語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】リーダーの条件 ~ミルグラム実験と組織~

2010年09月08日 | 心理
 『戦争における「人殺し」の心理学』とは、ショッキングなタイトルだ。原題は“ON KILLING”とそっけないが、これはまたこれでショッキングである。
 だが、なかみは扇情的なものではなく、真摯な学術書である。
 著者デーヴ・グロスマンは、陸軍中佐。米国陸軍に23年間奉し、レンジャー部隊・落下傘部隊資格所得、ウエスト・ポイント陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授、アーカンソー州立大学軍事学教授を歴任後、研究執筆活動に入った。
 本書は、2010年に邦訳された『「戦争」の心理学』ともども、軍人、対テロ要員、警察官などによく読まれているらしい。

 本書第20章は、「権威者の要求」と題し、「ミルグラムと軍隊」の副題がつく。
 スタンレー・ミルグラムのいわゆる「アイヒマン実験」について、このブログでは権威に盲従しない者という観点からアプローチしたが、これは市民社会における市民の務めを念頭においていた。
 グロスマンは逆に、軍隊という市民社会から独立した軍隊(とは言い切れないと思うが、細かい議論はここでは略す)という組織の効率的運営の観点からミルグラムの実験を引く。

 グロスマンが注目するのは、白衣を着た実験者=権威者=命令者が被験者を操作するときの、操作しやすさの要因である。
 権威者の近接度、権威者への敬意度、権威者の要求の強度、権威者の正当性・・・・の4要因が挙げられている。戦闘環境にも当てはめることができるからだ。

(1)被験者に対する権威者の近接度
 第二次世界大戦中、指揮官が見ていて激励している間は全員が発砲するが、指揮官がその場を離れると発砲率はたちまち15~20%に低下した。

(2)権威者に対する殺人者の主観的な敬意度
 兵士に戦闘意欲をもたせる第一要因は、直属の上官に対する同一化である。みんなに認められ、尊敬される指揮官に比べると、未知の指揮官や信頼されていない指揮官は、戦闘の際、兵士から服従されにくい。

(3)権威者による殺人行動要求の強度
 ミライ村の女子ども集団を殺害するべく最初に命じたときにカリー中尉は、「どうすればいいのか、わかっているな」とだけ言ってその場を離れた。
 戻ってきた中尉は、尋ねた。「なぜ殺していないんだ」
 「殺せと言われた、とは思わなかったので」と、兵士は答えた。
 すると、カリーは言った。「殺せとは言ってない。生かしておくな、と言ったんだ」
 そして、自ら発砲しはじめた。兵士たちは、これに倣った。

(4)権威者の権威と要求の正当性
 権威が社会的に認められた正当な指揮官は、そうでない指揮官より影響力が大きい。
 また、正統的で合法な要求は、非合法または思いがけない要求より従いやすい。
 軍の将校は、ギャングの頭目や傭兵の指揮官とちがって、正統的な権威を背負っているから、兵士に非常に大きな影響力をおよぼすことができる。

 これ以上部下に犠牲を強いることはできない、と指揮官が感じたとき、敗北につながる究極の歯車がまわりはじめる。部下を犠牲にする度胸/意思が指揮官から消えたとき、彼の指揮する軍は敗北するのだ。
 他方、栄光の炎に包まれて、部下とともに全滅する道を選ぶ指揮官もいる。すみやかに、きれいさっぱり部下と一緒に死ねるなら、そして自分の行いを背負ってその後の人生を生きていかなくて済むならば、指揮官にとって、そのほうが多くの意味で楽なのだ。

 第一次世界大戦の<失われた大隊>は、指揮官の意志によって部隊が持ちこたえた名高い例である。
 第77師団に属するこの大隊は、攻撃中に本隊から切り離され、ドイツ軍に包囲された。彼らは何日間も戦いつづけた。食糧も弾薬も切れた。手当されないまま恐ろしい傷に苦しむ戦友や仲間に、生存者は囲まれていた。ドイツ軍は火炎放射器で焼き殺そうとしてきたが、指揮官は降伏しようとはしなかった。
 この大隊は、州軍師団の民兵からなる、寄せ集めの歩兵大隊でしかなかった。にもかかわらず、軍事史に燦然と輝く不滅の偉業をなしとげたのである。
 5日後、大隊は救出され、指揮官のホイットルーシー少佐は名誉勲章(軍人に与えられる最高の勲章)を授与された。

 ・・・・そうグロスマンは伝えたあと、次のように続けて、この章を締めくくる。
 「ここまではよく知られた話だ。だが、戦後まもなくホイットルーシーが自殺して果てたことを知る人は少ない」

【参考】デーヴ・グロスマン(安原和見訳)『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫、2004)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、貧富格差の拡大に経済政策は無対応 ~ニッポンの選択第29回~

2010年09月08日 | ●野口悠紀雄
(1)低所得世帯/非正規労働者の増加
 世帯所得の絶対数の変化をみると、1995年から2007年の間に、総世帯数は728万世帯増えた。増加世帯のうち8割の600万世帯は、年間所得300万円以下の世帯だ。この階層の世帯が、全世帯の3分の1(1,500万世帯)を占めるに至った。職業的には、非正規・パートタイム労働だと推定できる。単身なら最低賃金の150万円前後、夫婦とも非正規なら300万円程度の世帯が多いだろう。
 年間所得が300万円(月収25万円)以下だと、大都市では住宅を購入できない。この所得階層の世帯は、最低レベルの生活を余儀なくされている(病気・失業に対処する余裕がない)。
 低所得階層世帯の絶対数に比べると、生活保護受給世帯数は(増加してきたものの)少ない。
 ●生活保護世帯の推移:1960年代/50~60万世帯→1970年代/除々に増加して80万世帯近く→1980年代後半から減少→1992・93年/58万世帯まで減少(その後増加)→2005年/104万世帯(その後毎年3~4万世帯増加)→2009.12/130万世帯超

 低所得階層世帯の圧倒的部分は、生活保護を受給していない低賃金労働者によって構成されていると推定される。
 つまり、過去十余年間の変化は、低賃金労働者の増加である。そして、この傾向は非正規労働者の増加傾向とほぼ同じである。1990年代中頃以降の日本の雇用者の増加は、ほぼ非正規労働者の増加によって実現してきた。
 低所得世帯構成員を2人の非正規労働者と考えると、1990年代中頃から400万世帯ほど増えたことになる。最近にみた所得300万円未満世帯の3分の2程度は非正規労働者で構成されていると推定できる。なお、最近では、5,472万人の雇用者のうち、正規雇用者が3,386万人で、約3分の2を占め、非正規の雇用者が1,699万人で約3分の1となっている。
 ●正規雇用者数:1990年代前半まで/増加→1990年代中頃/3,800万人程度→1990年代後半から減少→最近/1980年代中頃とほぼ同水準(3,300万人程度)
 ●非正規労働者数:1980年代中頃/600万人程度(その後傾向的に増加)→1990年代中頃/1,000万人超→2003年/1,500万人超→2008年秋/1,800万人近く

(2)格差の固定
 豊かな人が減っているのは事実である。所得1,000万円以上では、各階層の世帯数が2割減少している(ひとつ下の階層にシフト)。しかし、この階層では、所得が100万円減ったところで10%未満の低下でしかなく、贅沢を減らす程度で対応できる。
 その半面、貧困階層に落ちこむと、子どもの教育が十分にできなくなる。ために、階級の固定化が生じる危険性がある。そして、格差が拡大するのだから、300万円未満の世帯が1,000万円以上になるチャンスはほとんど失われてしまっている。

 高度成長期には、社会全体が豊かになるだけではなく、貧困層が富裕層になる可能性も開けていた。夢のある社会とはそうしたものだ。
 閉鎖的な社会とは、社会全体が成長しないだけでなく、貧困と富裕の間の壁を越えることができなくなった社会である。

(3)経済政策の無策
 経済政策は、日本社会の構造的変化に対応していない。これが問題だ。
 (ア)民主党のマニフェストには、貧困社会への対処という問題意識が欠落している。高校無償化や子ども手当に所得制限がない。
 (イ)税制改革は、格差拡大の方向へ進もうとしている。資産所得は分離課税だし、法人税も減税しようとしている。
 (ウ)金融緩和や為替介入をおこなったところで、企業は助かるだろうが、低賃金労働者に福音がおよぶわけではない。

(4)非正規雇用者数増加の真因
 民主党が雇用確保の観点から非正規労働者に否定的な態度をとっているのは、見当違いだ。
 この規制は、労働者にとってかえって酷だ。深刻な問題に直面しているのは、正規労働者ではなく、組合の保護がおよばない非正規労働者だ。派遣が禁止されたら雇用そのものが消滅する。製造業の生産拠点の海外移転が進めば、雇用の総量はますます縮小するだろう。

 最近の雇用調整では、正規雇用者の減少率も、非正規労働者の減少率に近い水準となっている。
 だから、「非正規労働者は、雇用調整をしやすいから増えた」というのは俗説だ。
 より大きな要因は、社会保険料の雇用主負担だ。特に厚生年金保険料の雇用主負担は、賃金コストを引き上げる大きな要因になっている。
 新興国の工業化→低賃金労働による安価な製造業製品の増加→これに対抗するために賃金コストの引き下げが必要→その手段として社会保険料の雇用主負担の低い非正規労働者に頼った・・・・というのが実態だろう。

(5)日本経済全体の構造的変化
 現在日本がかかえる貧困問題、格差問題は、救貧対策で対応できない。対症療法で改善できるものもはない。
 1990年代後半以降の貧困の増加の問題は、日本経済全体の構造の問題としてとらえるべきものだ。
 日本の経済構造を、基本から見直すべきときにきているのである。 

【参考】野口悠紀雄「貧富格差の拡大に経済政策は無対応 ~ニッポンの選択第29回~」(「週刊東洋経済」2010年9月4日号所収)
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