思っておりましたが、その娘さんが菓子を頂こうとすると
半分のお菓子を差し出され’これを食べていいよ”と発しられて、
やっと納得が、娘の為に残されていたのでした。
飛び入り参加を気にしておられたのでしょう。
それは、お母さんの分ですよと娘さんに言われ、残さず食べ、
お薄もきれいに吸いきっていただけました。
いつまでたっても子は子で、それが親心なのでしょう。
ふとしたことから人の『心』についても思いをいたしました。
昨日の薬師寺、第37回「玄奘三蔵会大祭」の白鳳伽藍西回廊に
設けられた野点席でのご奉仕で頂いた中の小さな紙に、
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『心』、薬師寺管主 村上太胤さんの筆で
下記のように記されておりました。
【私達が現在お唱えしている”般若心経”は玄奘三蔵によって
翻訳されたものです。その般若心経の心を高田好胤管長が
「かたよらないこころ こだわらないこころ
とらわれないこころ ひろくひろく もっとひろく」と
お説きになりました。
私たちはどうしても物事に執着し、自分の都合に良いように
振る舞ってしまいます。自分のことは一度置いておき、
広い心で廻りの方のことを想っていけるように修して
いければよいのではないでしょうか。】と
説明されています。
*『心 いかに生きたらいいか』高田好胤、徳間書店刊1969年
和上は戦後、薬師寺の伽藍復興のために全国をめぐり、
お写経勧進により100万巻のお写経を集められております。
広ーい心、みんながそうであるように・・・。
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三男坊は昼までには帰ったよう・・・というのも、
皐月初めての自宅稽古日、炉から風炉に代り準備は・・・
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5/1に済んでおり、今朝は三月から始めた方一人で
略盆だけとのんびり準備に、
花は、黒蠟梅と咲きだしたばかりの梅花空木で
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突然の電話が”お稽古に伺いたいのですが、11時頃に実家の母
も連れていってもよろしいでしょうか”と、二つ返事でOKに、
鉄瓶を用意しているので千歳盆か茶箱のお稽古にしましょう。
嬉しいことです。
十時からの略盆点前を二回目が終わる頃、娘に手を取られてお出で
になり、お席に座られた姿は、私の祖母によく似ており、懐かしい
気持ちを重ねながら、お菓子を出したところ、
美味しいですとおっしゃり、良かったと喜んだのですが、・・・
半分残され、沢山食べれないのかなーと、
その後、実の娘の点てたお抹茶も美味しそうにいただかれ
美味しいですとおっしゃりながらお薄も半分残されて・・・
不思議に思っておりましたが、その娘さんが菓子を頂こうとすると
半分のお菓子を差し出され’これを食べていいよ”と発しられて、
やっと納得が、娘の為に残されていたのでした。
飛び入り参加を気にしておられたのでしょう。
それは、お母さんの分ですよと娘さんに言われ、残さず食べ、
お薄もきれいに吸いきっていただけました。
いつまでたっても子は子で、それが親心なのでしょう。
ふとしたことから人の『心』についても思いをいたしました。
昨日の薬師寺、第37回「玄奘三蔵会大祭」の白鳳伽藍西回廊に
設けられた野点席でのご奉仕で頂いた中の小さな紙に、
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『心』、薬師寺管主 村上太胤さんの筆で
下記のように記されておりました。
【私達が現在お唱えしている”般若心経”は玄奘三蔵によって
翻訳されたものです。その般若心経の心を高田好胤管長が
「かたよらないこころ こだわらないこころ
とらわれないこころ ひろくひろく もっとひろく」と
お説きになりました。
私たちはどうしても物事に執着し、自分の都合に良いように
振る舞ってしまいます。自分のことは一度置いておき、
広い心で廻りの方のことを想っていけるように修して
いければよいのではないでしょうか。】と
説明されています。
*『心 いかに生きたらいいか』高田好胤、徳間書店刊1969年
和上は戦後、薬師寺の伽藍復興のために全国をめぐり、
お写経勧進により100万巻のお写経を集められております。
広ーい心、みんながそうであるように・・・。