語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】もう一つの海洋汚染 ~PCBとダイオキシン~

2011年04月22日 | 震災・原発事故
 放射性物質に加えてもう一つ、世界中が注視している海の汚染がある。

 (a)PCB(ポリ塩化ビフェニール)
 PCBは、通電しにくい絶縁性があり、燃えにくいから変圧器などに幅広く使われてきた。しかし、発ガン性があり、皮膚障害、内臓障害、ホルモン異常を引き起こす。カネミ油症の原因物質の一つだ。その毒性が社会問題化して、生産中止(72年)。第1種特定化学物質に指定されて(74年)、使用は原則中止となった。
 ところが、田辺信介・愛媛大学沿岸環境科学研究センター教授によれば、電力会社や事業者が保管している変圧器などの電気機器が海に流された可能性が高い。PCB処理に係る特別措置法が制定され(01年)、PCB廃棄物の処理施設が作られて順次無公害化処理が進められていたのだが、その最中に津波が襲ったのだ。
 PCBも食物連鎖を通して生物体内に濃縮蓄積しやすい。
 環境省は、3月28日、PCBを含む変圧器などが流出している恐れがあるとして、被災自治体に実態把握を求める通知を流した。
 PCBを保管する事業者は、保管状況などを自治体に届け出る義務がある。自治体は保管状況を把握している。しかし、立入りできない場所があるし、保管状況のデータを失った自治体もある。今のところ、環境省廃棄物・リサイクル対策部には実態はつかめてない。

 (b)ダイオキシン
 このたびの震災で倒壊した家屋やビルなど産業廃棄物は、宮城・岩手・福島の3県で2,500万トンにのぼる(環境省推計)。全国の一般廃棄物排出の半年分だ。
 これだけ大量の廃棄物を燃やす高温の焼却炉は足りない。海水に洗われ、塩分を含んだ木材を燃やすと、猛毒のダイオキシンが大量に発生する恐れがある。

 田辺教授のもとには、世界各地からPCBやダイオキシンの流出を危惧するメールが殺到している。
 地球規模のもう一つのフクシマ問題に対処するべく世界の英知を集めるためには、「情報公開、情報発信が欠かせません」(田辺教授)。 

 以上、藤後野里子「もう一つの汚染 世界が懸念するPCBとダイオキシン」(「サンデー毎日」2011年5月1日号)に拠る。
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【震災】復興ナショナリズムの危険性 ~香山リカの「こころの復興」で大切なこと~

2011年04月22日 | 震災・原発事故
 いま「復興ナショナリズム」とでも言うべき風潮が蔓延している。たしかに被災地の復興が急がれるが、被災者にとっての復興とは、元の生活を取り戻すことだ。そうした切実な思いが、復興ナショナリズムによって忘れ去られてしまわないか。
 「われわれは日本人なんだから一緒に頑張ろうぜ」という雰囲気が強まり過ぎている点も疑問だ。
 もちろん、緊急時にはバラバラではいけない。短くてインパクトのある「一緒になって」「一丸となって」という言葉を使うしかない、という事情はある。しかし、21世紀に生きる私たちは、どこか相対化しておかないと間違った方向に進んでしまう恐れがある。全員が一斉に一つの方向に進んでいると、思わぬ方向に向かわないとも限らない。原発の問題がこじれ、仮に国際社会から総スカンを食った場合に、意地になって「日本だけでやっていく」といった考えに陥って暴走しかねない。

 現在の状況は、日本に住む人にとって不安なことばかりだ。人間はしかし、究極の不安が襲ってきたとき、高揚状態になることがある。たとえば癌を宣告された患者の場合だ。もちろんショックを受ける人が多いが、なかには何事もなかったかのように振る舞ったり、落ちこまずに「癌なんかに負けるか」と強い意思を見せたりする。癌宣告後、新しいビジネスを立ち上げると口にする人もいる。
 非常事態に直面し、迫り来る恐怖や不安に向き合うのを避けるための反動、これを精神医学では「葬式躁病」と呼ぶ。身内や親しい人が亡くなったとき、葬式のときにテンションが異様に高くなってしまうのだ。高揚することで恐怖や不安や悲しみに直面するのを避けるのだ。人間の防衛反応の一つだ。
 こうした高揚感は防衛反応だ、ということを認識しておかないで、本当に元気だと思ってしまうと、あとでしっぺ返しが来る。
 震災前の日本経済は、デフレ不況に喘いでいた。回復の糸口さえ探しあぐねていたはずだ。それなのに「いまこそ奇跡の復興だ」「乗り越えられる」といった復興ナショナリズムは、葬式躁病的な反応を示している可能性がある。

 少子高齢化の日本がデフレ不況を脱し、高度成長を成し遂げて中国を抜くなどということは、現実にはあり得ない。しかし、リーダーたる日本の政治家は、それはあり得ないから違う方向を目指そう、とは言わないで、逆に実現可能性の低い経済成長戦略を打ち出してきた。国民を安心させ、現実から目をそむけさせるよう仕向けてきた。
 誰がどう考えても、震災によって経済が悪化するのは明白だ。この事態のなかで「経済はまだ大丈夫。いまこそチャンス」などという発想は、かえって危険だ。
 医療の世界では、患者にバッドニュースでも告知するのが常識になりつつある。患者にとってどれだけ辛い情報でもきちんと伝え、患者も納得の上で治療を進めるのだ。真実を伝えたとき患者は混乱したとしても、時間や周囲のサポートが助けとなり、それなりに受け入れる。ごまかしからは、何も生まれないし、始まらない。
 政治的リーダーには、悪いことも伝える役割がある。国民はまやかしを聞きたくない。
 もちろん、悪い現実を簡単に受け入れられるほど人は強くない。混乱し、不安になるのは当然だ。そのため、精神の安定を保つためには、一時的にも現実逃避が必要だ。現実を直視するのは辛い。現実が辛ければ、現実逃避が自分を守るために有効だが、その後は現実と向き合うことがどうしても必要になる。時間をかけても、後回しにしてもいいが、いつかそれと向き合うことになる覚悟がいる。

 決して無理をする必要はないが、震災前からやってきたことを継続するのは重要だ。寝る前に1時間読書をする習慣のあった人なら、こんなときでもそれを続ける。日頃の日常生活を無理せず自分の意思とペースで営んでいた人ほど、大きな出来事があっても、日常の営みを続けられるものだ。
 人間は、マイナーチェンジは可能だ。時間をかけて次第に変わることはできる。しかし、一つの出来事で人格が入れ替わるほどの変化があると、とても危険だ。人格の激変は病的だ。
 同じニュースを見ても、いろいろな反応を示す人がいるのが健全な社会だ。義援金を出さないでも、ボランティアに行かなくても、人それぞれ出番はいずれ必ず訪れる。その時のためにいまは力を蓄えておいていいし、みんなが疲れきってしまったときに大きな力を発揮できるかもしれない。いまは自分のために時間を使って将来に備える、という選択は決して悪いことではない。

 以上、香山リカ「大きな出来事があったからといって人は急に変わらない ~香山リカの『こころの復興』で大切なこと【第3回】 2011年4月19日~」(DIAMOND online)に拠る。
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