「免震棟」は、福島第一原発1号機の北西にある。窓は鉛で覆われ、空調も高精度のフィルターが完備している。
免震棟には、東電、協力企業、原子炉メーカー・・・・の社員300人以上が集結し、高濃度の放射線が漂うなか、復旧へ全力を傾けている。
4月初め、東電は、たまり水の処理がやっと進み始めたことを公表した。原子炉が安定して冷却できる作業工程の、大きな第一歩だ。
さらに、窒素を格納容器に注入する作業も始まった。原子炉が最悪の事態に陥ることを防ぐ措置だ。1号機から開始された。冷却水が不足して、放射性物質が詰めこまれた燃料棒の半分以上が露出し、高熱を放って破損。そこから発生した水素と酸素の濃度が高まっている、と目されたからだ。
そして、枝野幸男官房長は、水素爆発の可能性を限りなく零に近づけるために窒素ガスを注入する、と国民に告げた。予防的措置であり、リスクは低く、周辺の住民の安全にとって危険はない、と。
だが、4月4日から数日間、東電と原発現地対策本部が置かれた免震棟との間で繰り広げられた緊迫したやりとりは、国民には知らされていない。
免震棟の責任者は、福島第一原発の吉田昌郎所長だ。本社からの無理難題に耐え、時には毅然と対応するなど、評価は高い。
本社から、朝夕2回、テレビ会議によって指示が下りる。連日連夜、必死の協議が続いてきた。日ごと新たに発生する「想定外」の事態に対応するには、一糸乱れぬ意思の疎通が必要なのだ。だが、4月4日、暗転した。
その日、いつもどおり淡々としたやりとりから始まった。
先に口を開いた吉田所長は、5号機の雨水のたまり場の水を捨てるべきだ、と提案した。5号機の建屋に亀裂があれば、雨水が入って将来やっかいなことになる・・・・。
その直後、吉田所長の口調が変化した。こちらにがんばれ、がんばれ、と言うが、長期的なことは、そっちでちゃんと考えてほしい・・・・。
さらに吉田所長は対策統合本部に語りかけた。
「窒素封入だけど、本当にやると?」
東電幹部は即座に答えた。いちはやく1号機に実施しないと。NRC(米国原子力規制委員会)もそう強く主張している。イチエフ(福島第一原発)としては急ぎ準備を開始してくれ・・・・。
吉田所長は反論し、激高した。窒素封入の必要性はわかるし、将来的にはするべきだが、それは今じゃない。今、やっと均衡が保たれている。一定の安定状態が可能になった。微妙な均衡、安定だ。にもかかわらず、予想もつかないことをやると、それこそ大きなリスクとなる・・・・
現場チームの初めての“反乱”だった。
翌日のテレビ会議で、対策統合本部に足を運んだ経産省幹部は、ディスプレイを見つめて声を失った。サングラスをした吉田所長が、黙ってこちらを睨みつけていた。
東電側から、窒素封入の話がふたたび持ちだされた。マイクを握った吉田所長は、声をはりあげた。格納容器に損傷があったらどうする? 水素爆発の危険性は冒せない。爆発の危険性があるのに、スタッフを現場に行かせざるをえない。
しかもだ、と吉田所長の声は大きくなった。窒素封入は微妙かつ絶妙な技術的作業が要求される。低めに注入しても、やはり空気が入ってくるからだ。そのたびにスタッフを現場へ行かせざるをえない。それでなくとも、この作業は事実上ベントするのも同じ。リスクが余りにも高すぎる・・・・。
窒素封入によって押し出された放射性物質を含むガスが放出され、スタッフたちを襲う危険性を主張したのだ。
東電本社の技術者たちはしかし、専門用語を怒濤のように繰り出し、吉田所長を説得し始めた。「問題は最初だけです。それさえすぎれば--」
その言葉に、経産省幹部はゾッとした。聞いていないぞ、窒素封入にそんなリスクがあるなんて。
吉田所長は、再び乱暴にマイクを握った。表情は、さらに一変していた。「だから、そんな危険なところにスタッフたちを行かせられない!」
そして、決定的な言葉を発した。「それでも窒素封入をやれと言うなら、オレたちは、この免震棟から一歩も出ない! ここで見ている!」
「本社はいつも、がんばれ、がんばれ、と言うだけだ!」
そう吐き捨てた吉田所長は、いきなりマイクを机の上に叩きつけ、怒鳴った。「もう、やってられねえっ!」
会議室は沈黙した。
経産省幹部は、この事態を実は予想していた。それまでにも免震棟からの質問に対して、対策統合本部の技術者たちが専門用語だけを繰り返し、答を出さないことに、吉田所長が苛立ったことは一度や二度ではない。
ある時、対策統合本部で東電側の技術者を仕切る武黒一郎・国際原子力開発社長が、技術者を叱ったことがある。「今の説明では、イチエフ(福島第一原発免震棟側)の質問の答えになっていない!」・・・・技術者が言いかえると、「それも答えになっていない」と、さらに訂正を求めた。
東電本社は、技術者たちを福島へ急派し、免震棟で吉田所長を説得した。吉田所長は渋々窒素封入を決断した。
東電本社は、“反乱”の事実を公表していない。または、聞いていないことになっている。
疲労が極限に達した免震棟のスタッフたちは、余裕がなくなりかけている。
以上、記事「東京電力『福島第一原発』の反乱」(「週刊文春」2011年4月21日号)に拠る。
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免震棟には、東電、協力企業、原子炉メーカー・・・・の社員300人以上が集結し、高濃度の放射線が漂うなか、復旧へ全力を傾けている。
4月初め、東電は、たまり水の処理がやっと進み始めたことを公表した。原子炉が安定して冷却できる作業工程の、大きな第一歩だ。
さらに、窒素を格納容器に注入する作業も始まった。原子炉が最悪の事態に陥ることを防ぐ措置だ。1号機から開始された。冷却水が不足して、放射性物質が詰めこまれた燃料棒の半分以上が露出し、高熱を放って破損。そこから発生した水素と酸素の濃度が高まっている、と目されたからだ。
そして、枝野幸男官房長は、水素爆発の可能性を限りなく零に近づけるために窒素ガスを注入する、と国民に告げた。予防的措置であり、リスクは低く、周辺の住民の安全にとって危険はない、と。
だが、4月4日から数日間、東電と原発現地対策本部が置かれた免震棟との間で繰り広げられた緊迫したやりとりは、国民には知らされていない。
免震棟の責任者は、福島第一原発の吉田昌郎所長だ。本社からの無理難題に耐え、時には毅然と対応するなど、評価は高い。
本社から、朝夕2回、テレビ会議によって指示が下りる。連日連夜、必死の協議が続いてきた。日ごと新たに発生する「想定外」の事態に対応するには、一糸乱れぬ意思の疎通が必要なのだ。だが、4月4日、暗転した。
その日、いつもどおり淡々としたやりとりから始まった。
先に口を開いた吉田所長は、5号機の雨水のたまり場の水を捨てるべきだ、と提案した。5号機の建屋に亀裂があれば、雨水が入って将来やっかいなことになる・・・・。
その直後、吉田所長の口調が変化した。こちらにがんばれ、がんばれ、と言うが、長期的なことは、そっちでちゃんと考えてほしい・・・・。
さらに吉田所長は対策統合本部に語りかけた。
「窒素封入だけど、本当にやると?」
東電幹部は即座に答えた。いちはやく1号機に実施しないと。NRC(米国原子力規制委員会)もそう強く主張している。イチエフ(福島第一原発)としては急ぎ準備を開始してくれ・・・・。
吉田所長は反論し、激高した。窒素封入の必要性はわかるし、将来的にはするべきだが、それは今じゃない。今、やっと均衡が保たれている。一定の安定状態が可能になった。微妙な均衡、安定だ。にもかかわらず、予想もつかないことをやると、それこそ大きなリスクとなる・・・・
現場チームの初めての“反乱”だった。
翌日のテレビ会議で、対策統合本部に足を運んだ経産省幹部は、ディスプレイを見つめて声を失った。サングラスをした吉田所長が、黙ってこちらを睨みつけていた。
東電側から、窒素封入の話がふたたび持ちだされた。マイクを握った吉田所長は、声をはりあげた。格納容器に損傷があったらどうする? 水素爆発の危険性は冒せない。爆発の危険性があるのに、スタッフを現場に行かせざるをえない。
しかもだ、と吉田所長の声は大きくなった。窒素封入は微妙かつ絶妙な技術的作業が要求される。低めに注入しても、やはり空気が入ってくるからだ。そのたびにスタッフを現場へ行かせざるをえない。それでなくとも、この作業は事実上ベントするのも同じ。リスクが余りにも高すぎる・・・・。
窒素封入によって押し出された放射性物質を含むガスが放出され、スタッフたちを襲う危険性を主張したのだ。
東電本社の技術者たちはしかし、専門用語を怒濤のように繰り出し、吉田所長を説得し始めた。「問題は最初だけです。それさえすぎれば--」
その言葉に、経産省幹部はゾッとした。聞いていないぞ、窒素封入にそんなリスクがあるなんて。
吉田所長は、再び乱暴にマイクを握った。表情は、さらに一変していた。「だから、そんな危険なところにスタッフたちを行かせられない!」
そして、決定的な言葉を発した。「それでも窒素封入をやれと言うなら、オレたちは、この免震棟から一歩も出ない! ここで見ている!」
「本社はいつも、がんばれ、がんばれ、と言うだけだ!」
そう吐き捨てた吉田所長は、いきなりマイクを机の上に叩きつけ、怒鳴った。「もう、やってられねえっ!」
会議室は沈黙した。
経産省幹部は、この事態を実は予想していた。それまでにも免震棟からの質問に対して、対策統合本部の技術者たちが専門用語だけを繰り返し、答を出さないことに、吉田所長が苛立ったことは一度や二度ではない。
ある時、対策統合本部で東電側の技術者を仕切る武黒一郎・国際原子力開発社長が、技術者を叱ったことがある。「今の説明では、イチエフ(福島第一原発免震棟側)の質問の答えになっていない!」・・・・技術者が言いかえると、「それも答えになっていない」と、さらに訂正を求めた。
東電本社は、技術者たちを福島へ急派し、免震棟で吉田所長を説得した。吉田所長は渋々窒素封入を決断した。
東電本社は、“反乱”の事実を公表していない。または、聞いていないことになっている。
疲労が極限に達した免震棟のスタッフたちは、余裕がなくなりかけている。
以上、記事「東京電力『福島第一原発』の反乱」(「週刊文春」2011年4月21日号)に拠る。
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