政治とカネは、古今東西、ある種の政治家につきまとう関係だ。
事は政治家に限らない。高級官僚と賄賂の関係は、古来、猫とマタタビの関係であった。
本書の主人公も、清濁あわせ飲む高級官僚の一人であり政治家である。
サミュエル・ピープスは、チャールズ2世の時代に生きた。海軍省書記官を振り出しに、海軍大臣まで昇りつめた。後に国会議員となる。
ここまでは、よくある立志伝の一人にすぎない。
ピープスを歴史の闇に埋もれた者たちと区別するのは、1660年から1669年までの10年間に記された克明な日記である。邦訳で全9巻(国文社)。
かかる膨大な日記から、年代順の変化に留意し、主な話題ごとにさわりを抜きだしたのが本書である。
引用された日記に著者のコメントがついているのだが、これがいささか辛辣なのだ。
たしかに、ピープスの鉄面皮ぶりを目の当たりにすると、政治家でも高級官吏でもない読者は、揶揄したくなる。
袖の下を頂戴すると、なんのかんのと屁理屈をつけて正当化している。しかし、金の受け渡しを余人に見られないように気を配っているから、後ろ暗いことをしているという自覚はあったのだ。
職務に関しては勤勉だったらしく、現場に出かけて生産地別の縄の強度を調べてまわったり、深夜まで残業している。
そつなく書類を整えておいたおかげで、議会の追求を上手に切り抜けた。勤勉は、身を守るのである。
要するに、ピープスは有能なテクノクラートで、出世したのもそれだけの理由があったわけだ。
国王のために力をつくすことと自分の懐を肥やすこととの間に矛盾をすこしも感じていない。国民のための政治を公言することと、自分の懐を肥やすこととの間にちっとも矛盾を感じない我が国の政治家によく似ている。
わが国の政治家と異なる点は、数々の浮気についてこまめに書いていることだ。猥雑きわまりないが、本人はむろん、自分の秘めたる日記を後世の日本人が読むなどとは思っていなかった。
奇観である。おぼこから有夫の婦人まで、とにかく手がはやかった。彼のほうにもそれなりに魅力があったのだろう。賄賂代わりに妻を差し出す御仁もいたらしく、賄賂たる彼女のほうも心得たもので、ピープスを相手に丁々発止の駆け引きをしている。
容易に予想されるように、ピープスはしまり屋であった。
当然、散財したい細君との間にすったもんだが起きた。
とはいえ、細君が悋気するだけのことをピープスはやらかしているのだから、細君の気をそらすためにピープスは大枚をはたいてダンス教師を雇ったりする。そして、こんどは自分がそのダンス教師を嫉妬して愚痴りまくるのだ。まことに喜劇と悲劇は紙一重である。
二人の間に子どもはなかった。細君を裏切りつづけていたピープスだが、彼なりに愛していたらしい。
日記には、私事のほか、職務上の保護者、同僚、金もうけ、ロンドンを襲ったペストや大火・・・・と、ピープスにとって気になる一切合切が記される。
これらの史料的価値を評価する人は評価しているが、本人はむろん、後世に残る価値なぞ念頭においていなかった。
書くことで、見聞した出来事を忘却から救い、あるいは、してくやったことの満足感を反芻し、そしておそらく不満や不安を解消して精神のバランスをとっていた気配である。ひとが日記を書く理由は、こんなものなのだ。
当時は大航海時代である。冒険者たちは死を賭して海外へ進出していった。その頃、ピープスのような能吏にして怪しからぬ人物が本国を動かしていたのである。
□臼田昭『ピープス氏の秘められた日記 -17世紀イギリス紳士の生活-』(岩波新書、1982)
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事は政治家に限らない。高級官僚と賄賂の関係は、古来、猫とマタタビの関係であった。
本書の主人公も、清濁あわせ飲む高級官僚の一人であり政治家である。
サミュエル・ピープスは、チャールズ2世の時代に生きた。海軍省書記官を振り出しに、海軍大臣まで昇りつめた。後に国会議員となる。
ここまでは、よくある立志伝の一人にすぎない。
ピープスを歴史の闇に埋もれた者たちと区別するのは、1660年から1669年までの10年間に記された克明な日記である。邦訳で全9巻(国文社)。
かかる膨大な日記から、年代順の変化に留意し、主な話題ごとにさわりを抜きだしたのが本書である。
引用された日記に著者のコメントがついているのだが、これがいささか辛辣なのだ。
たしかに、ピープスの鉄面皮ぶりを目の当たりにすると、政治家でも高級官吏でもない読者は、揶揄したくなる。
袖の下を頂戴すると、なんのかんのと屁理屈をつけて正当化している。しかし、金の受け渡しを余人に見られないように気を配っているから、後ろ暗いことをしているという自覚はあったのだ。
職務に関しては勤勉だったらしく、現場に出かけて生産地別の縄の強度を調べてまわったり、深夜まで残業している。
そつなく書類を整えておいたおかげで、議会の追求を上手に切り抜けた。勤勉は、身を守るのである。
要するに、ピープスは有能なテクノクラートで、出世したのもそれだけの理由があったわけだ。
国王のために力をつくすことと自分の懐を肥やすこととの間に矛盾をすこしも感じていない。国民のための政治を公言することと、自分の懐を肥やすこととの間にちっとも矛盾を感じない我が国の政治家によく似ている。
わが国の政治家と異なる点は、数々の浮気についてこまめに書いていることだ。猥雑きわまりないが、本人はむろん、自分の秘めたる日記を後世の日本人が読むなどとは思っていなかった。
奇観である。おぼこから有夫の婦人まで、とにかく手がはやかった。彼のほうにもそれなりに魅力があったのだろう。賄賂代わりに妻を差し出す御仁もいたらしく、賄賂たる彼女のほうも心得たもので、ピープスを相手に丁々発止の駆け引きをしている。
容易に予想されるように、ピープスはしまり屋であった。
当然、散財したい細君との間にすったもんだが起きた。
とはいえ、細君が悋気するだけのことをピープスはやらかしているのだから、細君の気をそらすためにピープスは大枚をはたいてダンス教師を雇ったりする。そして、こんどは自分がそのダンス教師を嫉妬して愚痴りまくるのだ。まことに喜劇と悲劇は紙一重である。
二人の間に子どもはなかった。細君を裏切りつづけていたピープスだが、彼なりに愛していたらしい。
日記には、私事のほか、職務上の保護者、同僚、金もうけ、ロンドンを襲ったペストや大火・・・・と、ピープスにとって気になる一切合切が記される。
これらの史料的価値を評価する人は評価しているが、本人はむろん、後世に残る価値なぞ念頭においていなかった。
書くことで、見聞した出来事を忘却から救い、あるいは、してくやったことの満足感を反芻し、そしておそらく不満や不安を解消して精神のバランスをとっていた気配である。ひとが日記を書く理由は、こんなものなのだ。
当時は大航海時代である。冒険者たちは死を賭して海外へ進出していった。その頃、ピープスのような能吏にして怪しからぬ人物が本国を動かしていたのである。
□臼田昭『ピープス氏の秘められた日記 -17世紀イギリス紳士の生活-』(岩波新書、1982)
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