●堺屋太一「三度目の『敗戦』を日本新生の機会とせよ」
災害対策には、救助、救済、復旧、復興、振興までの5段階がある。
救助の段階は過ぎ、救済の段階に入った。今後は、物資の調達、分配、輸送が重要になり、ますます全体指揮の司令塔が必要だ。
復旧から復興の段階に進むと、生活の安定、産業経済、文化楽しみの三つをどう均衡させるかが難しい。被災1ヵ月を過ぎると、この配分が大事になる。「自粛不況」なっては、生活の安定も未來への希望も失われてしまう。
三つの均衡を保つには、「これから必要なのは、世間の風にも省庁の権限や慣例にも捉われない長期総合視点での司令塔である」。
今回、「戦後日本をそのまま再現しようとするのでは、日本の新生はあり得ない。この災害をばねに、新しい発想と仕組みを持った日本を創造すべきである」。
(1)まずやるべきは、戦後日本をリードしてきた官僚主導・業界協調の体制の否定だ。真に創造的自由のある体制を築くことだ。「それにはまず、官僚を有資格なら出世する『身分』から、有能有志の者が適職に就く『職業』に変えることだ。適任者が適所に就いてこそ、この国の発展はあり得る」
(2)外国を恐れぬ心理と情況を作ることだ。
(3)東京一極集中の形を地域主導型の道州制に変えることだ。経済復興を口実に、権限と財源で官僚たちが一段と地方を締めあげ、疲弊させるのは避けなければならない。資金援助と権限的拘束とは別もの、地域の実体こそ大切だ。
(4)好老文化、高齢者が誇りと楽しみを持って生きられる税制や家族制度に変えることだ。高齢者が誇り高く楽しめる世の中にすれば、この国には巨大な需要と新鮮な文化が生じる。「今こそ、日本が高齢化世界をリードする『好老文化』を創る好機である」
●曽根綾子「超法規の世界」
原発が機能しなくなると電力は不足する。一時的にではあるが、民主主義の機能も停止せざるをえない。
「一時的民主主義の停止が起きると、そこでは暫定的にだが超法規的な支配の必要性が出て来る」
若い人ほど、超法規という状態に対処しきれていない。「記者会見の場から聞こえて来る若いマスコミ人の質問の愚かさは聞くに耐えなかった。とにかく現代の人は、マニュアルや法規がないと何とも思考が動かないのだ」
「どうして孤立した被災者に初期から空中投下(エアードロップ)という手段で、食物、水、布団、薬、使い捨てカイロなどを届けなかったのか。重機不足の場合には、廃材はその場で、暖をとるためや炊事用の燃料に使ってどんどん利用できたはずだ」
●佐野眞一「精神の瓦礫」
寺田寅彦は言った。
危機に臨んで最も大切なのは、「怖がりすぎる」ことでも、「怖がらない」ことでもなく、「正当に怖がる精神だ」。
●池内恵「復興期の精神」
「東京に寄り集まって、本社にしがみついていないと出世できない会社や組織はつぶれてしまえばいい。始終顔を突き合わせて、同質化圧力をかけ合っているから、良い知恵が出ないのだ。個人と企業が自らの知恵と労力を絞って全国各地に、世界各国に資産と活動の拠点を分散しておけば、東京に電気が来ない、放射性物質が来る、となっても困ることはない」
「国内の雇用を守って競争に敗れるのではなく、海外に出て日本企業を動かしていける日本人を飛躍的に増やすことだ」
●佐々淳行「統一地方選で民主党に『天罰』を」
「福島、宮城の地方自治組織が大津波で壊滅した今日、『災害対策基本法』の『経済戒厳令』とよはれる、総理直率の『緊急災害対策本部』の設置は誤りだった。総理に権限を集中すると総理の無能ぶりが拡大されてしまう。自衛隊、警察、消防、海保を主軸とする『安全保障会議設置法』による官房長官指揮の国家安全保障体制を、今からでも遅くない、直ちに軌道修正することを、国民として強く要求すべし」
●香山リカ「がんばりすぎてはいけない」
震災が発生する前から、日本は山積みする問題で息切れ状態、国家的規模のうつ病に陥っていた。負けじ魂に火がつき、力が戻ってきたかのような「自分ができることをしよう」と奮い立つ人たちは、「生命の危機に瀬したときに生きものの見せる一過性の反応である可能性が高い」。
震災前には、振り絞れる力は、それほど残っていなかったはずだ。
「今回の震災では、テレビからの映像、ツイッターなどで流される情報の量は、明らかに人間の処理能力を超えていた。この過剰な映像、情報により、被災地以外の人々も、二次災害とも言うべき心のダメージを負っていることは間違いない。さらに原発からの放射能という“目に見えない敵"への不安ほど、人の心にとってストレスになるものはない」
「がんばり続けるためにも、がんばりすぎてはいけない」
●猪瀬直樹「『日常性が終わった』」
「明治時代は国難をいかに乗り切るかという大きなテーマのなかでたくさんの個人の小さな葛藤が生まれた。復旧そして復興は、個々の日本人がどういう新しい公共を築くか、ヴィジョンと倫理が試されているのだと思う。犠牲者のためにも、ここは失敗できない。政治家が信頼できないなら、技術で、芸術で、あるいは平凡に見えるかもしれないそれぞれの持ち場で責任を負うことである」
●板東眞理子「シニア層よ/心意気を見せよう」
「この際、重要なのは単に元に戻す復興でなく、ビジョンをもって21世紀のあたらしい地域の構築に取り組むことである。たとえば限界集落の高齢者を思いきって都市に集住させ、福祉・医療を充実させる『21世紀地域再生計画』を立てるとか、新しい支援社会の仕組みを考えなければならない」
●イビチャ・オシム「私も日本という家族の一員」
「人生はこれからも続く。新しい人生を日本はこれから歩めばいい。サッカーでもそうだろう。試合に負けるのは人生の終わりではない。その後も人生は続く。だからこそサッカーは悪くないといえる。敗北はカタストロフだが、それを受け入れて生きながら明日の試合の準備をする。そして勝つこともできる」
●勝間和代「『復旧』でなく/『復興』を」
一つ目に、「復興」は破壊された建物を元に戻すだけの「復旧」ではない。
「二つ目に、地震や津波によって破壊されたのは建物だけではなく、その土地の人々のつながりや社会的なネットワークも失われていることを忘れてはいけません。復興事業に被災者など地元の人々を雇用することで、復興後も自立していける経済的な基盤を作る。それが、職業を通じた人的ネットワークを再構築するための起爆剤になります」
以上、「われらは何をなすべきか ~叡智結集41人~」(「文藝春秋」2011年5月号)に拠る。
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災害対策には、救助、救済、復旧、復興、振興までの5段階がある。
救助の段階は過ぎ、救済の段階に入った。今後は、物資の調達、分配、輸送が重要になり、ますます全体指揮の司令塔が必要だ。
復旧から復興の段階に進むと、生活の安定、産業経済、文化楽しみの三つをどう均衡させるかが難しい。被災1ヵ月を過ぎると、この配分が大事になる。「自粛不況」なっては、生活の安定も未來への希望も失われてしまう。
三つの均衡を保つには、「これから必要なのは、世間の風にも省庁の権限や慣例にも捉われない長期総合視点での司令塔である」。
今回、「戦後日本をそのまま再現しようとするのでは、日本の新生はあり得ない。この災害をばねに、新しい発想と仕組みを持った日本を創造すべきである」。
(1)まずやるべきは、戦後日本をリードしてきた官僚主導・業界協調の体制の否定だ。真に創造的自由のある体制を築くことだ。「それにはまず、官僚を有資格なら出世する『身分』から、有能有志の者が適職に就く『職業』に変えることだ。適任者が適所に就いてこそ、この国の発展はあり得る」
(2)外国を恐れぬ心理と情況を作ることだ。
(3)東京一極集中の形を地域主導型の道州制に変えることだ。経済復興を口実に、権限と財源で官僚たちが一段と地方を締めあげ、疲弊させるのは避けなければならない。資金援助と権限的拘束とは別もの、地域の実体こそ大切だ。
(4)好老文化、高齢者が誇りと楽しみを持って生きられる税制や家族制度に変えることだ。高齢者が誇り高く楽しめる世の中にすれば、この国には巨大な需要と新鮮な文化が生じる。「今こそ、日本が高齢化世界をリードする『好老文化』を創る好機である」
●曽根綾子「超法規の世界」
原発が機能しなくなると電力は不足する。一時的にではあるが、民主主義の機能も停止せざるをえない。
「一時的民主主義の停止が起きると、そこでは暫定的にだが超法規的な支配の必要性が出て来る」
若い人ほど、超法規という状態に対処しきれていない。「記者会見の場から聞こえて来る若いマスコミ人の質問の愚かさは聞くに耐えなかった。とにかく現代の人は、マニュアルや法規がないと何とも思考が動かないのだ」
「どうして孤立した被災者に初期から空中投下(エアードロップ)という手段で、食物、水、布団、薬、使い捨てカイロなどを届けなかったのか。重機不足の場合には、廃材はその場で、暖をとるためや炊事用の燃料に使ってどんどん利用できたはずだ」
●佐野眞一「精神の瓦礫」
寺田寅彦は言った。
危機に臨んで最も大切なのは、「怖がりすぎる」ことでも、「怖がらない」ことでもなく、「正当に怖がる精神だ」。
●池内恵「復興期の精神」
「東京に寄り集まって、本社にしがみついていないと出世できない会社や組織はつぶれてしまえばいい。始終顔を突き合わせて、同質化圧力をかけ合っているから、良い知恵が出ないのだ。個人と企業が自らの知恵と労力を絞って全国各地に、世界各国に資産と活動の拠点を分散しておけば、東京に電気が来ない、放射性物質が来る、となっても困ることはない」
「国内の雇用を守って競争に敗れるのではなく、海外に出て日本企業を動かしていける日本人を飛躍的に増やすことだ」
●佐々淳行「統一地方選で民主党に『天罰』を」
「福島、宮城の地方自治組織が大津波で壊滅した今日、『災害対策基本法』の『経済戒厳令』とよはれる、総理直率の『緊急災害対策本部』の設置は誤りだった。総理に権限を集中すると総理の無能ぶりが拡大されてしまう。自衛隊、警察、消防、海保を主軸とする『安全保障会議設置法』による官房長官指揮の国家安全保障体制を、今からでも遅くない、直ちに軌道修正することを、国民として強く要求すべし」
●香山リカ「がんばりすぎてはいけない」
震災が発生する前から、日本は山積みする問題で息切れ状態、国家的規模のうつ病に陥っていた。負けじ魂に火がつき、力が戻ってきたかのような「自分ができることをしよう」と奮い立つ人たちは、「生命の危機に瀬したときに生きものの見せる一過性の反応である可能性が高い」。
震災前には、振り絞れる力は、それほど残っていなかったはずだ。
「今回の震災では、テレビからの映像、ツイッターなどで流される情報の量は、明らかに人間の処理能力を超えていた。この過剰な映像、情報により、被災地以外の人々も、二次災害とも言うべき心のダメージを負っていることは間違いない。さらに原発からの放射能という“目に見えない敵"への不安ほど、人の心にとってストレスになるものはない」
「がんばり続けるためにも、がんばりすぎてはいけない」
●猪瀬直樹「『日常性が終わった』」
「明治時代は国難をいかに乗り切るかという大きなテーマのなかでたくさんの個人の小さな葛藤が生まれた。復旧そして復興は、個々の日本人がどういう新しい公共を築くか、ヴィジョンと倫理が試されているのだと思う。犠牲者のためにも、ここは失敗できない。政治家が信頼できないなら、技術で、芸術で、あるいは平凡に見えるかもしれないそれぞれの持ち場で責任を負うことである」
●板東眞理子「シニア層よ/心意気を見せよう」
「この際、重要なのは単に元に戻す復興でなく、ビジョンをもって21世紀のあたらしい地域の構築に取り組むことである。たとえば限界集落の高齢者を思いきって都市に集住させ、福祉・医療を充実させる『21世紀地域再生計画』を立てるとか、新しい支援社会の仕組みを考えなければならない」
●イビチャ・オシム「私も日本という家族の一員」
「人生はこれからも続く。新しい人生を日本はこれから歩めばいい。サッカーでもそうだろう。試合に負けるのは人生の終わりではない。その後も人生は続く。だからこそサッカーは悪くないといえる。敗北はカタストロフだが、それを受け入れて生きながら明日の試合の準備をする。そして勝つこともできる」
●勝間和代「『復旧』でなく/『復興』を」
一つ目に、「復興」は破壊された建物を元に戻すだけの「復旧」ではない。
「二つ目に、地震や津波によって破壊されたのは建物だけではなく、その土地の人々のつながりや社会的なネットワークも失われていることを忘れてはいけません。復興事業に被災者など地元の人々を雇用することで、復興後も自立していける経済的な基盤を作る。それが、職業を通じた人的ネットワークを再構築するための起爆剤になります」
以上、「われらは何をなすべきか ~叡智結集41人~」(「文藝春秋」2011年5月号)に拠る。
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