『男のコラム』に収録の41編の議論は、いずれも一筋縄ではいかない。したたかで、しかもユーモアに満ちている。
たとえば『フランク・シナトラ』のばあい、シナトラさまからだ、と小柄で猪首の男が威張って持参した手紙全文の引用からはじまる。
シカゴ滞在中にシナトラが泊まるホテルのスイート・ルームの外に、24時間体制で警察の護衛がつくことになった。そのいきさつについて、ロイコがコラムを書いた。そのコラムに対する苦情・中傷の洪水である。
手紙にいわく・・・・、
第一、私のまわりにフランキー(チンピラ軍団)なるものなど存在しないことが君にはすぐわかったはずだ。
第二、私自身も私の秘書も私のボディガードも、警察の護衛を依頼した覚えはまったくない。そもそも私たちは、そんな必要性をちっとも感じていないのだ。私が、かつて酔払いだろうとなんだろうと、老人をぶん殴ったことがあるかどうかをはっきり立証してみたまえ。それができたら、君に10万ドルをあげよう。
そして、ごていねいにも、末尾につけくわえるのだ。手紙の写しを市長、警察署長、出版社主等に送った、と。 あからさまな脅しである。
ロイコは悠々と反撃する。
まず、その昔、ともにまだ若いころ、シナトラは私の英雄の一人だった、と回想する。この30年間私はシナトラをポップスの王様だと考えていた、、と持ち上げもする。こんな話をするのは、シナトラを批判することがいかに辛いかをわかってもらうためなのだ・・・・。
シナトラの品のない罵詈雑言の洪水に対して、公平な態度をしめし、愛情さえ吐露する。パンチを食らわせる直前の準備作業である。そして続ける。
もしも君が自分のまわりにはチンピラなどひとりもいないと言うのであれば、私はその言葉を素直に信じ、遺憾の意を表明したい。もちろんあの手紙を運んできたチンピラにも同じように遺憾の意を表明する・・・・。
事実がシナトラの言葉を裏切っている、というわけだ。痛烈な皮肉である。そしてダブル・パンチ。
君は自分から警察の護衛を依頼した覚えはないと言っているし、私もまたそれを信じたい。だが、念のために言うと、君が護衛を頼んだとは、私は一言も言っていない。ただ、君から依頼があった、と証言する警察署の広報官の言葉を引用したにすぎない。今のところ私としては、誰か政治家が君の機嫌を取ろうとして警官を派遣したのが真相だろう、と推定している。こんなことは、あのコラムを書く以前にいくらでも確かめることができたのだ。ところが、私が君のスイート・ルームに電話をかけるたびに、君の秘書が無愛想に電話を切ってしまうから、こんな羽目におちいった。インテリ気どりの女性秘書は、きっと君の好みではないだろうな・・・・。
駄目押しも強烈だ。
君の記事が載っているたくさんの新聞記事の切り抜きに目を通して見た。たしかに君は、年寄りの酔払いを殴ったことは一度もないようだね。君が殴った酔払いの大半は、老人と呼ぶには若すぎたようだ・・・・。
悪いのはどちらか。読者にとっては、一目瞭然だ。
見事な論争術、レトリックである。
第一、書いたことの根拠をしめし、自分のコラム、その主張を守っている。
第二、相手の論旨に沿うかのごとく見せつつ、その要点を整理することで、その論旨に含まれる矛盾をおのずから浮き彫りにさせている。
第三、相手の主張の一部(重要でない)を認めているふりをして、自分の主張の大部分(重要である)を強調する。
第四、守ると同時に、辛辣に攻める。しかも、批判される者自身さえおそらく苦笑するにちがいないユーモアをこめて。圧力には一歩もひかないで、痛烈に、遠慮なく反論する。
徒手空拳のコラムニストさえ、ここまで言ってのけることができるのだ。
沖縄県・尖閣諸島周辺で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件に対する日本政府の対応とは、えらい違いだ。
マイク・ロイコは、1932年生、1997年没。
そのコラム『わが酒飲み人生』によれば、13歳から19歳までシカゴの数々の酒場でバーテンダーとして働いた。人生を酒場で学んだらしい。高校中退後、教育らしい教育は受けていない。エリック・ホッファーもそうだが、独学の書き手である。ピューリッツァ賞受賞者で、そのコラムは全米250紙に掲載され、全米ナンバー・ワンのコラムニストに選ばれた。
ロイコは、コラムをつうじて闘った。悪、権力、官僚、欺瞞、「常識」、不条理に対して。
□マイク・ロイコ(井上一馬訳)『男のコラム -辛口ユーモア・コラム41-』(河出書房新社、1987)
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たとえば『フランク・シナトラ』のばあい、シナトラさまからだ、と小柄で猪首の男が威張って持参した手紙全文の引用からはじまる。
シカゴ滞在中にシナトラが泊まるホテルのスイート・ルームの外に、24時間体制で警察の護衛がつくことになった。そのいきさつについて、ロイコがコラムを書いた。そのコラムに対する苦情・中傷の洪水である。
手紙にいわく・・・・、
第一、私のまわりにフランキー(チンピラ軍団)なるものなど存在しないことが君にはすぐわかったはずだ。
第二、私自身も私の秘書も私のボディガードも、警察の護衛を依頼した覚えはまったくない。そもそも私たちは、そんな必要性をちっとも感じていないのだ。私が、かつて酔払いだろうとなんだろうと、老人をぶん殴ったことがあるかどうかをはっきり立証してみたまえ。それができたら、君に10万ドルをあげよう。
そして、ごていねいにも、末尾につけくわえるのだ。手紙の写しを市長、警察署長、出版社主等に送った、と。 あからさまな脅しである。
ロイコは悠々と反撃する。
まず、その昔、ともにまだ若いころ、シナトラは私の英雄の一人だった、と回想する。この30年間私はシナトラをポップスの王様だと考えていた、、と持ち上げもする。こんな話をするのは、シナトラを批判することがいかに辛いかをわかってもらうためなのだ・・・・。
シナトラの品のない罵詈雑言の洪水に対して、公平な態度をしめし、愛情さえ吐露する。パンチを食らわせる直前の準備作業である。そして続ける。
もしも君が自分のまわりにはチンピラなどひとりもいないと言うのであれば、私はその言葉を素直に信じ、遺憾の意を表明したい。もちろんあの手紙を運んできたチンピラにも同じように遺憾の意を表明する・・・・。
事実がシナトラの言葉を裏切っている、というわけだ。痛烈な皮肉である。そしてダブル・パンチ。
君は自分から警察の護衛を依頼した覚えはないと言っているし、私もまたそれを信じたい。だが、念のために言うと、君が護衛を頼んだとは、私は一言も言っていない。ただ、君から依頼があった、と証言する警察署の広報官の言葉を引用したにすぎない。今のところ私としては、誰か政治家が君の機嫌を取ろうとして警官を派遣したのが真相だろう、と推定している。こんなことは、あのコラムを書く以前にいくらでも確かめることができたのだ。ところが、私が君のスイート・ルームに電話をかけるたびに、君の秘書が無愛想に電話を切ってしまうから、こんな羽目におちいった。インテリ気どりの女性秘書は、きっと君の好みではないだろうな・・・・。
駄目押しも強烈だ。
君の記事が載っているたくさんの新聞記事の切り抜きに目を通して見た。たしかに君は、年寄りの酔払いを殴ったことは一度もないようだね。君が殴った酔払いの大半は、老人と呼ぶには若すぎたようだ・・・・。
悪いのはどちらか。読者にとっては、一目瞭然だ。
見事な論争術、レトリックである。
第一、書いたことの根拠をしめし、自分のコラム、その主張を守っている。
第二、相手の論旨に沿うかのごとく見せつつ、その要点を整理することで、その論旨に含まれる矛盾をおのずから浮き彫りにさせている。
第三、相手の主張の一部(重要でない)を認めているふりをして、自分の主張の大部分(重要である)を強調する。
第四、守ると同時に、辛辣に攻める。しかも、批判される者自身さえおそらく苦笑するにちがいないユーモアをこめて。圧力には一歩もひかないで、痛烈に、遠慮なく反論する。
徒手空拳のコラムニストさえ、ここまで言ってのけることができるのだ。
沖縄県・尖閣諸島周辺で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件に対する日本政府の対応とは、えらい違いだ。
マイク・ロイコは、1932年生、1997年没。
そのコラム『わが酒飲み人生』によれば、13歳から19歳までシカゴの数々の酒場でバーテンダーとして働いた。人生を酒場で学んだらしい。高校中退後、教育らしい教育は受けていない。エリック・ホッファーもそうだが、独学の書き手である。ピューリッツァ賞受賞者で、そのコラムは全米250紙に掲載され、全米ナンバー・ワンのコラムニストに選ばれた。
ロイコは、コラムをつうじて闘った。悪、権力、官僚、欺瞞、「常識」、不条理に対して。
□マイク・ロイコ(井上一馬訳)『男のコラム -辛口ユーモア・コラム41-』(河出書房新社、1987)
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