語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】東京電力社員の高い給与、潤沢な福利厚生施設 ~東電の「隠蔽」~

2011年04月21日 | 震災・原発事故
●給与年収順位(電力・ガス各社、2009年度)
  1位 中部電力・・・・・・837万円
  2位 J-POWER・・826万円
  3位 東北電力・・・・・・825万円
  4位 九州電力・・・・・825万円
  5位 北海道電力・・・822万円
  6位 関西電力・・・・・807万円
  7位 中国電力・・・・・796万円
  8位 四国電力・・・・・795万円
  9位 静岡ガス・・・・・776万円
 10位 北陸電力・・・・・775万円
 11位 東京電力・・・・・758万円★
 12位 沖縄電力・・・・・735万円
 13位 東京ガス・・・・・718万円

 有価証券報告書記載の東電従業員年収が不自然に低い。東電が、「監督もしくは管理の地位にある者を含まない」という妙な前提条件で数値を出しているためだ。実際は、関西電力とほぼ同じだ(関係者)。
 東電は、独身寮など社員の福利厚生施設の充実ぶりでも知られるが、その情報は3月末日をもってホームページから削除された。
 もっとも、近年、東電社員の収入は揺らいでいる。年間5ヵ月で安定していた賞与は、09年、柏崎刈羽原発事故の影響で4.0ヵ月(組合員平均161万円)にダウンした。今年の春闘では、組合は柏崎刈羽原発事故前の水準183万円を要求していたが、福島第一原発事故後、組合は要求案を撤回した。春闘のめどは立っていない。

●東京電力の社員向け福利厚生施設
 独身寮・・・・・・・168
 単身寮・・・・・・・・66
 厚生施設・・・・・・22
 体育施設・・・・・・・6
 社員食堂・・・・198
 社内託児所・・・・・1
 合計・・・・・・・・・461

 以上、COLUM「給与も社員施設も『隠蔽』」(「週刊東洋経済」2011年4月23日号)に拠る。
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【震災】共感疲労 ~香山リカの「こころの復興」で大切なこと~

2011年04月21日 | 震災・原発事故
(1)間接的トラウマ
 地震発生直後から、テレビ、インターネットで連日のように津波の映像が放送された。日を追うごとに新しい映像が増え、繰り返し繰り返し流された。
 かくして、東京には津波の被害はなかったのに、津波の夢で目が覚めてしまうという人が出てきた。自分が津波に呑まれてしまったかのような息苦しさを感じる、と訴える人もいる。被害の映像を見過ぎたためだ。
 映像がトラウマになるという現象は、「間接的トラウマ」「二次的トラウマ」と呼ばれ、子どもに多く見られる症状だ。子どもは、目で見た映像が目の前で実際に起こっていることなのか、モニターの中の出来事なのかを区別する脳の機能が未熟だ。このため、実体験として記憶してしまう危険性があり、それがトラウマを引き起こす、というわけだ。
 脳が処理できる量を超えた映像を見続けると、記憶の貯蔵庫に入れるとき、実体験と同じ場所に分類してしまうこともあるだろう。それは子どもに限った話ではない。
 さらに、津波の映像を見てショックを受け、自分の過去のトラウマがフラッシュバックした人もいる。虐待、レイプ、犯罪への巻き込まれといった自分の過去が、悲惨な映像を見たことで蘇ったのだ。こうした人は、津波の映像を自身の「命の危機」と同等の出来事として見たのだ。

(2)共感疲労
 無気力状態に陥ってしまう人もいる。金曜日に地震と津波が起こり、土曜日、日曜日の2日間テレビ、インターネット、新聞で情報に触れ続けた結果、月曜日に会社に行っても仕事が手につかない。やる気も、集中力もまったく出ない。涙が止まらなかったという人も少なくない。
 映像や被災地に関する情報は、津波の場面だけではなく、肉親を失った人、家を失った人のインタビューや避難所での厳しい生活ぶりを伝える。それに触れて、被災者に共感し過ぎることで精神が疲労してしまうのだ。
 これは、臨床心理学の世界で「共感疲労」と呼ばれている。災害時に被災地に入る医療関係者やボランティアにもよく見られる現象で、相手の境遇に心を寄せて考え過ぎるあまり、自分のエネルギーがすり減ってしまう状態だ。

(3)共感疲労を防ぐ法
 共感するという行為は、本来は褒められて然るべきことだ。
 共感疲労は、介護士、看護師、ボランティアなど被害者や被災者を直接支援する人に起こりやすい。たとえば、児童養護施設で虐待を受けた子どもたちと寝食を共にしながら接していくうちに、子どもが親から受けた虐待行為を直接聞き、子どもたちの気持ちに感情移入し過ぎてストレスが起きてしまう。
 精神科医は、共感疲労を避けるためのトレーニングを受けている。なるべく相手から距離を置いて、相手の身にならないように話を聞く。自分だったらどう思うか、とは考えない。基本的に、共感し過ぎない態度を取りながら相手に向き合う。
 災害の映像を見て「たいへんね」と思いながらも、「私じゃなくてよかった」「私の大切な家族は無事でよかった」と考える。被害者・被災者に同情しながらも、わが身と家族の安全を確認し、安心する。これは、どんな悲惨な事件や災害でも必ず起こる健全な心理だ。自らの身を守るためのメカニズムだ。
 他人事として切り離す行為は「分離」という心のメカニズムで、誰にでも備わっている心の防衛反応だ。何かが起きたときに「これは私のことではない」と思うことで、心が不安定な状態に陥るのを防ぐ機能だ。

(4)罪悪感
 何も被害を受けていないことが申し訳ない、無事でいることが申し訳ない、と言う人がいる。
 こうした考えは珍しくない。戦場や被災地を取材したジャーナリストが、何も被害を受けていないことに罪悪感を抱くケースは以前からあった。共感疲労を端緒とした罪悪感と言ってもいい。今回の大震災でも、被災地の取材から帰ったテレビのレポーターで、自分がいたもとの世界に戻れなくなった人がいた。ジャーナリストが抱く心理としては不思議ではないが、一般の人にまでその傾向が表れている点が今回の特徴だ。
 もう一つ、何も支援できなくて申し訳ない、という罪悪感がある。多くの人がボランティアやチャリティをやっているのに、自分は何も行動していない。自分は義援金もあまり多く払う余裕がない・・・・。そんな人が、誰かに強制されたわけでもないのに、自分を責めてしまう。こんなことで心を痛めている人がいるのは、本当に不幸なことだ。 
 いま日本で、一致団結して「自粛」しようという空気が蔓延している。一人ひとりの行動を強制的に制するかの雰囲気が漂っている。自粛をしないと「不謹慎」と白い目で見られてしまう。これは社会として決して健全ではない。
 一人ひとりで今回の震災の受け止め方は違う。対応も違って当然だ。共感を押し付けるかのような動きによって、多くの人が苦しんでいる。

(5)無理は禁物
 自分のことを自分で支えること。これがいま被災地への最大の支援となる
 大きな惨事があったからと言って、社会全体で同じ対応をする必要はない。遊びたい人は遊べばいいし、静かにしていたい人は静かにすごせばいい。無理せず、自分をいたわることだ。無理してやっても、いいことはない。
 共感疲労、そこから派生する罪悪感によって心の調子を崩す人は、もともと思いやりのある優しい性格の人だ。それは否定しなくていい。しかし、その共感疲労によって、結果的に被災者への支援とは逆向きの効果をもたらしている。
 いま被災地以外の人にもっとも大切なことは、自分で自分を保つこと、自分のことを自分で支えることだ。それによって、世の中の多くの資源が被災者へとつながる。それが、最大の支援になる。そのためには、社会として特定の行動を強制せず、それぞれの人が無理なく過ごせるような状況にすることが大切だ。

 以上、香山リカ「『一日も早く』にとらわれない ~香山リカの『こころの復興』で大切なこと【第1回】 2011年4月5日~」(DIAMOND online)、同「被災していない人にも『共感疲労』という苦しみがある ~香山リカの『こころの復興』で大切なこと【第2回】 2011年4月12日~」(同)に拠る。
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