2010年9月、加藤周一自選集全10巻が完結した。第10巻(1999~2008)は、第9巻までと異なり、全巻の収録著作索引、年代順の著作目録、外国語訳著作一覧が巻末につく。
年代順の著作目録は、117ページにわたる詳しさだ。ちなみに、最初の著作は1936年12月に発表された映画評「ゴルゴダの丘」である。
目録にしたがい、年代順に著作の表題を追ってみると、著作の大部分は第1期もしくは第2期の著作集(2010年9月完結)、または自選集全10巻に収録されている。
しかし、たとえばコラム集『言葉と人間』は一部しか著作集に収録されていない。したがって、著作集および自選集を読みつくしても、加藤周一の全貌は明らかにならない。
全貌は明らかにならないとしても、第1期もしくは第2期の著作集、または自選集に目をとおせば、加藤の議論の要点は明らかになる。
たとえば自選集第10巻に所収の「情報源としてのTV」。
TVにおける一般的な情報提供の機能を三つあげる。第一、優先順位。第二、中立公正主義。第三、日本語。
第二点について、「両極端の意見を足して二で割れば公正な意見が得られるとは限らない」。例として、かつてヨーロッパにあったユダヤ人みな殺し説と差別反対論を挙げ、両者の中間、「殺さぬ程度に差別すべしという議論が公正でないのは、あきらかだろう」。新聞・雑誌・ラジオ・TV放送は、中間説のみを報道するのではなく、「多数意見と共に少数意見の両端を併記すべきだろう、と私は考える」。異なる意見の併記だけではなく、「特定の場合には、一方の意見の塁に拠って戦うべき状況もあり得る」。特定の場合とは、言論の自由の危機である・・・・。
大衆報道機関の「中間説」の欺瞞、欺瞞というのが言い過ぎであるならば考え不足を指摘し、さらに特定の状況においては特定の行動があるとも指摘する。
加藤に親しんだ人は、「中間説」にしても「特定の状況」にしても、その議論の構造はおなじみだろう。
初めて加藤に接する人は、ここから公正さとは何か、あるいは一般と特殊について一考する機会となる。
エリック・ホッファーにとって、知識人は労働に従事しないばかりか、労働する人を言葉によって操作、管理、支配しようとする胡乱な存在にすぎなかった。
加藤は知識人だが、ホッファーが激しく反発した知識人とは異なる型の知識人だ。
第一に、加藤は医師として出発した。医師は工場労働者とは異なるが、言葉によって操作、管理、支配しようとする職業ではない。そして加藤は、文筆をもっぱらにするようになってからも、医業に対する関心は薄れなかった。森鴎外、斎藤茂吉、木下杢太郎を終生の課題としたのも、こうした関心の延長上にある。
第二に、加藤の主な関心は「世界を理解する」ところにあり、「理解」を言葉にあらわした結果ひとを動かすことになっても、それはあくまで結果にすぎなかった。「九条の会」についても、基本的には同じだと思う。平和について、加藤は加藤の理解を語り、しかも精力的に語ったが、ホッファーのいわゆる操作、管理、支配の欲求は悉皆なかった。
芸術について政治について、加藤周一は語った。
権力からほど遠いところで思索し、語った。
一人の人間として、一個の市民として見、聞き、思索し、語った。
つまるところ、加藤が遺した最大のものは、徒手空拳の個人が、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で考える術だろう、と思う。
2期にわたる著作集および自選集は、加藤の著作の全編を網羅するものではないが、網羅されていなくても加藤の精神を汲む読者は困らないはずだ。
【参考】鷲巣力編『加藤周一自選集 1999~2008』第10巻、岩波書店、2010
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年代順の著作目録は、117ページにわたる詳しさだ。ちなみに、最初の著作は1936年12月に発表された映画評「ゴルゴダの丘」である。
目録にしたがい、年代順に著作の表題を追ってみると、著作の大部分は第1期もしくは第2期の著作集(2010年9月完結)、または自選集全10巻に収録されている。
しかし、たとえばコラム集『言葉と人間』は一部しか著作集に収録されていない。したがって、著作集および自選集を読みつくしても、加藤周一の全貌は明らかにならない。
全貌は明らかにならないとしても、第1期もしくは第2期の著作集、または自選集に目をとおせば、加藤の議論の要点は明らかになる。
たとえば自選集第10巻に所収の「情報源としてのTV」。
TVにおける一般的な情報提供の機能を三つあげる。第一、優先順位。第二、中立公正主義。第三、日本語。
第二点について、「両極端の意見を足して二で割れば公正な意見が得られるとは限らない」。例として、かつてヨーロッパにあったユダヤ人みな殺し説と差別反対論を挙げ、両者の中間、「殺さぬ程度に差別すべしという議論が公正でないのは、あきらかだろう」。新聞・雑誌・ラジオ・TV放送は、中間説のみを報道するのではなく、「多数意見と共に少数意見の両端を併記すべきだろう、と私は考える」。異なる意見の併記だけではなく、「特定の場合には、一方の意見の塁に拠って戦うべき状況もあり得る」。特定の場合とは、言論の自由の危機である・・・・。
大衆報道機関の「中間説」の欺瞞、欺瞞というのが言い過ぎであるならば考え不足を指摘し、さらに特定の状況においては特定の行動があるとも指摘する。
加藤に親しんだ人は、「中間説」にしても「特定の状況」にしても、その議論の構造はおなじみだろう。
初めて加藤に接する人は、ここから公正さとは何か、あるいは一般と特殊について一考する機会となる。
エリック・ホッファーにとって、知識人は労働に従事しないばかりか、労働する人を言葉によって操作、管理、支配しようとする胡乱な存在にすぎなかった。
加藤は知識人だが、ホッファーが激しく反発した知識人とは異なる型の知識人だ。
第一に、加藤は医師として出発した。医師は工場労働者とは異なるが、言葉によって操作、管理、支配しようとする職業ではない。そして加藤は、文筆をもっぱらにするようになってからも、医業に対する関心は薄れなかった。森鴎外、斎藤茂吉、木下杢太郎を終生の課題としたのも、こうした関心の延長上にある。
第二に、加藤の主な関心は「世界を理解する」ところにあり、「理解」を言葉にあらわした結果ひとを動かすことになっても、それはあくまで結果にすぎなかった。「九条の会」についても、基本的には同じだと思う。平和について、加藤は加藤の理解を語り、しかも精力的に語ったが、ホッファーのいわゆる操作、管理、支配の欲求は悉皆なかった。
芸術について政治について、加藤周一は語った。
権力からほど遠いところで思索し、語った。
一人の人間として、一個の市民として見、聞き、思索し、語った。
つまるところ、加藤が遺した最大のものは、徒手空拳の個人が、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で考える術だろう、と思う。
2期にわたる著作集および自選集は、加藤の著作の全編を網羅するものではないが、網羅されていなくても加藤の精神を汲む読者は困らないはずだ。
【参考】鷲巣力編『加藤周一自選集 1999~2008』第10巻、岩波書店、2010
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