語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

新刊書一読:野口悠紀雄『経済危機のルーツ』

2010年09月17日 | ●野口悠紀雄
 日本が舞台の『戦後日本経済史』(新潮選書、2008)に対して、本書は世界を舞台とする戦後経済史である。ただし、前者は戦後日本の経済全般に目配りしているが、本書はどういう経過をたどって経済危機が生じたか、という問題意識に貫かれている。そして、本書にとりあげられた論点は、その後の著述で理論的に展開される。
 その意味で、本書は雑誌に連載されている「「超」整理日記」ほかの論考、『日本を破滅から救うための経済学 再活性化に向けて、いまなすべきこと』(ダイヤモンド社、2010)や『世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか』(ダイヤモンド社、2010)の副読本だ。

 1990年代以降の世界経済の大変化をたどった後、「日本の失われた20年」の原因を整理して、著者は次のようにまとめる。

(1)冷戦終結と中国の工業化という大変化が生じた。これは、経済的な観点からすると、製造業の労働力急増と同じことであり、製造業を中心とする日本経済に本質的な影響を与えた。しかし、日本はこれに対応できなかった。

(2)金融とITの面で大変化が生じた。ITは新しい産業革命ともいえるほどの大変化を経済活動にもたらしたが、日本は対応できなかった。
 また、1980年代以降進展した新しい金融技術も、英米の経済活動を一変させた。しかし、これを受け入れることについても、日本は否定的態度をとり続けた。

(3)21世紀の世界においては、資本と人的資源に関して、新しいタイプのグローバリゼーションが進展している。しかし、日本はこれに対応できていない。これまで日本が行ってきたグローバリゼーションは、製造業の製品を輸出することだ。モノに限定したグローバリゼーションだ。

 この結果、「変革」に関する消極的な空気が一般化した。とりわけ深刻なのは、本来は未來を開く推進力となるべき企業が、変革の意欲を失ってしまったことだ。世界経済の大変化に目を閉ざし、従来のビジネスモデル継続に汲々とし、企業の存続だけを目的としている。
 なぜか。年功序列的な組織構造のため、過去に成功した人が決定権を握る場合が多いからだ。いったん組織のなかで実験を握ると、競争圧力から隔離されてしまうため、現状維持が最優先の目的になる。技術開発も、社会の要請に応えるというよりは、会社が従来のビジネスモデルを継続して生きのびるための手段としか見なされなくなるのだ。 
 金融・経済危機によって最大の打撃を受けたのは、製造業大国である日本なのであった・・・・。

 1970年代から今日まで過去を振り返るなかで、著者の青春がチラホラ姿をみせる。一種知的自伝の趣をみせる。この点が、他の著書にはない魅力である。
 たとえば、1970年代を語る第1章において、映画『2010年宇宙の旅』の巨大コンピュータHALにふれ、「当時は、未來のコンピュータは、このように巨大な機械になると考えられていたのだ(なんたる見当違い!)」と驚く。
 あるいは、1980年代を語る第2章において、東西ベルリンの境界の地雷原を撮影したフィルムをポケットに入れたまま検問所を通る際、震え上がった体験を綴る。
 いずれも、米国あるいはドイツの経済を語る際のエピソードにすぎないが、自分の体験に裏打ちされた経済史という読後感を残す。著者の文章が読みやすい理由のひとつだろう。

□野口悠紀雄『経済危機のルーツ ~モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか~』(東洋経済新聞社、2010)
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