語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】東電コネクション(原子力関連事業)、菅首相の背後の「原発推進議員」

2011年04月27日 | 震災・原発事故
 原発は巨大な装置産業だ。関連企業の裾野は広い。
 主契約会社・・・・東芝、日立製作所、三菱重工業。
 原子炉、タービン、ポンプなど・・・・日立製作所、東芝、三菱重工業、IHI、川崎重工業。
 発電機・・・・日立製作所、津柴、三菱電機。
 燃料・・・・グローバル・ニュークリア、フュエル・ジャパン原子燃料工業、三菱原子燃料。
 土建工事・・・・竹中工務店、大林組、鹿島、熊谷組、五洋建設、清水建設、大成建設、西松建設、前田建設工業、奥村組、ハザマなど。
 プラント工事・・・・東芝プラントシステム、大平電業、日立プラントテクノロジー。
 素材・・・・神戸製鋼所、JFEスチール、新日本製鉄、住友金属工業、日立金属。
 ウラン権益・・・・海外ウラン資源開発、出光興産、住友商事、丸紅、三菱商事など。
 その他、イトーキ(特殊扉)、岡野バルブ製造(バルブ)、電気化学工業(ホウ素)、オルガノ(水処理施設)、新日本空調(空調)、助川電気工業(模擬燃料集合体)、アトックス(原発保守管理)など多数。昭和鉄工、長府製作所など、エコキュート関連企業も多い。

 以上、記事「全解剖 東京電力コネクション -人とカネを通じた共存関係-」(「週刊東洋経済」2011年4月23日号)に拠る。

   *

 「原子力政策・立地政策プロジェクトチーム」座長の川端達夫を衆議院議員として送り出した東レも、原発関連企業の一つだ。ウラン濃縮用の炭素繊維を開発中だ。
 民主党の屋台骨をなす連合の大きな流れの一つが旧同盟系労組だ。東レ労組の上部組織であるUIゼンセン同盟、自動車総連、電力労連などだ。これらの労組の出身議員が民社協会をつくる。その結束力は強い。

 06年7月26日、民主党の経済産業部門会議・エネルギー戦略委員会(大畠章宏座長)が、初めて原子力の積極推進方針を打ち出した。それまで原子力を「過渡的エネルギー」と位置づけてきた民主党の路線が大きく転換した。
 09年9月16日に政権交代。直後の9月22日、鳩山由起夫首相は、国連気候変動サミットで、温室効果ガスを90年比で25%削減することを表明した。
 10年3月12日、温室効果ガス削減のための原発推進を盛りこんだ地球温暖化対策基本法案を閣議決定した。福島瑞穂社民党党首は反対したが、当時の文科相は川端達夫(東レ出身)、経産相は直嶋正行(自動車総連出身)、官房長官は平野博文(松下電器産業出身)、環境相は「温暖化を考えると原発は不可欠」と発言する小沢鋭仁だった。
 同年4月26日、西川一誠福井県知事と川端文部科学相、もんじゅ運転再開に向けて合意。

 同年6月4日、菅直人が首相に就任すると、「原発推進が加速した」。6月18日、デフレ脱却のための新成長戦略を閣議決定。原発の海外輸出が盛りこまれ、「プラントメーカーやゼネコンは『原子力ルネッサンス』にわいた」。
 同年7月11日、参院選で、民主党は大敗した。
 同年9月14日、民主党代表選で民社協会は菅首相側につくか、小沢一郎側につくかで揺れた。最終的には田中憲秋会長が首相支持を打ち出し、議員票は206票対200票で菅首相側の薄氷の勝利となった。組閣は、「露骨な論功行賞人事」となる。経産相には電機連合の大畠章宏(現国交相)、文科相には民社協会の高木義明が就いた。
 「以後、菅政権の原子力推進行政はタガがはずれた」

 同年10月22日、ベトナムと原子力協定締結で実質合意。
 同年10月26日、東電福島第一原発3号機、プルサーマル発電の営業運転開始。
 同年11月1日、民主党に原子力政策・立地政策プロジェクトチーム(川端議長)発足し、12月3日には原発立地特措法の延長法案が成立した。
 2011年1月1日、石田徹(経産相エネルギー庁前長官)が東電に天下ったが、2月2日、枝野官房長官は「石田氏は天下り斡旋に当たらない」と表明。
 同年2月7日 経産相原子力安全・保安院は、福島第一原発1号機の40年超の運転を認めた。
 同年3月11日、東日本大震災が勃発し、福島第一原発に事故発生。
 同年4月12日、福島第一原発は深刻度レベル7となった。その翌日(4月13日)、衆議院外務委員会の理事会で予定されていたヨルダンとの原子力協定承認裁決は延期された・・・・が、原発の海外輸出戦略は、今のところ見直しは行われていない。

 以上、佐藤章(編集部)「『原発推進議員』に問う」(「AERA」2011年4月25日号)に拠る。
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【震災】原発>情報の隠蔽がもたらすもの ~安全保障の政治~

2011年04月27日 | 震災・原発事故
 安全が争点になると、政治社会が一気に流動化する。
 誰にとっても生活の安全を脅かされることは不安なだけに、いったん安全への懸念が生じたら、最大の争点とならざるをえない。状況が安定し、しかも十分な情報が得られたら、不安を抑制することは可能だ。しかし、情報開示が不十分であれば、不安は加速される。情報隠蔽への不信感によって、「本当はもっとひどい」という言説が広がってしまう。安瀬への懸念と政治不信が結びついたとき、パニックが生まれる。

 菅政権には、このパニックを引き起こした責任がある。
 福島第一原発事故が発生して以後、政府発表の多くは不安を宥めるような内容で占められていた。発表を重ねるたびに事故の規模に関する推定が拡大した。情報公開への不信を招いた。事故直後には信頼を集め、ヒーローのようにさえ語られた枝野幸男官房長官のイメージは、背広の記者会見を始めた頃から急速に低下した。直接の健康被害はない、との声明を出しても、誰も耳を傾けなくなった。
 菅政権は、中国漁船拿捕事件以来最大の危機を抱えている。
 国民の安全を守ることが政治の第一条件であるとすれば、その役割を果たしていない、という不信感が生まれたことによって、根本的な政治不信が生まれてしまった。

 マスメディアは、不安と不信を増幅する役割を果たすことになった。
 一般紙よりは夕刊紙、テレビよりは週刊誌において最悪の事態が極端なかたちで伝えられた。夕刊紙や週刊誌の報道のほうが、本当のことだと思われてしまう。冷静な批判をすれば、カネをもらっている、という非難を覚悟しなくてはならない。

 主発点が間違っていたのだ。
 福島第一の事故が大規模な災害に発展する可能性を最初に発表すればよかったのだ【注】。そのうえで、どこまで事態が変わったのか、好転したのか、悪化したのか、を伝えるべきだった。
 過小な報告から始めたために、その後に事態が悪化の一途をたどると不信を加速してしまった。

 原子力発電の是非は、さて措く。
 ただ、これほどの事故が起こり、しかも政府と東京電力への不信が生まれた以上は、国民が求めるよりもさらに徹底した安全確保のための措置を取らなければ、状況の打開は不可能だ。
 「安全保障の政治」に火がついたら、政府も企業も簡単に倒れてしまう。このことを銘記するべきだ。

 一つだけ救いがある。NHKは、淡々と、煽りもせず、身の毛のよだつような原発事故の情報を伝え続けている。
 だが、NHKと外国の報道機関だけを頼りに情報を求める暮らしは、じつに情けない。

 以上、藤原帰「安全保障の政治」(東京大学法学政治額研究科教授)(「週刊ダイヤモンド」2011年4月30日・5月27日号)に拠る。

 【注】じつは、原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官は、地震の翌日の12日午後2時、福島第一原発1号機で「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表していた。事故から1ヵ月半経た今顧みると、じつに正確かつ率直な政府機関発表である。ところが、菅首相は、「国民に不安を与えた」と問題視し、中村審議官を会見担当からはずせ、と経産省に指示した(【震災】国民の知る権利を脅かす圧力)。
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